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32歳の私から16歳の私へ

16歳の私へ

高校1年生のあなたに、2024年の6月13日に32歳になった私から伝えたいことがあります。

今まさに一番つらい時期ですということと、倍生きたら人生の楽しさに横隔膜をハフハフさせる日々を送れますよということ。
少し長いですが、読んでください。


今の地獄、それはまだ続きます

今、毎日生きるのが嫌で嫌で仕方ないと思います。夜寝るのも、朝起きるのも怖いと思います。どこにいても心が休まらないでしょう。家にいるのも窮屈ですが、電車に乗って学校に行かなければいけないことが、先生や同級生に会わなければいけないことが、本当に憂鬱でしんどいですよね。授業がつまらない、部活がハード、以上に「人に会う」のがとにかく怖いでしょう。

友達だと思っていた人が皆、自分から離れて自分のことを悪く言う体験は大人になって思い出しても鳥肌が立ち、胃の下が痛むほど強烈です。もちろんあなたが自覚しているように、あなたにも原因はあります。大いに。でもつらいものはつらいですよね。

誰にも自分の存在を認知して欲しくない、死ぬのは目立つから消えたい、最初からいなかったことにしたい、と思っていますよね。

自分には価値がないと、本気で思っていますよね。目に映る全ての人間よりも自分が下だと。よく覚えています。

断言しますが、今がどん底です。
人生を振り返っても、高1の時が地獄だったと迷いなく言えます。


あなたはこの先しばらく激しく人間関係で悩み続け、自分の見た目を呪い続け、ストレスから顎関節症になり最後の舞台を前に部活を去ることになります。中1から一生懸命頑張ってきた部活、最後の舞台に出られないこと自体は悔しいかもしれません。でも、結果として想像できないほど平和な茶道部に転部します。そこでは誰も私のことを悪く言いません。グループや派閥もありません。ただ茶と菓子を美味しく頂戴し、くだらない話をして畳の上を笑い転げるひとときが待っています。

そして、最後の舞台に出られない悔しさから、あなたは大学受験の勉強を頑張り始めます。あいつらが満喫できて私が得られなかった「青春」。長期的にステータスで上回って見下してやるんだと、そんな負の動機で頑張ります。健康的なモチベーションではありませんがそのパワーは意外とすごくて、第一志望の国立大学に合格します。

大学に入ってからも、残念ながら人間関係構築スキルが相変わらず壊滅的なので色々やらかします。思うように友達ができません。恋愛も悲惨。自分を客観視する力と言動コントロール力が弱く、勘違いと猛省と羞恥にまみれた日々を送ります。

それでも、高校の頃より100000倍マシです。
大学は好きに休めますし、友達との距離感も自分で調整できます。サークルやバイト、クラスメイト、課外活動などコミュニティの数も増えるので、今のように「1つの世界でミスったら即死」ではなくなります。これはとても大きいです。本当に、生きるのが一気に楽になります。

あなたは、仲良くなることが大目的で金が消えていくサークルよりも、建設的な目的に向かって頭と体を使い金が手に入るバイトに楽しさを見出します。居酒屋ホール、仲居、塾講師、イベントスタッフ、治験、モデルルームの受付、医学部研究室のサポートなど、大変に充実したバイトライフを送ります。バイトは人と関わりながらも「仲良くなる必要性」は必ずしもないので、性に合っていました。

大学3年生のとき、じんわり病んでほとんど家から出ずオンライン人狼ゲームをひたすらやり続ける日々を過ごしたりもしますが、これはこれで立派なモラトリアム。何の意味も生産性もない時間。人生の中で必要だったような気もします。ちなみに、オンライン人狼のおかげで、片手でおにぎりを食べながら片手でタイピングするスキルが自然と身につきます。これは今でもたまに役に立ちます。

大学4年の時、荒んだ心が救われる経験をします。教育実習に行った時のことです。くじ引きでハズレを引き、天才しかいない偏差値爆高の男子校の担当になります。確かに生徒たちの頭が良すぎて大学生が教えられるレベルではないですし、授業は全く聞いてもらえませんでした。

でもこの学校は最高でした。「生徒たちは自分の興味関心があることなら教師がうるさく言わなくても勝手に学ぶので、私たち教師にできることは生徒たちのハイレベルな質問にも答えられるよう、常に知識をアップデートし続けることです」という考え方の教師陣。生徒たちへのリスペクトがストレートに伝わってきました。「子供を尊重する大人がいる」という事実は、あまりにも救いでした。

