自己紹介詳細版(半生編

 最内翔に興味を持っていただきありがとうございます。
 詳細版の最初の記事は最内翔の半生編です。
 前半は履歴書や面接で答えるような形での紹介。
 ただ、それでは今の俺の活動の意味がありません。
 今回の記事ではそれに加え、後半で俺のリアルなダメな部分もお話ししていく予定です。

履歴書風経歴

  HN:最内翔(もないしょう/ひっくり返すと「しょうもない」)
  本名:わざわざ公開はしないが、別段隠すつもりもなし
生年月日:1993年6月12日生まれ(2020年時点27歳)
  出身:兵庫県
 現住所:東京都
最終学歴:高卒(大阪大学人間科学部中退)
本人画像:このページの一番下に添付(見苦しい為後ろに回しています)
  職歴:飲食、TSUTAYA、ピザハットやガストの配達ドライバー等(アルバイト)
     auショップの販売員(約一年/派遣社員)
     営業職(上京し3か月、正社員)
自己PR:特技は初対面の人とすぐになじめる事と、物事をかみ砕いて分析し分かりやすく伝える事。
     人がどういったものに心惹かれるのかを考えるのが好きです。
     趣味はTRPG。

履歴書っぽくさらっと流したらこんな感じでしょうか。
では今度はリアルな半生をご紹介していきましょう。

 小学校編

 小学生の時は親の勧めで公文に行っていたこともあり、勉強も嫌いではなかったので優秀な方でした。
 母親が昔やっていた剣道を習い、団体戦で県大会のベスト4に入ったこともありました。
 小学校ではそれなりに人望も篤く副児童会長になったこともあります。
 そしてその勢いのまま日能研に通い、進学校の私立中学校(中高一貫)に通う事になります。

 中高編

 ただ流石は進学校、少し頭が良い程度のちびっ子は本当の秀才達や天才達に囲まれて、成績は底辺を彷徨います。
 いえ、これは言い訳ですね。単純に自習というものが全くできず宿題も適当にやっていたので当然の結果でしょう。
 部活は剣道部に入りましたがそこは進学校。
 当然地区大会止まりです。(その地区が結構強豪校揃いだったのもありますが)
 剣道二段はこの頃に取ったものですが、因みに柔道黒帯は6年間授業で受けていた関係で『買えた』ようなものです(試験とかはあったけど実力はない)。
 特に苛められた等はなく、スクールカーストで言えば陰キャのチョイ上くらいを維持していました。
 昔から本は良く読む方でしたが、中学の半ばあたりからアニメ等も見るようになっていきます。
 俺の青春時代と言えばPSPを使ったネット、というよりチャットでした。
 あちゅらチャットというサイトがあり家にいる時はほぼずっとそこにいました。
 その時のHNは挨敢でしたね。(この話は長くなるので割愛)

 さて、そんな高校生の時の俺にも受験の時期が来ます。
 その時の俺は心理学を学びたいと思いそれで志望校を絞りました。
 候補は確か神大、北大、阪大でした。
 ここが進学校の凄いところ。
 底辺近い奴でも頑張れば神大は射程圏内とか今考えると凄い事ですね。
 ただ家を出たかった俺はかなり背伸びした阪大を第一志望にします。
 丁度高校二年の夏、ずっと使っていたPSPが壊れチャット通いが出来なくなったのをきっかけに一念発起。
 そこから猛勉強をして受験に挑みます。
 あの頃はよく頑張った。
 センター試験では英語を198点とか取れたし、阪大もワンチャン行ける! 神大なら多分入れる!
 ただ残念なことに阪大の前期試験は落ちました。悲しいね。
 ただ俺には一つ得意なものがありました。小論文です。
 阪大の後期試験は小論文。
 果たして、東大落ちの奴らも押しのけ後期試験に合格し、ストレートで阪大に合格しました。

 はい、人の自慢話なんて面白くないって? 
 ご心配なく。俺のサクセスストーリーはここまで。今の俺の状況を思い出してください!
 ここから今の俺に繋がる引きこもり大学生編に突入します。

