借り

 歩きながらyuiの曲を聞いていて、ふと思い出した。
 いつ頃から俺の人生は後ろめたさで塗りつぶされたままなのだろう。

 小学生の頃はもう少し世界はクリアだったはずだ。
 色んなものがまだ新鮮だった。小3の沖縄に住んでいた頃の記憶は澄んでいる。公文に通っていた記憶も問題ない。小学校で児童会長選挙で負けて副児童会長になった記憶もだ。中学受験のため日能研に通っていた時も。
 やはり最初は中学辺りか。多分その頃にひぐらしを見て人生が変わったはずだが、その前から少しずつ翳っていた気はする。中学から高校の初期の暗黒期の時点でははっきりとその兆候があった。
 ただ所々澄んだ記憶もあるから、まだまばらだったのだろう。
 そして後ろめたさに塗りつぶされ始めたのは、まぁ大学時代だろう。

 俺は俺の人生しか、主観でしか生きたことが無いから、これが一般的なのか壊れているのかは分からない。
 俺の人生、少なくともここ十年程は罪悪感からの逃避の日々だ。
 何をやっていても、どんな出来事や人、イベントごとでも、どの記憶を遡っても、心に澱が降り積もって覆われている。汚れて濁った窓ガラス越しに世界を観測しているのだ。

 多分その正体は罪悪感だ。後ろめたさだ。
 宿題や予習復習をやっていないという罪悪感。成績が常に下から20番目くらいだという罪悪感。剣道の素振りをやっていないという罪悪感。大学の授業に出てない罪悪感。家賃を滞納している罪悪感。色んな手続きを滞らせている罪悪感。生活保護で生きている罪悪感。
 自分に嘘をついている罪悪感。

 俺は真っ当な人間じゃない。
 親に借りた金は当然返しきれていないし、クレカも止まっている。信用情報は傷だらけだ。
 サークルで振られた仕事も遅れた挙句適当なクオリティで間に合わせた。そんなのが積み重なって人間関係からも逃げた。
 会社からも逃げた。社長と相性が悪かったとか俺の体力が社会人をするには無さ過ぎたとかもあるけど、結局のところやりたくない仕事はやりたくなかったというのが本質だ。どれだけ自分に言い聞かせようとしたところで我が儘が拒否反応を示すのだ。
 挙句今は他人の金で生きている。何も生み出していない癖に消費だけをしている。

 中高の頃から兆候はあって、大学の中頃からは確実に。
 俺にとって生きると言うのは負債を積み重ねることだ。そんな罪悪感はずっと自分を否定し続ける。

「何楽しんでる」「そんな価値のある人間か?」「責任も果たしていない癖に」

 深夜の散歩で近所の小学校の横を通り、yuiの懐かしい曲を聞いていたら古い感情の記憶がフラッシュバックしたのだ。
 そこに後ろめたさのフィルターが無くて崩れ落ちそうな衝撃を受けた。
 今や基本的に一時たりとも拭われないフィルターも、最初からあったわけではなかったのだという理解不能なインパクトがあったのだ。

 俺は現実を生きているようでいて、生きていない。
 windowsに表示される世界も、部屋の窓の外に広がる社会も、感覚的には大差無いのだ。ただリアルのアバターは生理的な欲求が発生して痛覚があって死んだら終わるというだけだ。
 このフィルターはある意味では十分すぎる安全マージンとも言える。常に失敗することを想定して、その上でなるべく損失から打撃を受けないようにしか立ち回らない。既に負債が返しきれないほどあるのだ。これ以上増やすわけにはいかない。


 なんでこんな話が出てきたかと言うと、一言で言うと次のステップが分かってしまったからだ。
 今俺は蹲って引きこもっている。
 ここまでの道のりで自分を知った。自分の見ている世界を知った。やりたい事を知った。
 だからもう、前準備は一通り終わってしまったのだ。今いるのは現実にどうアプローチするかの段階だ。
 そして必要なピースは手元に揃っている。勿論準備万端ではないが、感覚的にも確実に次は具体的な行動を起こしてみる段階だと分かっている。
 そしてその具体的な手段も検討が付いた。感覚的にも違和感が無いから、多分それで良いのだと思う。
 グダグダ言ったが、要は1分の動画を取ってそれを投稿しそれを色んな人の手を借りて初速を上げるという話だ。あとはやるだけ、行動するだけだというのにいつも通りに引きこもっている。

 そんな状況だからいつも通り考えを整理するために深夜の散歩に行ったのだ。で、答えが出た。有り体に言えば、俺に足りないのは覚悟だ。
 安全マージンたっぷりの、失敗すること前提の今のスタンスで出来ることは終わったのだ。ここから先は責任が発生する世界なのだ。場合によっては己が勘違い野郎でしかないと証明されてしまう世界なのだ。
 覚悟が足りないと気付いて、じゃあ1年以内に何も変えられなかったら死ぬかとも考えた。が、なんかしっくりこなかった。よく考えずとも当然だ。そもそも俺の命なんてそんな重くない。覚悟のためにベットするにはあまりに軽すぎる。
 で、そう時間がかからず答えは出た。というか知っていたことを思い出したという方が正しいか。他人を巻き込むことだ。

 俺はずっと逃げてきた。
 他人を巻き込むと責任が発生する。その責任から逃げ続けた結果、俺は自分への信用を完全に失った。他人の力を「借りる」という事は「借り」が出来ることだ。
 返済能力も信用も無い人間は、その場で、或いは予め対価を払えないのでなければ借りるべきでない。
 そう、これだ。

 返済能力も信用も無い人間は、その場で、或いは予め対価を払えないのでなければ借りるべきでない。

 それが常々自分に戒めてきたことだ。お前は返済能力も信用も無いのだと。
 だがいい加減そこを避けられないのだと思い出した。
 今までも何度もこの壁にぶちあたった記憶がある。というよりその度にこのnoteに書きなぐった記憶がある。
 だが今までに比べると、比べるとではあるが以前よりムリゲー感が和らいでいる。頑張って踏み切れば乗り越えられるような気もする。
 その理由はなんとなく把握できる気もするが、まだちょっと言語化していない。疲れた。

 ここを、こここそを乗り越えられれば、一気に物事が動き出す気がする。
 問題は、それを俺が出来るかだ。

寝る

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