間に合わなくなるのを待つあの感覚

 先ほどふとリゼロを見ていて、久しぶりにダメージを受けた。第29話、二期のスバルが転移前の不登校時代の過去に向き合う回だ。8時を過ぎる時計を苦しそうに睨んで、誰ともなく「もう今から行っても間に合わないから」と言い訳するシーンだ。このシーンを見るのは二度目だが、間抜けなことにガードが間に合わなかった。リゼロはいい作品なのは間違いないんだけど、要所要所でガード出来ないダイレクトダメージが入るから嫌いだ。
 そんな感じでトラウマど真ん中を刺激され、小一時間ノックダウンしていた。今も少し足が震えている。

 まぁそんなわけで、久しぶりにこの感覚を思い出したという話だ。
 まだ間に合うっていう、間に合わなくなるまでの10分間。今なら間に合うから行かないとという強烈なプレッシャーと、頭が真っ白になって体が竦み、猛烈な拒絶感に全身が支配されるあの感覚。そしてそれが毎日毎日繰り返される感覚。
 久しく忘れていたよ。
 色々環境と経験が改善された今となってはなんだったんだろうって思えるほどの、あの感覚。
 全世界から責められているような、この感覚。

 俺は厳密には不登校だったわけではない。
 高校時代は保健室登校は何回かあったが、毎日腹痛と吐き気しながらなんだかんだ通っていたし、大学時代はまぁ、実質不登校だったのだがバイトの寝坊と大学生特有のサボりっていう風に捉えてた。後はやっぱりバイト含む、仕事の時間に対する記憶か。メンタルヤバくて、でも体調不良とは言えなくてギリギリまでウンウン唸ってて、無断欠勤になって怒られるのが怖くて次の出勤日も堪らないストレスを感じる感覚。
 全身が常に緊張状態になり吐き気がして腹がグルグルなり出し、しまいに頭痛が来てようやく体調が悪いと言い出せる体験。体調が悪いから行けないのではなく、行きたくなさ過ぎて自ら体調を壊して体調が悪いという事実を作り上げていく感覚。

 別に全員が自分を責めているわけじゃないと分かっている。でも誰もが自分を批難の目で見ているかのような感覚。心配の声も、気にしないふりも、そういった気遣い全てが一層自分を追い込む感覚。
 出来ることなら、自分なんて居ないものとしてスルーして欲しいのだ。別に女子トイレを覗けなくったって透明人間になれるのならなってしまいたい。
 でもやっぱり誰かに自分を見て欲しい。掛け替えのない自分だと認めて欲しい。
 でもそうすると自分の不在というのは大きな迷惑になる。心配をかけることになる。
 でも居なくていいなら消えてしまいたい。
 そんな矛盾。

 じゃあ今思い返して、どうすれば良かったんだろう。
 結局は経験の連続がトラウマを厚塗りする。
 だからまぁ、一番は行かないのが当たり前の日々を繰り返し上塗りすることだろう。俺はそうして多少立ち直った。
 ただ学生時代は短いから、一日の重みが尚大きい。安易には取りづらい方法ではある。
 もう一つ思いつくのは、思い切り攻撃性で吐き出すことか。結局はストレス状態に対して防衛迎撃態勢を取るも、事態が解決しないから行き場のないエネルギーが体内で暴走するというメカニズムに思える。
 そういう意味では心の底から誰かのせいにして「俺は悪くねぇ!」「全部ヴァン先生が悪いんだ!」って泣き喚いて他人や物に当たって、ストレスを発散してしまうというのもかなり有効な気がする。
 ただいい子ちゃんの場合そうやって他人のせいにするのはダメなことだとブレーキを踏んじゃいがちなので、そこはある程度習熟訓練が必要にはなるだろう。

 取り合えず、この感覚をまた忘れる前に書き留めておきたいのはこんなところか。
 しかしまぁ、ホント当たり前ってのは一度ズレてしまうと滅茶苦茶負荷の大きいものでしかないよ。
 キツイな。
 寝る。

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