(今、先生という存在が大嫌いでしょう。なんなら小学生の頃からずっと嫌いですよね。納得のいかないルールを「ルールだから守りなさい」と一方的に押し付けてくる。きちんと説明をしてくれない。ナメやがって、と思っているでしょう。でもあれは、先生たちにもなぜそのルールが必要なのか合理的な説明ができないものも多かったんじゃないかと思います。一方で、大人になって自分が人の上に立つ瞬間が来て初めて、彼ら彼女らも人間で、悩みながら何とか決断して前に進んでいるのだと気づきます。

ちなみに社会人になり、ルールとは本来「合理性・公平性・合意性」があるべきものと知りました。だからきっとあなたの感じている疑念は大方正しいです。「大人の言うことは正しい」と流されてしまわずに、大切に持ち続けてください。その強さは社会人になってから生きてきます。どんなに偉い人が相手でも「長いものにとりあえず巻かれる」ことなく毅然と意見を述べる姿勢は、たまに煙たがられますが総じてポジティブに評価されます。

大人が間違っていることなんて日常茶飯事です。私ももういい歳した大人ですが、迷いなく自分が正しいと思えることはごく僅かです。)


就活では「自分」の売り込みに苦戦します。今でこそ就活は「企業とのマッチング」であり「良い悪い」ではないと分かりますが、当時は落ちるたびに自分を否定されたと感じ、「私はいらない存在…」とご丁寧に何度も病みます。それでも、怒涛のOBOG訪問や図太いESチェック依頼、ムダ撃ちにも思える数のインターン応募などやれることをやり、少しずつ就活が上手くなって、最終的には第一志望のP&Gに入社します。

高校の同級生たちに自慢したい気持ちでいっぱいになりますが、残念ながら伝える手段も機会もありません。笑

入社したら入社したで、優秀な同期・先輩たちと比べて病みます。卑屈な新入社員の取り扱いに上司が困り果てます。めっちゃかわいそうでした。でも持ち前の負けず嫌いを発動させ、なんとか喰らいつく日々を重ねます。

20代後半、コロナという意味のわからない感染症が全世界的に流行り、せっかくの東京生活なのに外に出られなくなって鬱屈したあなたはTwitterというSNSを始めます。今、携帯小説をこっそり書いていると思いますが、それの短い版みたいな感じです。信じ難いでしょうが、一部の界隈でほんのちょっとだけ有名になります。

今はあなたの書く文章を誰も読んでいませんし、読まれたらむしろ死にたいですよね。フィクションだと言い張って、自分の生身を剥き出しにしているから。ちなみにその意味では大して変わらず、32歳の私もフィクションは書けません。笑

そして、びっくりするかもしれませんが、6年目でP&Gを辞めます。初めて「優等生ロード」を自ら捨てる瞬間です。この時も一時的に病みますし、何ならその後年単位でじんわり病みます。

さらにびっくりすると思いますが、32歳、私は自分の会社を持っています。まさかの社長です。紙を提出するだけで社長を名乗れてしまうことは私も最近知りました。一応、自分で考えたサービスを始めようと日々必死です。すごいと思いますか?正直まだすごくないですが、すごくなれるように頑張っているところです。

人生は信じられないほど楽しい

30歳近くなった頃からかな、人生が楽しいです。毎日寝るのも起きるのも怖くないです。むしろ、明日を楽しみに眠ることも多々あります。あんなに下手くそだった人付き合いもようやく要領を得て、好きな人に囲まれて、話したいテーマで話したい人と話せます。きれいな景色に感動したり、美味しいものを美味しいと感じたり、映画や本に心を震わせたりします。やってみたいことも、行ってみたいところもたくさんあります。

特に人付き合い。
「こんなこと言ったらこの人にどう思われるかな」「嫌われないようにしなきゃ」と気にして空回ってばかりの毎日だと思いますが、最後にいつこれを考えたかもう覚えていないほど、自然に失礼のないコミュニケーションがとれるようになりました。「自分がどう見えているか」を脇に置いて、「この人はどんな人なのか」を掘るために全ての感覚を注げるようになりました。

