「私の悩みに答えはありますか?」 ニート先生お悩み相談室
「学校・会社に行きたくない」
「好きだけど今の関係を壊したくない」
「ダメな自分を変えたい」
世の中には沢山の人が居て、それぞれが沢山の悩みを抱えている。
沢山×沢山で、その悩みの数は超沢山と言えるだろう。
だけど案外悩みの種類というのは似通っていて、「あるある~」というような悩みと言うのもそれなりに存在する。
これから試しに、そういったお悩みに答えるといった体で、僕の考え方を例示していこうかなと思う。
第一回はそれに関連して、「じゃあ共通する悩みには共通する答えがありますか」という質問に答えていこう。(セルフで)
人が悩みに直面した時に幾つかのパターンがあるが、その一つの「ネットで調べる」というのはかなり一般的だろう。
ネットには情報が溢れている。ネットを通じて自分と同じ悩みを抱えた誰かの存在が感じられるだけで、少しばかりの安心感を得られることも多い。
「共通する悩みには共通する答えがありますか」
雑に言うと、場合による。
「スマホが動かない」みたいな悩みには「取り合えず先ずは再起動」みたいな共通回答があるし、「兄貴のイビキがうるさくて眠れない」みたいな悩みには「自分の部屋強請れ」「音楽聞きながら寝ろ」「兄貴の鼻摘まめ」とか幾つかの回答が他の環境設定によって変わってくる。
だがそんなことは誰だって知っている。
今のは質問の回答としては正しいが、相談の回答としては不適切だ。
「共通する悩みには共通する答えがありますか」
この相談の意図は何だろうか。どんな回答を求めているのだろうか。
想像できるのは2パターンだ。
「あなたの悩みはあなただけの特別なものだよ」
「どんな悩みも長い歴史の中で誰かが乗り越えてきたものだから、あなたも乗り越えられるよ」
どちらの言葉が欲しいかは人によって変わる。
それどころか、同じ人でもタイミングによって変わる。
人間と言うのは矛盾を内在した生き物だ。
周囲から逸脱することを本能的に恐れる反面、周囲に埋没することも嫌う生き物だ。
正しい答えを教わって安心したい反面、「ありきたりだね」とばかりに自分のこの苦しい感情を切り捨てられるのも嫌だ。
その矛盾は、何も恥ずかしいことでは無い。
そういうもんだと思った上で、敢えて僕は「あなたの悩みはあなただけの特別なものだよ」という回答のみを答えたい。
何故なら、俺がそうあって欲しいと願っているからだ。
悩み方には幾つもやり方があるが、一般的で有効だとされている手法の一つに「整理する」というものがある。
多くの場合紙に書きだして、悩みに言葉という形を与えて列挙し、見える化する。
取り出す前の洗濯機の中の服のように、絡み合った悩みを解きほぐして紙の上で乾かし、一つひとつ畳んで解決していくのだ。
これは非常に汎用性が高く多くの人にとって有効な悩みの解決の方法で、僕自身もよく使っている。
そうやって整理された悩みを文字として眺めると、案外単純なことなんだなと思える。
余計な不安の感情で膨張していたんだなとバカバカしく思えてくる。こともある。
そしてシンプルな問いにはシンプルな答えがあるように思えてきて、それを自分も真似すれば大概のことは自分も乗り越えられる。
それはとても良いことだし、解決に必要なことだ。
悩み続けてウジウジしているよりか、片っ端から解決して行動する方が現実は改善するのは間違いない。それは良い。
だが、全てそれだけで良いのかと考え直した時、僕は否やと唱えたい。
整理する以前のグルグル回る悩みの状態。
これは、必ずしも取り出す前の洗濯機ではないのだ。悩みとは服のように元々は独立していた課題ではなく、もっと有機的に絡まり溶け合い結合したものなのだ。
僕の感覚的には(有機的と言いながら)、精錬前の鉱石に近い。
一つの石頭の中には、様々な組成の鉱石や金属が混ざっていて、その分布も一律じゃない。固まっていたり散らばっていたりする。それを溶鉱炉をウンウン呻らせてかき混ぜることで融解し、言葉によって冷却してそれぞれの課題と言うインゴットを精錬する。
そうやって悩むことで、例えば銅にスズが混ざって青銅が作られるように、複数の悩みを悩み抜いた上でより高度な発見や理解が得られることがある。
僕はこの、精錬作業が好きなのだ。
その結果現実で動く気力リソースが足りず引きこもってはいるけれど、それを自覚していて尚、ただ悩みは解決すればいいだけのものだとは思いたくない。
悩んで悩んで、悩んだ末に突然起きた化学反応によって得た洞察や直感が、僕は価値あるものであって欲しい。
そしてきっとその精錬前の石頭は人それぞれの人生によって違っていて、きっとそこには僕には至れないような化学反応が起きる可能性がある。それを見たい。
だから「あなたの悩みは特別だ」というのは、実質ただの僕の願望なのだ。
ただ、一応それだけじゃなくて多少の屁理屈もある。
詳しくは別の機会に解説するが、今後、少なくとも僕が生きている間には汎用的なものや一義的なものは人間ではなく機械のものになると思う。
こういう課題があって、こういう結果が欲しいです。状況設定のデータがあって、明確な条件設定があって、明確な、或いは多少曖昧な程度のゴールが定められているのであれば。そういう明確な答えが出せるものであればそう遠くない内に人間がやる必要がなくなると思う。
定められた原料を定められた手順で加工して、定められた製品を作り出す。
それと同様に、必要となるデータを勝手に収集して、データ処理によって最適な手順を割り出し、自動で要求された成果物(システムや情報)を弾き出す。
この程度は恐らく十年先には出来るようになっているような気がするし、色んな頭の良さげな人が似たようなことを言ってるのでまぁそうなると思う。
そして僕が生きている間には、それによって「最適」や「合理的」「正確」「汎用的」といった性質は「それ人間がやる必要あるの?」となると思っている。
ありふれたものを軽視して、手に入りにくいものを有難がるのが人間の本質だからだ。
そういう視点で見れば問題の解決なんて、それが例え自分の人生の悩みでも、やがて「オッケーgoogle」と問いかければAIが最適な対処を教えてくれるようになる程度のものになると思う。ついでにその解決までチャチャっとAIがやっといてくれるだろう。
だが、当然それは未来の話であり、あなたの悩みは今あなたを苦しめるものだ。
今のあなたの心を軽く出来るのは、問題の解決法を探ることかもしれないし、心配事の整理かもしれない。
溶鉱炉で合金のような洞察を得る事も大事かもしれないが、基本的にはまず洗濯機から服を取り出して片づけることの方が大事なのは間違いないだろう。
一つ一つ悩みを解決し整理することを怠り過ぎると、俺のように引きこもる結果に陥る可能性があるのでご注意を。
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