求められる振る舞い

 今日は徹頭徹尾主観の話であるので突っ込みはよしてくれ。

 俺の人生、主観の物語では、他人が何を求めているかなんてそう難しい事じゃない。話してれば何を求めてるのか分かるし、何をしたいのか、何を嫌がるのか、どう自分を守りたいのかが明け透けに見える。多分相手自身が自覚している以上に。
 勿論全部に応えられるわけではないけど、出来る範囲で応えてやれば良い人扱いされること自体は容易い事なのだ。それを実際に相手が求めているのかはまぁ分からないけど、大体の場合応えようと動いて外れたと思ったことは少ない。

 だけど幾ら何を望んでいるか分かっていたって全部に応えられるわけじゃない。単純に俺にそれを出来る能力や立場が無い時だってあるけど、俺の身が持たないという部分も大きいのだ。
 俺に言わせれば世の中の殆どの人は身勝手に過ぎるんだよ。自分のwantとbeのギャップを近づけるためのコストを他人に払わせようと無自覚に押し付け合ってる。自分は正しいんだから間違ってるお前が変わるべきだとか、弱い私を助ける義務がお前にあるとか、自分は楽な方やってるから辛い方はお前がやっとけとか、そんなんばっかだ。
 中には実際にその主張に正当性があることもある。でも、正当性なんて関係ないんだよ。自分のすべきこと、できることを他人に押し付けていることに無自覚なのが許せない。それが文字通り「有難い」ってことを忘れて当然って顔してる奴らが憎い。
 なまじ何をやれば相手に喜ばれるか分かるから、やらなければ、出来なければネガティブな反応が返ってきたときに何が悪かったかが分かる。相手に責任を押し付けることも出来ず、自分のこの選択が悪かったんだってなる。

 割と真剣に分からないんだよ。普通の人たちはどうしてそんなんで生きていけるのか。
 求められる自分がはっきり見えるから、現在の自分と自分のエゴを否定し続けなければならない。だって求められる自分として振る舞い続けなければ殆どの人がすぐ俺のことをゴミを見る目で見てくる。
 ありのままでいい? それを許容する場はあるけど、ありのままの自分を必要としてくれる奴なんて居たことが無い。
 好きに振る舞えばいい? 好きに振る舞えば「口だけ達者な異教徒」扱いされて蹴り出される。
 そう産まれてしまった時点で俺は終わりなのか? 自分を殺して他人の道具として他人の弱さに応え続けなければ生きることが許されないのか?

 何を求めてるのか想像するのは容易だ。だけどそれに応え続けるのは体がもたない。
 俺の人生は弱さに応えて求められたことはあっても、ありのままや我が儘に振る舞って求められたことは無い。何時だって俺から持っていこうとするばかりで、俺に投資してくれる人なんてい居なかった。「くれ」って思っても応えてくれる人なんて居なかった。

 だけど俺はここでもまた馬鹿になれない。そう思っていることは本当だけど、その認識が歪んでいることを、自ら望んで歪みを維持していることに無自覚でいられない。
 俺が馬鹿にし見下し憎んでいるやつらと同じように、俺自身もただの「くれくれ」であると。
 他人からより多く盗もうと、そんな自分を正当化するために自分は不幸なのだと献身が過ぎるのだと主張したいのだと。
 そのために自分が貰っているさり気無さを見て見ぬ振りしているのだと。
 そしてまた自己嫌悪に陥る。

 絶対になりたくないけど、もっと愚かに生きられてたのならと思うことを避けられない。もっと愚かに他人を否定し責任を求め、自分の楽を盗むことに罪悪感を覚えずに生きられる人間だったらもっと楽に生きられたんだろうなと。実際は別にそんなことはないだろうし、今となってはそんな自分を想像すると反吐が出てガチ目に死にたくなるけど。

 まぁこんなの言い訳だ。
 全部全部、言い訳だ。
 あらゆる言葉を取り払えば、結局言いたいのは
「俺のやりたいようにやらせろ」
「だって俺が正しくて社会の方が間違ってるんだから!」
 ってだけなんだから。
 どう言い繕おうと、どう正当化しようと、俺はそれを強請り続け喚き続けているだけの雑魚でしかない。
 それを自覚せずにはいられないから、こうしてまた猛烈な自己嫌悪に呑まれる。


 話は変わるがこのまま愚痴を続ける。

 結局のところ、俺が出来るのは、すべきなのは自分で動き続けることだけなんだと分かってる。
 そして俺のwantとneedsを擦り合わせられるのはやっぱり何らかの発信だと考えている。
 そこまで分かっていて尚同じところをグルグルしている。
 どうやって動画を作るのか。
 パソコンはある。編集ソフトもある。でも映像はwebカメラだけだ。音響環境も安物買ったせいでまともに機能してない。だけど当然撮影用のビデオカメラを買う金なんてない。撮影する場所もない。そして俺の顔はキモい。画として不愉快だ。もし撮ったとしてそのクオリティは? 何を話す? 半端な内容じゃ誰も観ない。整理のついてない俺様理論を垂れ流して誰が見たいと思うのか。編集だってそうだ。無編集で誰が見る。でも編集を誰がやる。俺が? どうせまたクオリティに不満を持って嫌気がさして逃げ出す。
 分かってる。答えは一つだ。取り合えず今できる環境でまずは撮ってアップロードすること。無編集のまとまりのない垂れ流しでもいい。そもそもYouTuberなんて年単位の時間続けてやっと登録者が増え始めるものだ。試行錯誤を始めなければ増えるものも増えない。
 分かっていて尚、続けられる自信が無いのだ。半年間再生回数二桁でも続けられるだけの何かしらの理由を探し続けている。或いは早めに再生回数三桁四桁になるための導線を探し続けている。
 きっとこの時間は必要な足踏みだ。ここを疎かに目を瞑って踏み切ってしまうとまた絶対コケるのはいい加減学んだ。納得のいくまで寄り道しないと次に進めない。
 分かっていて尚、焦る。焦る。焦る。焦る。

 バイトの面接も落ちた。それが今こうやって荒れてる切っ掛けだ。
 だがまぁ落ちる理由も想像がつくって感じだったし、これミスったなって感じだったからダメージは想定の範囲内だ。
 だけどやっぱり焦る。何か、何か前提条件が変わらないとここは突破出来ない気がしている。思考だけじゃなくて環境が変わる必要性があると感じている。金銭面と生活習慣と人間関係全部含めて多少変わらないと突破出来ない予感がする。
 だけど焦る焦る焦る焦る。ロッククライミングの次掴む取っ掛かりが見つからない感覚。このままだと消耗して落下してしまいそうな焦り。

 焦る焦る焦る焦る。

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