世が世なら追い剥ぎになっていた男

 最近「Mount & Blade 2」というゲームをやっている。
 中世ヨーロッパっぽい世界観で、交易をしたり傭兵団を立ち上げたりして立身出世を目指すゲームなのだが、こういうリアルよりのゲームは好みなので面白い。
 このゲームの世界観はまさに剣と無法な世界観で、街を出れば1分で追い剥ぎや盗賊に出会う。その規模は5~30人くらいのもので、最序盤こそ怖い相手だがプレイ開始10分もすれば資源に見えてくるのが面白いところである。なにせ傭兵団を立ち上げ、部隊を率いだすとまず負けないし、それに犯罪者からはいくら略奪しても文句言われない。序盤の重要な収入源と化すのである。中盤以降も新兵の練兵相手として長くつまみぐいすることになるのが追い剥ぎや盗賊だ。
 犯罪者に人権はない。奴らを殺すのは賞賛されるべきことだし、身ぐるみはぐのは当然の権利なのだ。

 このゲームは楽しい。それはそれでいいのだ。ただ、ふと考えて虚無感に襲われることがある。
 俺は多分、世が世なら追い剥ぎになっていた男なのだ。

 俺は現在生活保護で食いつないでいる。即ち自身の収入はなく、公共サービスによって食わせてもらっている立場だ。
 だがこの制度というのは当然のことなら古来からあるものではない。というか19世紀から始まったものだ。ならそれまでの間、俺のような食い詰め物がどうしてたか。一番ポピュラー(?)なのは追い剥ぎではないだろうか。
 自分で生産できる程の余力や環境が無い。だが死ぬのは怖いし飢餓の苦しみは逃れがたい。なら不正でも不法でも、人から盗むしか無い。分かりやすい流れだ。
 でも当然、昔であってもそれは許されることは無い。スリをすれば指を切り落とされるし、練兵ついでに討伐隊が組まれる、捕まれば罪人奴隷として売られる(という描写が色んな物語で出てくる。調べては無い)。どんな辛い世界であろうと、生産することから逃げた人間に人権なんて無いのだ。そんな余裕なんて無い。

 この流れで考えると、自分で生産することが出来ず食い詰めた俺は追い剥ぎになっていただろうし、当然のように事情の配慮なんて一考の余地もなく討伐されたり奴隷として売られていたのであろう。
 そんな人間が、現代では働かず食っていくことを許されているのが不思議な感覚になるのだ。勿論いつまでもそれを続けることが許されているわけでは無いし、俺だって自分で稼げるようになりたい。でも今回はそこじゃなくて生活保護という制度や、その他社会サービスについての話だ。
 以前であれば問答無用で処理されていたような人間が、兎にも角にも最低限の生活を保障されている。それは勿論可能性に賭けてであるとか、犯罪者予備軍の統制といった目的だろう。ただそれがあるおかげで、俺は今生きることが出来ている。
 そしてそれは俺自身の努力ではなく、ただそういう時代に生まれたという幸運でしかない。

 前置きというか言い訳が多くなったが、結局今回書きたいのはこれだ。
 社会サービスというのは文字通り「有難い」ものなんだということ。
 連綿と続く人類の歴史の中で、少しずつ人の社会というのは優しくあろうとしてきている。時としてそれは人を楽に生きるよう思考能力を奪うことと表裏一体であるが、それでも凄い事なのだ。
 食うに困って殺されるか奴隷になっていたような存在でも、簡単に(素早く事故も無く)10kmとか移動できるし、世界中の情報にアクセスできるし、ゲームだって出来る。たまになら酒も飲める。医者にかかれる。それもただ生まれた時代や国が良かったというだけで。
 だからきっと、俺はそれを幸せに思うべきなのだろう。

 ただ同時にこう思ってしまうのも人間だ。
 「さっさと殺して処理して貰えてた方が楽だし迷惑をかけずに済んでいたかもしれないのに」
 別に俺はまだ、四六時中死にたいなんて考えているわけでは無い。ただ社会のお荷物になっていることへの罪悪感は消えないし消すつもりもない。だからそこまでして生かしてもらえる価値が自分にあるのかと弱気になることも多々あるのだ。そしてきっと、時代や世界のせいにして死を選ぶのはある意味では楽な道でもある。

 またこれに関連して最近気づいたのは、結構「国や社会は自分を幸せにして当然だし出来てない今がおかしい」と思ってる人が多い事。
 世の中には不条理や苦悩がまだまだあって、しかもその悩みの種は千差万別。昔からずっと人々が直面してきた悩みもあれば、時代の変化で新たに表れた悩みもある。
 だからなんて言うんだろうな、教育制度がどうのとか、コロナ対策がどうのとか、社会保障がどうのとか、働き方がどうのとか。自分で抱えきれないときに方法論として社会のせいにするのは大いに有効だと思うけど、その悩みは社会が解決してなければならなかった問題なのに悩まされてるって考え方は危険だなとも思う。
 人類の社会の在り方もまだ発展途上なのだから不完全だし、社会に完璧を求めると同時に自分に完璧を求めかねない。それに何より、自分で解決しなきゃ、違うな、自分で解決できる問題すら見逃しかねない。
 わりと俺はこの沼に嵌ってたから、あんまり強く言えないけどね。

 当たり前は思っているより当たり前じゃない。
 社会もまだまだ未成熟で、発展途上。
 だとしても、俺たちは良くも悪くもこの時代に生まれて、もう他の時代に生まれを選ぶことも出来ない。
 その中で、自分の幸せのために何が出来るかを考え続けなければならない。
 まとめるとそれだけの話でした。

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