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『おろち』、心のオアシス。

実家を出る時、どうしても持っていきたい漫画があった。
手塚治虫や水木しげるの漫画もけっこう揃っていたし、ドラえもんやまんが道も新居にあったら素晴らしいなと思っていたが、私がどうしても持っていきたい漫画は楳図かずおの『おろち』だった。

もともと新しい漫画はあまり読まずに生きてきた方だ。多分、2014年に「あさりちゃん」が全100巻でその歴史を終えたあたりで私もほとんど止まっている。
最近の鮮やかな伏線回収で読者を圧倒するおしゃれな少年漫画とか、全然わからん。
それは置いといて、私がとにかく新居に欲しい漫画は『おろち』だった。
しかし実家にある漫画は大抵私のものではなかったため、自由に読むことは出来ても新居に持っていくことは出来ない。なんなら『おろち』が必要になると実家に帰ってひと通り読んでからまた新居に帰ることもあったくらいで、新居に早く『おろち』が必要な状況であった。

そうしてカーテンより先に『おろち』を買った。
カーテンはないが『おろち』は揃っている女子の部屋が生まれた。

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『おろち』は全部で9話。私の購入した小学館版で全3巻(1冊厚さ3cm)、秋田書店版で全6巻とかだったと思う。
物語の語り手である少女・おろちが、毎回興味を持った家庭や人間関係を傍観したり余計なことをしたりしてその顛末を見届けるという内容である。

これがどうしてそんなに好きなのかと言われると、これがこれでこうだからです!と断言はできないのだが、とにかく私は嫌なことがあったり日々に疲れたりするとすぐに『おろち』を引っ張り出して1巻から3巻までを読み通した。
読み終えると非常に晴れやかな気持ちになった。
人が不幸に陥っていくのが爽快とかそんな単純な話ではない。ただただ人が不幸になるのを見たい時は『笑ゥせえるすまん』(藤子不二雄A)も全巻揃っているのでそっちを読む。
『おろち』は意外と「まあこれはこれで良かったのかもな」という結末を迎えることもある。

私の好きな話は『おろち』全9話の最後にあたる『血』という話。
おろちがある姉妹の人生を見届ける内容になっているが、これが第1話の『姉妹』と重なるようで美しい。
第1話の『姉妹』では仲の良かった美しい姉妹が、呪われた血筋によって破滅する物語。
対する最終話『血』は、良家に生まれた姉妹の物語。姉は性格も良くて勉強もできて...と家庭や学校で可愛がられて育ち、対する妹は姉と比較されながら厳しくつらく当たられて育つ。
その姉妹がやがて大人になり、姉の方が病気で寝たきりになると、妹も一緒に暮らして姉の世話をするようになる。

この話でおろちは今までと違い、自分の意思とは少し違った形でこの姉妹と関わることになり、最終的にはおろちもこの姉妹の因縁と復讐劇に利用されることになる。

最終話で強烈に印象的なのは終盤での妹のセリフ。
「おねえさま あなたを神のような人として死なせたくなかったのです」
「死ぬ一瞬に神のようなあなたが もろくもブタよりもいやしい女といわれ死ぬことがわたしの目的だったのです」

1話からここまで読むと、私はすっかり体が軽くなったようになる。
妹の復讐は果たされた。妹も満足しただろう。この姉妹をこんな風にしてしまったのは周囲の人間であって姉は別に悪くないと思うのだが、妹がどうしても姉を恨んで仕方なかったのならそれで良いのだろう。
この場合、妹にとって重要なのは、美しいだの性格が良いだの持て囃されて生きてきた姉が、最後に自分と同じように周囲から蔑みを受けることだったのだろう。

『おろち』の好きなところは、改めて見ると復讐の是非を問わないところかなと思う。
復讐しても何にもならない!そんなことをしてあの子が喜ぶと思うのか!恨む相手が違うだろ!とか、復讐を止めるのは簡単かもしれないが、それで最終的に満足しているのはやめさせた側だし、そんなもので納得してしまうならほっといても大丈夫だったんじゃないかという気もする。(そんなことはない)
自分が納得するようにやることだ!
その後の人生が不幸になろうが穏やかな暮らしを得ようが、やはりあいつに復讐してから死にたかったと思いながら生きるよりは幸福なのだ!

それから、『おろち』を読みすぎるとテンションが上がった時に「〜なのだ!〜なのだ!」という文章になりがちです。

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