喘鳴

昨年は多くの良い詩と出会いました。
谷川俊太郎『六十二のソネット』より、とびきりのお気に入りを紹介させてください。

十一 沈黙

沈黙が名づけ
しかし心がすべてを迎えてもなお満たぬ時
私は知られぬことを畏れ――
ふとおびえた

失われた声の後にどんな言葉があるだろう
かなしみの先にどんな心が
生きることは死ぬこととの間にどんな健康が
私は神――と呟きかけてそれをやめた

常に私が喋らねばならぬ
私について世界について
無知なるものと知りながら

もはや声なくもはや言葉なく
呟きも歌もしわぶきもなく しかし
私が――すべてを喋らねばならぬ

沈黙と静寂は似て非なるものである。
楽譜にかかれた休符は、休みを意味しているのではなく、音の不在という音楽である。

「沈黙は肯定とみなす」という表現があるように、沈黙は暗示的である。その意図するところをはき違えるおそれに足をすくませながらも、私はあるいは沈黙という仕方で発話せざるを得ない。

空白から出てきた言葉は存在しない。あらゆる言葉の前後には必ず文脈がある。しかし私たちはよく文脈を捉え損ねる。ところで、文脈とはいったい何を指す言葉であっただろうか。

私は、語るべき言葉を持たない諸事物に囲まれてきた。その最たるものは私自身だった。私が私を語ろうと企図した次の瞬間には、生まれた言葉は私の手を離れ、私が自分の頭からひねり出したとはとても思えないような言葉ばかりだとあきれた。

それでも、私は語ることをやめられなかった。

なぜなら私が語るのは、私を知らない誰かではなく、私のことを知ってほしい誰かのためであったのだ。

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