ロジック 論理と言葉について考える
ロジックによって時間のあり方が縛られ過ぎてはいないかと、ふと思う。
時間をもてあそぶ、というとあまり良い意味にはならないが、余暇を楽しむのが許されるのは何故だろう。(写真はヴァチカン美術館の廊下)
予約していたら早く入れた。
美術館の列に並ぶ道すがらに少し後悔をしつつ、朝起きて思い立ったから訪れる訳で気まぐれな性格だから仕方ない。異なるエンジン音、飛び交う言葉に耳を傾け、見上げればカモメが舞う空に物思いにふけって待つのも悪くないだろう。
どう自身の時間を過ごしてきたのか、経験を語るのに単なる出来事としてしか伝えることができない。そこには幾重にも感情の重なりがあったはずだが、ロジックで考えるとその経験は単なる点と化して繋げられ、その時感じたことは切り取られてしまう。
書類や面接で自分のことを語るのは正直、得意ではない。自分の想いが溢れ出ないようにと論理的に話すほどに置き去りにした点が際立っていくからだ。
病院を案内してもらった時、there is no logicと言われた。フロアが4th というのに0から階が始まるから結局どこなのか分からないと彼女はいう。
確かに8:30に会おうと約束していて、彼女は9:00にやって来た訳だから言葉などそんなもんなのかもしれない。
病院の中へ進むとまた彼女がいう、
ほら見て、 no logic
clown dottori のみなさんと
病院1日目がこんなスタートだから最高だな、と。
ロジックで現せれないことを受け入れ楽しむ心の余裕をもちたいものである。
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