人間

 先日、かたらーなin世田谷という、ひきこもり当事者のイベントに参加してきた。
 一般参加者としてではなく、ゲスト講演者としての参加だった。
 先月の中頃からペースを崩してはいたものの、丁度その出演を目標に睡眠リズムや資料の準備などを調整しての参加だった。
 個人的にはかなりのリソースをつぎ込んでやっと参加出来たイベントだったが、間違いなくそれに見合う大きな収穫があった。あるいはそれ以上の、自分の中の今まで引っ掛かっていた次のステップに行くための大きな一歩への契機となった。

 まず、単純な感想を敢えて卑俗な言い方をするなら、気持ちよかった。
 当日リアルで目の前で聞いてくれた人は10人ちょっとでしかない。それだけでなくオンラインで聞いてくれていた人達も居たが、何人くらいいたのかは分からない。
 だが、彼らは聞いてくれた。頷いてくれた。共感してくれた。賞賛してくれた。興味を持ってくれた。
 特に今回のイベント、純粋な当事者よりどちらかというと支援者寄りな元当事者の方々が多かった(体感2,3割)。そんな中俺の内容を聞きに来てくださった方の半分くらいは、日ごろから活動している人達だった。そんな人たちが俺の発表を、虚勢を、肯定してくれたのだ。
 認められた気がした。間違ってない気がした。
 今までも色んな人達が俺の考えを応援してくれた。そんな人たちと合わさって、ようやく自分の中で、自信を持っていいんじゃないかと思うくらいの数に達した。
 だからまた、戒めねばならない。この感覚は麻薬だ。調子に乗ると化け物になる。あくまで社会一般から見れば異端者であることを忘れてはならない。その場で聞いてくれていた人たちの中にも空気を読んで批判しなかっただけの人は幾らでもいる事を忘れてはならない。
 ……だが、同時にこの一つの壁を乗り越えさせてもらった感は、有用だ。素直に受け取らせてもらおう。


 そして、終わって一人で電車に乗りながら、真っ先に感じたのは儘ならなさだった。
 ここ最近ずっと引っ掛かっていた壁、「俺の主張は支持を得られるのだろうか」という不安。それがたった半日で半減した。勿論、これまで応援してくれた方々がいたからそれと合算してではあるが、切っ掛けは半日だ。
 やはり顔を合わせて複数人からというインパクトは大きい。
 だからこそ、悩んだ。この体験は再現性が低いのだ。

 俺たちは個人だ。英語で言うとindividual、原義は”それ以上分けられない物”だ。その独自性は他者から操作されること能わず、当人だけのものだ。
 だが同時に俺たちは人間だ。人の間に生まれた意識だ。人は他人を通して世界を観測し、他人を通して自分を知る。
 世界を変えるには他者を見る自分の主観を変えなければならないし、自分の主観を変えるには他者の介入が不可欠だ。
 長く続けた思考だけでは到達し得なかった境地に、他者の助けがあればあっさりといけた。いけてしまった。それがとても有難く、怖い。
 だってそれは、とても有難いことなのだ。有ることが難しいことなのだ。他者の行動は自分にはコントロールし得ない。にも関わらずそれが必要条件なのだ。
 この境地に至るまでに、俺はそれなり以上の思考と苦悩を煮込んできた。それは生半可で真似できる程安いものではないと自負している。間違いなく、それは必要だったと思う。他者に応援してもらい、支持して貰い、助けてもらうには必要なものだったと思う。
 だが、あくまで必要条件であり十分条件ではないのだ。
 とてもとても当たり前なことに、自分一人では変われないのだ。他者という不確定要素に、頼らなければならないのだ。
 その為の切っ掛けを、俺は自分の能力で掴んだ。無論俺一人の力ではない。しかし俺自身が願い望み、引き寄せたものではある。自分の能力とはつまり、論理構築力と解説力、及びそれらの自身の有用性を継続的に示すことだ。物凄く雑に言うと、コミュ力は高い方だ。
 他者の協力を得るためにはコミュ力は重要だ。それを俺は先天的に持っている。自分の中のリソースを莫大に食うが、相応に出力も人並みよりかは大きく出せる。しかし努力して得た能力ではないので、それを人に教える事は出来ないのだ。
「いやだって、ニコニコハキハキしてたらほぼ確実に印象はいいじゃん」
「説明だって整理して言語化したら伝えられるじゃん」
 こんな感じなのだ。無論もう少し具体的に解説は出来るが、根本的に何で出来ないのかに覚えが無いので実が無いのである。
 だから俺はこれで前に進めそうだが、他の人はどうか分からない、といった感じなのだ。
 それだけじゃない。やはり俺の中で同じことを繰り返していけば次の協力を得られると言う感覚も薄い。

 ごちゃごちゃ言ったが、結局のところ
「有難い事に機会に恵まれたし、有難い事にそこに辿り着くために必要な能力も持ち合わせていた。だがそれは本当に有難いことであり、幸運でしかない」
 そんな感覚が強いのだ。

