傲慢の本当の意味を知った気がする

 今、わりと変な境地に居る。
 明日のパンのことしか考えられない民衆が馬鹿に見えて、でもそんな彼らも今を生きることに必死なのだと知っているからバカにしてはいけないとも思えて。
 こんな世の中おかしいよ、なんでもっと優しい世界じゃないのと憤る人達に、当たり前だろ世の中自分のことしか考えない奴らが大半で、人類はまだ進歩の途中なんだからと冷めた目を向けて。でもその憤る気持ちが人類を善い方向に引っ張っているのだからその声をあげる行為は大事なことなのだろうとも思えて。

 難しい。
 世の中にはどうしようもないことが多すぎる。
 皆ももっと色々考えて、俺と同じ所までたどり着けばいいのになんて思うけど、きっと間違いなくそれは傲慢というもので、今を生きる大多数の人達に、この苦悩と思考と改心を強制するのは悪役のやることなのだろう。
 自分で言うのもおかしいけど、多分俺は頭が良い。自分が経験せずとも、この28年間ずっと探しては体験し続けてきた、沢山の物語の中の様々なキャラクター達の矜持や信念、生き様が蓄えられていたからこそ、たった一年程度の思索の中でこの段階までこれた。正直同じことを自発的に一年程度でやれる人は少ない筈だ。

 俺はこの傲慢とどう向き合っていけばいい?
 この傲慢さの行きつく処が、きっと革命運動家にでもなって主人公に倒される悪役なのは、今なんとなく体感している。
 いつだって支持されるのは大衆の味方だ。
 大衆は英雄を消費し、未来のために急いで過激なことをする人を笑い、嫌悪し、憎悪する。例え革命が成ったとしても、いずれ官僚主義と大衆に呑まれる。
 大抵その思想や理想自体は悪役の方が立派なことが多い。どうしようもないことをなんとか自分でどうにかしようとした結果、その手段が性急なものになってしまうだけで。
 世の中にはどうしようもないことが多すぎる。何百年単位で変えていかなければならないことが見えていても、自分の寿命という問題が付きまとう。正攻法が時間をかけることだとしても、自分が死んでしまえば何も出来なくなる。ならば別の人に託すのが正攻法なのだろうが、大衆が馬鹿に見えてしまうと、信用して託すなんて出来る気がしないのだろう。

 実を言うと、この辺は大体ガンダムシリーズの受け売りだ。逆シャーとかハサウェイとか。ほぼほぼシャーの視点に近づいてる。
 じゃあ主人公たるアムロがなんて言っていたかというと、「急ぎすぎ」「お前ほど人間に絶望しちゃいない」「だから人の可能性を見せつける必要があるんだろ」「お前たちエリートは気高い理想のもと革命を起こして、それが官僚主義と大衆に呑まれていくのを見て、失望して隠居するのが常だ。だったら最初から余計なことするな」こんな感じだったはず。
 つまりは、後の世のことを信じて、皆の常識を少しずつ変えていくのが正攻法だと言いたいのだろう。
 でもそんな奇跡と可能性の具現化したアクシズショックも、多くの人がそれを目撃していたのにも関わらず、その意味も理解せず忘れられ、ユニコーンの時代に入る。そこでもラプラスの箱をただただ効率よく利用するフル=フロンタルと可能性を信じるミネバ&バナージが戦って、そこでもまた可能性を示す。でもそれは所詮広い広い宇宙の一角で起きたことで、地球の人々はそれをただの事件の一つとして消費する。そしてハサウェイはまたテロで無理やり変えようとする。
 少なくとも宇宙世紀では、いくら可能性を示そうとも、後の世での地球の破滅は確定している。
 なら現実で考えてみるとどうか。

 例えば地球温暖化。正直その真偽について少し疑問は持っている派ではあるが、まぁ本当だった時が怖いので声高に反対を叫ぶつもりは無いので置いておいて。
 これこそ現実社会で現在進行形で取り組んでいる未来を変えるための大きな運動だろう。そして、ちゃんと地球全体で取り組もうと努力出来ている代表例だろう。
 民衆にもその危険性をしっかりと刷り込み、それに取り組むことが善だという共通認識を作り上げていく。これはきっと正攻法なのだろう。それを理想論で終わらせないために、金銭的な利害をしっかりと設けるところも含めて。
 他にも社会制度だ。障碍者雇用や生活保護制度なんて昔は当然無かった。でも例え欺瞞であったとしても、現在ではそういった福祉も充実している。
 人類は確かに、前に進んでいるのだ。
 だからきっと、人類史は善い方向に進んでいっているのだろう。例えそれが百年単位のスパンのものであっても。強権的なたった一つの独裁政権に壊される可能性が常に付きまとっているにしても。

 そう考えるとメディアの悪行というのも、必ずしも悪行とは言えなくなってくるのだ。
 どうせ民衆は自分で最善を考える事なんてしない。だが角の立たない方法で世界の舵取りをしなければならない。そうなると結局、気付かれないうちに常識を望む方向にすり替えるしかないのだ。
 そう考えると、悪いのは俺たちということになる。何も考えず、明日のパンのことしか考えず、与えられた常識を鵜呑みにしている民衆が。そんなんだから、期待出来ないから躍らせるしか穏便な手段が無かったのだと言われてしまう。
 ならやはり、現時点での世界も、そう悪い形では無いのだろうか。それを善人の顔をしてやっているのには虫唾が走るが。

 好意的な考え方をすると、その理論で行くと現時点での権力者や資本家が自分の所に富や権力を集中させるのも理解できる。
 中途半端に考えて、反抗されたら面倒くさい。自分達はその先に居るから、お前たちの言うような次元はとっくに通り過ぎているんだ。説明したってここまで到達できないんだから黙って踊らされておけ。余計な事を考えないよう明日のパンだけを考えろ、一日の仕事で疲れ果てておけ。
 そういう結論になるのも、理解出来なくはない。

 でもそれって、どうなんだろうか。
 やっぱりそれは傲慢、なんだと思う。そんな現実的な諦めは嫌いだ。
 だって、そこに至るまでの手順が公開されていないじゃないか。
 今の視点がまだまだ低くて、確かに権力者たちの方が何段階か上の視点だということが明確に理解出来ないまま一生を過ごすことになる。
 それになんとなく気付いた所で、そこに至るまでどうすればいいかが分からないじゃないか。
 結局何千年の人類の進歩に追いつくために必要なのは教育だ。ならばそれを体系化して、教えられるところまで落とし込むのが先じゃないのか。それを出来ていないのに諦めるのは早すぎる。と、思う。

 筆が止まりそうなので、現時点での仮結論だけ書いておく。
 俺がやりたいのは視野が狭いということの自覚を促す事、そしてその段階の体系化、それの学習と試行錯誤の実験場としてTRPGを遊ぶこと

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