 ダメ大学生編(大学生編前編

 大学に入学後、最初はちゃんと行っていた講義も徐々に行かなくなっていきます。
 理由は今でも絞り切れていません。
・心理学を学びにいったのにパンキョー(一般教養)が多かった。
・社会心理学系をやりたかったのに発達心理学とかの講義もあった。
・背伸びして入ったせいで回りが自分より2,3段上の秀才ばかりだった。
・そもそも自制心が弱すぎた。
 多分最後のが6割以上占めてたんでしょうね。
 ともかく講義に出ず、代理出席してもらったりレジュメ貰ったりもあまりせず、昼まで寝る生活を続けていきます。
 友達はそれなりにいたんですけどね。どうにも人にものを頼むのが下手なのです。
 大学時代の親からの仕送りは7万だったので(一人暮らしの条件だった)、生活費を稼ぐためにバイトを始めます。
 最初は「一番メジャーで、一番きつい」と言われる飲食のバイトを経験の為に。
 次はバイト探し期間に偶々ゲームを買いに行ったTSUTAYAで「バイト募集してるんですか?」と聞いてあれよあれよという間に。
 次は「免許取ったし楽そうな配達で」という理由でピザハットに。
 なんだかんだ生活費の為にバイトはほぼずっとやっていました。
 ただ昼間は「講義に出る」という建前上開けているのでバイトは夜。
 バイトが終わるのが深夜1時半とか。
 起きるのは昼過ぎ。バイトの為に起きてバイト後遊び朝方寝る。
 そんなループに陥っていきます。
 そんな生活では「大阪湾に沈んでる」単位が取れるはずもありませんでした。
(※「京大の単位は空から降ってくる」「神大の単位は道に落ちている」「阪大の単位は大阪湾に沈んでる」というジョークがあったorある)
 サークルは演劇部に入りました。理由は確かオープンキャンパスの時にその名前を聞いたのが妙に印象に残ってたからでした。
 正直役者としては正直クソ雑魚でしたが、それなりに楽しんでいました。
 一番印象に残っているのは時代劇物の舞台で悪代官役をした時ですね。
 悪役ロールは好きなので大満足でしたし、皆からの評判も非常にいい物でした。
 因みにこの最内翔という名前はこの頃の芸名が始まりです。
 裏方の仕事では渉外(他の演劇サークルとの顔つなぎ役)を務め、関西一円の渉外を集めた飲み会を主催したりもしました。
 また所属していたサークルは既成の完成された脚本より、自作のわちゃわちゃした脚本が歓迎されていたため脚本を書いたりもしていました。
 まぁ結局脚本は一本も通らなかったのですが、その頃演出家になったらやりたいと考えていたのが、
「大筋は脚本に書くけど、複数人を描く俺より一人一人を演じる役者の方が登場人物達の心証をトレース出来るはず。だからその意見を取り入れて物語を作り上げていきたい」
 というもの。まぁそんな事が素人に出来るはずもなく、実際採用されることはありませんでした。
 ただこの考えを持っていた時期にとあるジャンルに出会います。
 それがTRPGです。
 TRPGについては別記事で詳しく書きますが、簡単に言うと
「ルールの決まったごっこ遊び」
「進行役が決めた大枠のストーリーの中で、各プレイヤーが自身のキャラクターを動かして物語を紡いでいく」
「やりたいと思ったことが本当に出来たか、それをサイコロを振って決める」
 というゲームです。
 やりたかったことが出来るジャンルに出会っちゃいました。
 それに出会った大学3年(3回生)くらいから、そろそろ露呈してきた自分のだらしない一面に怯えたのもあり、サークルをフェードアウトしていきます。

 第一次引きこもり期(大学生編後編

 さて大学の3年の終わるころには、俺の単位状況は酷い状況になっていました。
 大阪大学人間科学部では自動的に4年まで上がれるのですが単位が足りないと卒業出来ない仕組みだったので、単位がなくとも一応3年です。
 この辺りから大学卒業までは正直モノクロです。
 足りない単位、自堕落な生活、ゴミで埋まった部屋、腐ったシンク、茶色の固いのを見て何だと調べたらゴキブリの卵、直そうとしても直せない生活習慣、自嘲自虐、焦り、劣等感。