私と話したい、と相手の方から来てくれることも頻繁にあります。信じられないでしょう。

自分の外見も「まぁこんなもんで」と思えるようになっていますし、何より自分の中身が結構好きです。

私が自分について「まぁ好き」と語るなんて、何がどうなってそうなったの!?と混乱しますよね。

外見磨きと内面磨き

今は、「私には何も誇れるものがない」と思っていると思います。見た目も中身も、何一つ好きな要素がないですよね。特に見た目。だからこそ、このままでは死んでも死にきれないと思ってる。絶対大学生になったら親元を離れてバイトしてお金を貯めて美容整形してやる、と思ってる。それはしっかり叶えます。

ただ、整形して多少かわいくなっただけでは、あなたは自分のことを好きになれないよと伝えておきます。顔が多少かわいくなったところで人格が磨かれるわけでもなく、仕事ができるようになるわけでもなく、人から求められ必要とされる人間になれるわけでもなく、コミュ力も育まれず肝心な人間関係がうまくいくようになるわけでもないからです。

むしろ中途半端にかわいくなってしまうことで、しょうもない男絡みの問題に悩んだり、生まれながらに美しい人たちとの交流で自分を惨めに感じたり、嫉妬が煽られたり、自分の人間的魅力・中身の薄っぺらさが浮き彫りになって病んだりします。これはこれでめちゃくちゃしんどいです。

それでも私が私を好きになれたのは、見た目を磨く努力と並行して、中身を磨く努力も重ねたからです。

具体的には、仕事的努力とプライベート的努力です。仕事的努力は、論理的思考・戦略的思考・PDCAの考え方や「とりあえずやってみる」フットワークなど。当然、やってみると数多失敗するので、無意味にメソメソしないメンタルの強化も必須でした。プライベート的努力は、トーク力・ユーモア・内省・言語化・自分の意見や美学を持つ・多様な価値観に触れることなどです。

どうすれば中身を磨けるのかわからないながらも、なりたい人物像に近しい人に会いに行きまくり、その人がどうしてそうなれたのかを聞き出して真似してみるのを繰り返します。

少しずつ少しずつ、腐ったり病んだりしながらも何とか努力を重ねていって、できることが増え、周りから期待されることも増え、期待に応えたり応えられなかったりしながら、着実に「自分にもできることがある」と思えていきます。

(ただ、「できた」を積み重ねる過程では、積み上がっているものに気づく機会がなかなかないものです。目の前のことに必死で視界が狭く近く、「とにかく大変だ」としか思わない。毎回、後から「意外と頑張ったのかも」「思えばあの必死な時期が楽しかったかも」と思える。後から「大変だったけど楽しかったし、あの時のおかげで今がある」とポジティブに捉え直す。尊敬する人も「楽しい時は大変な時」と仰っていました。努力とは、トンネルを掘るようなものなのかもしれません。)

見た目を磨く努力と、内面を磨く努力。どちらも尊いですが、努力が確実に報われ、自分を好きになれたり日常の幸福度が上がったりするのは圧倒的に「内面を磨く努力」の方なので、ぜひ一生続けてください。

最後に

あなたは悔しい時に頑張れる人です。悔しいと思っているその渦中は普通にめちゃくちゃ苦しいですし、「この努力に意味があるのか?」と時々絶望しますよね。それでも「このままでは死ねない」と、がむしゃらに頑張ってくれて本当にありがとう。

泣きながらも歩みを止めなかったあなたのおかげで、目立つ欠点が埋まり、あとはもう好きに生きようと思えています。「ある程度好きになった自分でもって、やりたいことをやって生きていこう」「いつ死んでもまぁいいか」と思えています。

そして今私は、あなたのように自分を好きになれずに苦しんでいる学生をなんとかして救うことができないか、自分にできることをと、事業を立ち上げようとしています。いきなり学生にアプローチするのは難しいと考え、まずは「自分のことが好きと言える大人を増やす」ところから始めます。随分と立派な人間になったと思いませんか。

これも、苦しい中で必死にもがき続けてくれたあなたのおかげです。

よくぞ頑張ってくれました。あなたは私の誇りです。

あなたに恥じない大人で在れるよう、私も頑張ります。

今は人生第一章。一番つらい時です。もうすぐ終わるよと言ってあげられなくて心苦しいですが、いつか「自分のことがまぁ好き」になり、毎日を楽しみに生きられる日が来ます。

これが少しでも希望になれば幸いです。



暑い季節になります。静岡は東京よりも過ごしやすいですが、どうか身体を大事に。ご自愛ください。

32歳の私より




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