俺の悪い所

 今でもリクルートダイレクトスカウトにだけは登録していて、たまに求人を見る事はある。まぁ面接まで漕ぎ着けたことは一度も無いが。
 そうやって時折普通の就職と言う選択肢を思い浮かべる度に、やはり俺はもう真っ当な社会人にはなれないのだろうなと繰り返し思う。

 俺が社会不適合者である理由は幾つもあるが、結局のところその根っこは俺のプライドの問題ではあるのだろう。
 俺にとってこの世界は欺瞞に満ちたものだ。もう少し具体的に言うと、人に優しく譲り合おうと言いながら誰もが自分のために必死になって奪い合っているのをなんかいい感じに誤魔化している世界だ。正義を掲げて他者を批難する輩はその最たるものだ。上っ面では表現を取り繕いながら、誰もが我が儘を通そうと主張し続けている。
 別に俺は、自分の目的のために奪い合うこと自体は何も悪いことだとは思わない。それが生物の宿命で、協力することすら社会的動物であるが故の少しややこしい手段でしかないとすら思っている。それは何ら問題はない。だがどうにも許せないのはそんな自覚なく、自分の正当性を疑わず他者を否定することだ。結局のところ俺はこの恨み、憎悪を捨てきることが出来ていない。
 おそらくその根源たる経験は、昔一生懸命考えて思考でなんとかしようとして行動出来なかった事を『甘え』と断じられたことなのかと思う。だが今や理由なぞどうでもいい。分かったところで治療できる類の物では無いのだ。

 結局のところ俺はこの恨み、憎悪を捨てきることが出来ていない。
 だから自分の正しさを疑わずに生きている大人達に頭を下げるのが我慢ならないのだ。正確に言えば一時的に上辺だけ従順さを見せる事は容易だ。だがその反感はすぐにボロを出し、素直さはなくいずれ行動が止まる。
 そう、結局のところ下っ端に何よりも求められる「素直さ」と「従順さ」が致命的に欠けているのだ。かといって自ら事を起こしたり誰かを率いるような「自信」や「反骨心」にも欠けている。何時まで経っても恨み言を賢しげに語るだけのガキでしかない。
 そんなことは、誰よりも俺自身が知っている。だが、知っていた所でどうしろと言うのだ。俺にとって今のところ、世の中に感じている欺瞞との思考での戦いは人生の大半なのだ。自分の人生の大半を捧げた戦いを、「余計な回り道だった」と今更簡単に捨てられようか。自分の半生を捨てるくらいなら、残りの半生を捨てる方がマシだと思うのはそこまでおかしなことだろうか。
 順当なのはこれまでの半生を昇華し、残りの半生に活かすことだろう。だがその経験は任意に得られるものではない。

 まぁ、どれだけここで俺が恨み言を吐こうとも、大半の大人達にとっては滑稽なものでしかないのだろう。

「皆も同じ苦しみを抱えて、乗り越えて現実を生きているんだよ」

 そう優し気に、その実得意気に諭されることだろう。頭に血が上りそうだ。
 そんな小学生の時に通過済みの浅いレベルの話では無いのだ。もっと根本的な話をしている。
 そう怒鳴り散らしたくもなるが、だがまぁ分かっている。実際の所果たして本当に俺が他者よりも深いレベルでものを考えている保証は無い。他人の思考を覗けない以上、所詮は言語を通じて予想するしかない。そもそも自分の苦悩を無駄にしないために強烈な「俺はめっちゃ考えた」というバイアスが掛かっている。とてもじゃないが、冷静な評価などできる状況じゃないのだから。

 ずっとこの調子だ。
 他者を否定し、肯定する。自分を肯定し、否定する。
 その繰り返し。キリが無い。キリが無くとも辞められない。その繰り返しが必要だったと、思わずには生きていけない。

 分かっているんだ。
 どうせこのプライドは報われない。
 さっさと余計な感情に見切りをつけて、社会の部品になればそれなりの人生を送れるだろうって。ピーキーではあるものの一部ではそこそこ優秀な能力もあるし、なんだかんだ未だに豊かな日本なら生きていく事自体は問題なく出来るだろうって。そしてその選択肢を取れるのも、残り半年だって。
 でもやっぱり思わずにはいられない。どうしてそこまでして生きる必要がある? そこまでして生きる価値が、この世界にあるとは思えないのだ。

 ムカつき、思考し、憎悪し、感情を抜いて論を組む。
 俺の思考は、大抵に於いて負の感情を伴う。それに引っ張られないよう、或いは無駄に漏らして相手を不快にさせないよう、論を組む時は努めて無感情に組むようになった。それが当たり前になり過ぎて、結局人に反感を持たれるようになった。
 じゃあどうすれば良かったのか。感情的に、或いは感傷的に泣き叫んで同情を買えば良かったのか。でも俺には無理だそんなこと。人並みレベルの浅いところで悩んで納得した振りをし続けるのは俺が最も憎むことだ。それとも感情的に相手を論破すれば良かったのか? それもやっぱりその様な愚かさを自らに容認出来ない。論に従い感情を殺せばよかったのか? そこまで大人にはなれない。
 だからこうして、感情を載せて論を塗りたくり、愚かに成り切れずに自制し自省し自嘲する。

 だから俺は社会不適合者なのだ。
 半端に賢くて、半端に独立心がある。
 鶏口にも牛後にも成れない半端者でしかない。

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