 現実逃避。

 この辺りの記憶は曖昧で、思い出してもベットから見える自室の散らかった風景とバイト先の風景しかありません。
 テレビも見てなかったのでその当時の流行りも実はよく知らないんです。
 TPP? PPAP? 存在と意味は知ってるけど実感がない。
 ずっと目を背けて直視を避けていたから。
 兎も角1年間休学を挟んだこと、残り二年の在学猶予では単位を取り切るのは自分には難しいと判断した事は覚えています。
 一応3年になった時の振り分けで人間科学部社会心理学科に入り、入学当初したかった研究を出来るようになりました。
 ゼミの同期とも最初は仲良くしており、一度は自分の家でタコパをしたりしました。
 でもやっぱり授業に起きられず罪悪感に苛まれ、余計に授業に出づらくなる悪循環。
 教授も先輩も特に同期の皆が。
 心配の言葉をかけてくれていましたが、逃げ切りました。
 バイト先でも仲のいいバイト仲間が沢山いて、
 特に長く続いたTSUTAYAとピザハットでは非常に楽しく働いていました。
 「あんまり単位取れて無くて留年しそうだわー」くらいに言葉を濁しつつ。
 趣味のTRPGでは主にネットでのオンラインセッションをやりつつ、大阪のコンベンション(雑に言えばイベント)に行ったりもしました。
 そのコンベンションでは、1参加者として非常にお世話になり楽しませてもらいました。
 そしてそのコンベンションの主催者に運営側に呼ばれ、非常にお世話になりました。それはもう記憶から消したいくらいに。
 この話は完全にアウトな話になるので別記事としますが。
 就職などに焦る気持ちの中、考えていた将来は
「TRPGというマイナーだけどきっと今なら受け入れらて貰えるゲームを、皆に広めたい。それに携わる仕事をしたい」
 その下準備をしようとTwitterでアンケートを取ったこともありました。
 取って集計し次のステップに行くことをしませんでした。
 TRPGサークルに所属してそこの運営に携わり、関西のTRPG界隈で名を売りたいと考えました。
 酷い目に合いました。
 現在TRPGの仕事をしている会社に話を聞いてみたり、TRPGを作っている作者様に相談メールを送りました。
 TRPG業界は小さく新人を育てるような余力は無く、名のある作者様達もシナリオライターの傍ら作る事で食べていけているような現状とのことでした。
 TRPGを出版している出版社への就職を考えました。
 大学を中退しました。
 自力で起業しようと考えました。
 アイデアだけでノウハウもスキルも資金も人脈も根性もありませんでした。
 机上の空論と、何かを成し遂げたい、特別な事をしたいという自尊心だけがありました。
 全て、最初のつまずきで踏ん張る事をやめました。

 一人暮らしをしたい、でもやらなきゃいけないことは勿論やりたいと思ったことすら逃げてしまう、そんな自分が露呈して罪悪感で引き留めてくれる人から逃げ切ってしまう。
 そしてそんな自分を変えたいと思い、結局変えられなかった、そんな数多の負の経験。
 今の俺を形作る地続きな自分がこの時期に形成されました。

 社会人(笑)編

 兎も角、2017年。
 俺は中退することにしました。
 もう卒業要求単位を取れる気がしない。
 それならバイトも楽しかったし仕事をしたいと。
 流石に一人暮らしを続けられるわけも無く、実家に帰ります。
 大学時代に出来た借金(闇金には手を出していないが数十万単位)を親に肩代わりしてもらっていたのもあり、すぐに就ける仕事を探します。
 当然「一般的」には正社員を目指すべきですが、人生を決める選択を出来る時間的余裕もなく、また未経験中途採用を探すのは難しいということで派遣から探します。

 本来やりたい仕事は未だにTRPGの広報活動。ただ直接TRPGの会社に入るのも難しいし、出版社も無理。なら企業になるけどスキルも人脈も資金もない。だからまずは自分を「一般的な社会人」に直そう。後やっぱり俺は細かかったり正確な作業はどうも向いてないけど口は立つ。初対面にも強いしある程度未経験採用もある営業職だな。業界は出版関係が一番TRPGに直接的につながるけど多分無理。やっぱり文化の中心は東京になってるから上京も視野に入れよう。兎も角親に肩代わりしてもらった借金を返して今のグチャグチャになった生活習慣も戻して、マイナスを0に戻してからだな。そのためにも派遣で販売職を探そう。

 まぁそんなことを考えてauショップで働き始めます。
 やはりある程度は口が立つのでクレカや物販など、兎に角入って数か月で店内でも代理店内でもそれなりに上位の売上実績を出します。
 こちらのショップでも職場環境や仲は良く、結果も出せてるしそれなりに順調でした。
 そして派遣の契約期間は半年なのもあり、丁度1年後退職しました。
 まだ借金は少し残っていましたが「職場は楽しいけど携帯販売自体に満足感を感じない」「そろそろ自分の人生を決めたい」「未経験での採用は20代までと聞くし、25と26はイメージが違う」
 そんなことを考えてのことでした。
 皆にそれなりに惜しまれつつ退職した2018、年の年末。
 俺はまた引きこもっていました。