 実を言うと、俺はこれに対しての答えは「知って」はいる。
 成功者は言う。
「頑張っている姿を必ず誰かが見てくれていた。勿論それは絶対じゃないかもしれない。自分がどれだけ幸運な人間なのか、身に染みて知っている」
「だがなんとなく『多分何とかなる』という感覚は持っている。それは小さい成功体験の積み重ねから得たものだ。」

 だが、そこに論理と方法論を見つけ出すのが俺の仕事だとも思うのだが、何とも言えない。


 また話は少し逸れるが、人は色んなものに影響されながら生きているのだな、とふと感じた。
 アニメや小説、誰かの言葉、誰かの仕打ち。そういった様々な刺激が人生には訪れる。同じ人間であっても後から言葉の意味が分かることがあれば、同じ時であっても人によって別の解釈をすることもある。
 個性と言う言葉はしばしば生まれ持ったものを指して使われる。だが生まれ持った物を始点として、何に影響を受け、何をスルーし、何が経験として残り、何を経験せず今があるのか。
 乱数×乱数×乱数×乱数×……。それらの積み重ねの総積が人間が多様な理由なのだろう。
 そしてその影響は連鎖する。
 祖父から受けた愛の無い教育が息子への暴力的な教育になることもある。
 アリストテレスから発した哲学がカントに影響を与え、ニーチェに繋がる。
 ガンダムに影響されてコードギアスが生まれ、その二次創作が生まれる。
 明確に元ネタとならなくても、感動しただけで人は影響を受ける。そしてまた自ら感動を繋いでいく。感動とは必ずしも良い物ではないかもしれない。悔恨や憎しみ、諦念や不信のことすらあるだろう。
 その影響を受け流さず、自分の血肉を形成する経験の一部として取り込まれた時点で、そこから先の取捨選択にすら影響を及ぼしていく。
 何気ない言葉が人を変える事もある。
 どんな行動も、相手に届かないこともある。
 そんな無限の予測不能の連鎖が人間社会というものなのだろう。
 そしてそんな予測不能が自らを害するという経験を得てしまうと、身を護るために引きこもらずにはいられなくなる。自らの予測不能が他者を害すると感じて引きこもらずにはいられなくなる。
 だが交流を止めてしまえば、材料は増えない。同じ材料からは同じ考え、答えにしか辿り着けない。自分は変えられない。

 なんだっけ。
 そう、俺が言いたかったのは、事を成すのに自らが成す必要は無いと言いたかったのだ。
 俺は凡才だ。傑物にはなり得ない。せいぜい「それなり」になろうと足掻くだけの愚者だ。頭も口も回る。が、致命的にバイタリティに欠ける。これは生活習慣やメンタルも原因ではあるのだが、それを差し引いても生来のものとして欠けているのだろう。それでは大事は成せない。
 だがまぁ、それで良いという予感はある。
 俺の思想がガンダムや「君たちはどう生きるか」に影響を受けたように、将来の傑物の思想を支える切っ掛けを提供できれば良いのだ。
 俺は悪役で良い。悪役が良い。俺が主流とならずとも、それを乗り越える事で凡才を超える傑物が生まれるならば、それこそが本望なのだろう。

 あと、これもある。
 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。
 この言葉の意味を、俺は経験によって学んだ。
 この言葉は往々にして「過去の事例から学べる賢者になれ」という文脈で使われる。そんなことは、この言葉を聞いた最初に知っていた。
 だが思うのだ。「賢者で無き我が身は経験からしか学べない」という方が本質なのでは無いのかと。
 歴史から原因と結果を抽出し今に当て嵌めようとすること、それ自体はそう大して難しくは無い。大概の人がやろうと思えばできるレベルの事だ。
 難しいのはその当て嵌めを真実、真実たり得るのだという実感を得る事だ。ありていに言えば危機意識を持てたり確信を持てたりするのかという事だ。
 経験なく、知識のみでそれを得られる人がいるのか想像も出来ないし、居たとしても極々一部の超人だけだろう。あくまで我々に出来るのは、自身の近しい経験から類推して、納得することくらいだ。つまり、経験のないものは分からないということだ。賢人であれではなく、愚者であるからこそ、それを肝に銘じておくべきだと俺は思っている。
 とはいえ、ここでの経験というのは必ずしも自身の主観である必要は無い。例えば体験談を聞くことや、物語やゲームでの追体験でも構わない。ようは感動して、価値観の血肉になった経験があるかだから、自分が経験しててもスルーしてて忘れてたら意味がない。そういう意味では、現実ではきつすぎる戦争などの経験も得られるゲームや物語は凄いものだと俺は思う。

 まぁ、乱文だったが取り合えず今考えているのはそんなところだ。
 なんにせよ、色々と目処が立ってきたのでもう少しまとまり次第、また具体的な行動に移れる段階が来たように思う。
 以上

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