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母のこと

「すいません。お世話になっていてもうしわけないのですが、私は子供に甘ったれたりしてません!そんな風に思われるのが一番いやなんです!」
 母が同じマンションの違う部屋に引っ越してきてそろそろ一年になる。
 父が施設でなくなり、ひとりで好きな畑でもしながら、のんびり暮らせばいいと思っていた。しかし、88才なので、ひと月に一度は様子を見に行こう。新幹線で3時間、もよりの駅からのアクセスも入れれば、片道5時間はかかるが、しっかりしていてくれたら、住み慣れたところでいる方がいいだろう。一時間くらい離れたところに姉夫婦もいるし、あまり、何も期待はできないが、何かあったときは頼れるだろう。くらいに考えていた。
 それが、父がなくなってから、数ヶ月たったころ、母が夜中に泥棒がはいったと妄想をして警察を呼んだり、姉夫婦に昔貸した100万円を返すという約束なのに10万しか返してもらってないと一日に何度も言うようになり、その金銭トラブルは現実だったのだが、請求したことで、姉夫婦との間に亀裂ができて、毎日、雨戸も開けずに、ものも食べずに部屋で塞ぐようになった。
 電話では毎日のように、私に姉の夫、つまり娘婿が暴言を吐いた。この年になって今まで精一杯あの子達のためにやってきたのに悲しいと、泣きわめいた。父の死後、色々な事務的なことも仏事も何もできなくなっている母がいて、かなり、怪しいと思っていた。
 私はここ数年、心療内科の処方箋がメインの薬局に勤めていて、認知症の患者さんや鬱の患者さんの薬を出していて、投薬の時に色々お話をするので、母は、鬱か認知症だとすぐにわかった。
 このまま母をひとりにさせておくのは良くないと思った。雨戸も開けず、ご飯も食べていない日もあった。頼るべき近くにいる姉家族とおかしくなり、様子を見に行ってと言いにくかった。姉夫婦は頼れるときにはかなり親に頼っていた。子育ても姉の子供たちは半分母が育てたようなものだ。そして、なんども用立てていたのも覚えてる。
 私は正直、そんな姉たち夫婦に母を任せておけなかった。
それで母に私の近くに来ないかと言った。
母はこの土地から離れたいと言った。そこから、バタバタと母の転居先を探したり、実家を整理したりとおよそ2カ月くらいでしたのだ。
 ところが、この場に及んで、なんで私の家を勝手に売ったの?とか私はあそこで最後を迎えたかったとか言い出した。
 勝手になど、売っていない!何度も母の気持ちを確かめたし、相談もしたが、そんなことは忘れている。
 姉夫婦に対しての怒りや恨みを、ゴミ箱のように私にぶつけて、泣きわめいていた時期が過ぎると、突然、姉夫婦に謝りたいとか言いだした。
 それが過ぎると、今度は、家のことを勝手に売ったと言い出して、母が毎日食事や薬をのんだかなどを記入しているノートに、「私は悲しい。家を勝手に売られた。」とまるで読めといわんばかりに書くようになった。

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