 第二次引きこもり編

 人生の転機且つ頑張りどころの時期として、やはり受験と並び評されるのが就活です。
 皆さんご苦労された経験をお持ちでしょう。
 勿論俺も苦労しました。
 そして一瞬で挫けました。
 auショップを辞めたのが2018年の3月末で、辞める直前から5月くらいまでは何社か面接に行きました。
「それなりに起伏のある人生を送ってきたし、口も立つから行けるだろう」
と特にエージェントに面接の練習をしてもらうなどもせずネットで応募し面接に行き、5社くらい落ちた所で心が折れました。早いですね。

「前職を辞めた理由は?」
「正社員雇用を目指したからです」
「アルバイトだろうと正社員だろうと、働いている以上はそこに貴賤も責任の過多もないよ。色んな働き方がある今の時代にそういう考えは良くないとうちでは考えるね」

「将来はTRPGというジャンルを広めていく活動をしたいです」
「(この経歴といいウチを踏み台にしようとしてる事と言い、正直に言えば許されると思ってる甘えた人材だな)ご縁がありましたら以下略」

 舐めてますね。当たり前ですよ。
 どんな会社だって人材は欲しい。だけど欲しいのは使える人材、育て甲斐のある人材だ。
 誰もボランティアで人材育成なんてしてくれるわけないし、甘えた人材なんてコストの無駄だ。
 特に受けてたのはベンチャーですよ? 他にいくらでも候補はいる。

 兎も角そんな当たり前の事実に直面し硬直し、また引きこもり始めます。
 そして8月頃見かねた父親に教えられて市の「引きこもり相談支援課」、そこから紹介された「若者サポートステーション」に通い出します。
 ここでの経験はまた別記事にて詳しく書きますが、ともかくここでの相談も経て2018年の終わりごろ、やっともう一度就活を始めます。
 基本方針はauショップ前と変わらずで仕事を探し始め、何社か断られた末に東京秋葉原にあるとある会社に営業職として採用いただきました。
 そして上京し、家を借り、入社し、今年6月で退職しました。

 そして時間は今(2020年11月)へ
 お帰りなさい。時間軸が今に戻ります。
 正社員採用していただいた会社の事は敢えて詳しく書きません。
 今までのバイト先等と違い大きな会社ではありませんから、仕事内容を書くと一瞬で特定されて会社にご迷惑がかかる可能性がありますので。
 ただ一つ言えるのは、
 先輩方も社長も悪くなかった。
 むしろ絶対に出来ないであろう理解をしようと頑張ってくれてた。
 それどころか転職エージェントの人が全力のサポートをしてくれてた。
 俺が自分の致命的な欠陥を強制しないまま、まともな人間の振りをしようとしたから
 最初から確実にタイプがかみ合わないタイプの社長だと直感しながら「なんとかするんだ」と急いたから
 まだ人間失格な屑なのに、目を瞑って「今度こそやるんだ!」と無根拠な勢いで誤魔化そうとしたから!
 俺が社会不適合者だから皆さんにご迷惑をおかけしました。
 本当に申し訳ありませんでした。

 そして今、結局強制できていない致命的な欠陥。
・すぐに崩れる生活習慣
・やらなければならない事は勿論やりたいと思った事すら続けず逃げ出してしまう癖
・それによって来ないはずがない踏ん張りどころで踏ん張れず、また逃げ出してしまうだろうという恐怖
・そしてその自分の醜い所を見せてしまったら、どれだけ周りが心配してくれていたのだとしても罪悪感と恐怖で逃げ切ってしまういつもの流れ

 経歴の表だけを見ればぱっと見まともそうな、有能そうな人物でしょう。
 社交的で、口が立ち、地頭も良い、不細工だけど愛嬌のある人物。
 それをずっと演じています。そして自分のダメな所を隠し、バレたら逃げる。
 自分から相談することもせず、なんかおかしいと思って聞いてみても合間にに誤魔化し、触れたくなさそうだからと曖昧なままで置いてるとフェードアウトしていき、引き留めようとしても罪悪感で逃げ切ってしまう。
 外から見ると多分そんな人物です。

 だから今、そんなダメな人間だと先に示してしまって、その上でそれを許容して応援してくれる人がいないか、そんな甘えた幻想を探しています。
そうです。甘えだなんて百も承知です。
 それでも「甘えるな、やれ」が出来ないからこんな状態なのです。

長くなりましたのでここまで。
次は「自己分析した最内翔という人物の特徴」をお送りします。

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