見出し画像

平和への祈りを込めて語り継ぐ――「ひめゆり」と「島唄」

 日米双方の軍人、民間人を合わせて約20万人が亡くなったといわれる沖縄戦は、74年前の今日、終結しました。

 この沖縄戦によって、沖縄県民の4人にひとりが命を落としたといわれています。

 先日、「ひめゆり平和祈念資料館」の前館長、島袋淑子さん(91)に取材をさせていただいた話を書きましたが、今日は、それにちなんでもうひとつ書き留めておきたいと思います。

■当事者たちが、募金を集めてつくった「ひめゆり平和祈念資料館」

 「ひめゆり平和祈念資料館」(以下、資料館)は、元学徒隊の生き残りや同窓生たちでつくる「ひめゆり同窓会」の方々が、自ら寄付を集めて設立しました。

 開館したのは、いまから30年前の今日、6月23日です。

 同窓会のみなさんが、国際通りの街頭に立って募金を呼びかけたり、講演活動をしたりして集まったのが約2億円。
 そうした資金で、彼女たちみずからが土地を購入し、壕で亡くなった友だちの遺骨や遺品を収集し、展示の内容や方法まで考えて、製作して、開館までこぎ着けたのだとか。

 しかし、いざ開館してみると、「来館者に説明が必要だ」ということに――。
 それで今度は、元学徒隊の方々みずからが〝証言員〟として展示室に立ち、来館者に説明するようになったそうです。

■30年間、ひとり一人に語りかけるように

 開館当初、証言員として活動していた元学徒隊は27人。
取材して驚いたのは、その説明の仕方。
とにかくていねいなんです。

 当時は、27人が毎日3~4人ずつ交代で資料館に通い、それぞれの展示室に数名ずつ立って説明していたのだとか。
 しかも、大勢を集めていっせいに体験を語る、といったスタイルではありません。展示室の脇で来館者の様子をうかがっていて、必要に応じてそっと声をかけるのです。
 修学旅行生たちが来ても、
「あの子、いま一生懸命、資料を読んでいるわね。声をかけたいけど、後のほうがいいかしらね……」
なんて、ひとり一人のタイミングを見計らって声をかけておられたのだとか。

たとえ相手がひとりでも、「お話を聞きたい」という方には、じっくりとお話をされていたようです。

 そうやって体験を語り継いでこられた〝証言員〟の方々も、多くが他界され、現在は6人に。
 2015年からは、戦後世代の職員が後を引き継いで、来館者に説明しています。しかし、いまでも月に数回は、90歳を過ぎた元学徒隊の方が説明をされています。
島袋さんもそのひとりです。

30年経ったいまでも、そのていねいな説明のスタイルは変わっていません。

 私が取材にうかがった日も、島袋さんは最初、ひとりでポツンと資料館内に展示されている壕のジオラマの前に立っておられました。
どんなふうに説明されるのだろうと思って見ていると、来館者の年配のご夫婦が、壕の前で足を止めたときでした。

 島袋さんはそっと近寄って行って、さりげなく、
「お友だちがたくさん、この壕の中で亡くなったんです……」
などと、お話を切り出されました。
 そのご夫婦、まさか、こんなにさりげなく体験者がいるとは思っていなかったんでしょうね。
「あなた、体験者ですか!?」と、びっくりされていました。

 しかし、いったん体験を語り始めると、たとえ相手がひとりであろうが、島袋さんは当時を思い出して目に涙を浮かべなから話されます。

「軍から撤退命令が出たんです。私は、ケガをして動けないお友だちを置いて、この壕を出るしかなかった。〈行かないで〉という友だちに、〈軍から集合命令が出たから、行ってくるね。戻るからね〉と、ウソをついて出て行った……。いまでも、そのお友だちのことを考えると、涙が出ます」

 ご夫婦は、まるで昨日のことのように話す島袋さんのお話に聞き入っていました。

■彼女たちの熱意が、〝島唄〟を生んだ
 

 島袋さんだけじゃありません。27人の証言員の方が、来場者ひとり一人に語り継いできた沖縄戦の記憶。
 この地道な活動が、どれほど多くの人の心に、〝平和の種〟をまいてきたのでしょうか。

 その代表的な例が、元BOOMのボーカルで、いまはソロで活躍している歌手の宮沢和史さんだと思います。

 私は今年3月に宮沢さんを取材させていただいたのですが、そのとき宮沢さんは、初めて「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れたときのことを、こんなふうにおっしゃっていました。

「恥ずかしながら僕は、当時、沖縄戦のことをよく知らなかった。集団自決があったこと、4人に一人が亡くなったこと。日本人として知っていなくちゃいけないことを知らなかった自分が恥ずかしくて。本当に申し訳ない気持ちになった。今度、語り部の女性に会った時に聴いてもらう曲を作ろう。沖縄戦を体験された方々に恥ずかしくない曲を、と思って作ったのが『島唄』です」

 宮沢さんは、1990年に資料館を訪れたとき、元学徒隊の方から説明を聞いたそうです。その話に衝撃を受けて、つくったのが『島唄』 なのだ、と。

そのとき、宮沢さんに説明した元学徒隊が、いったいどなただったのかはわかりません。

 しかし私は今回、島袋さんがひとり一人の来館者に語りかける姿を見て、改めて『島唄』を作ろうと思った宮沢さんの気持ちがわかるような気がしました。

「もう二度と、戦争を起こしてはならない――」

27人の証言員たちが、そんな祈るような気持ちで、30年間地道に語り継いできた沖縄戦。
きっと、気が遠くなるような作業だったと思います。

 でも、その思いは、確実にいろんな人の胸に届き、そのひとつの形として『島唄』が生まれたのです。
 そして、『島唄』を聴いた人たち世界中の人たちが、また平和を考えるようになっている。

 そう考えると、ひとり一人の力は小さくても、それがつながっていくことで、いつか必ず実を結ぶのだと思えました。

 残念ながら、「ひめゆり平和祈念資料館」の来場者は、近年減っているそうです。
 いちばん多いときで年間100万人の来場者がありましたが、2018年は53万人に。
 完全に民間だけのお金で運営している資料館ですから、ぜひ多くの方に足を運んでいただくことで、平和への祈りをつないでいけたらと思っています。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

4
福島第一原発事故以降、福島での取材を重ね、12年に福島の今を伝える季刊誌「ママレボ」を創刊。ままれぼ出版局を立ち上げる。「女性自身」でも、原発事故や汚染の問題を中心に発信中。 ままれぼ出版局の本は、こちら。http://momsrevo.blogspot.com/
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。