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男は、私の部屋でパンツを脱ぐな!

「安心してください、履いてますよ」の決めゼリフと全裸っぽい絶妙なポーズで一躍人気者になった、お笑い芸人「とにかく明るい安村」。

一発屋だと思われてた安村が、8年後に同じネタでイギリスのオーディション番組で大ウケし、ふたたびブームを起こそうとは当時誰が予想したでしょうか?

「安心してください〜」が流行語大賞ベスト10に選ばれるなどしていた頃、私は約5年付き合って同棲していた彼と別れ、ひとり暮らしを開始しました。

30過ぎて同棲解消というと、世間的には憐れみを持たれるのかもしれません。しかし、私の心は、長い迷走期間からの脱却と新生活への希望にあふれていました。

あの時は"結婚したい病"を極限まで拗らせていました。なので、結婚相手に対するハードルも極限まで下がっていたにもかかわらず別れを選択したのは、本能が「この男はやめとけ」と警告していたからです。パッと見わからないのですが、その人には深く付き合っていくとわかる人間的なヤバさがありました。

お互い妙齢だったので、すったもんだの末の別れです。互いの両親に報告したり、5年分の荷物を整理したりと、面倒ったらありません。やっとのことで引っ越したマイルームで迎えた最初の朝は清々しく、朝日がキラキラ輝いて見えたものです。

”次にこの部屋に足を踏み入れる男性が未来の夫になる”そんなロマンスの神様めいた予感がしていました。

ところが、心機一転始まったひとり暮らしの部屋の敷居を、最初に跨いだ男性は、苦労して別れた元カレでした。

引っ越しが完了して、ほとぼりが冷めると、「一緒に飼っていた犬に会いたい(もともと私が飼っていたので私が引き取った)」から始まり、「実家から野菜が届いたからお裾分けしたい」などと、理由をつけては我が家にやってくるようになりました。

この元カレというのが、人間的にちょっとヤバい奴ではあったもののとんでもなく有能な家事野郎だったのです。付き合っていた時、私は彼の料理に完全に胃袋を掴まれていました。加えて、綺麗好きで器用でアイロン掛けやちょっとした裁縫までなんなくできてしまうので、家事全般を丸投げしていたんですね。私の愛犬も懐いていたので、犬に会いたいと言われるとどうにも断れませんでした。

最初は犬に会いに来ても本当にそれだけでした。私も警戒してなるべく顔を合わせず、敢えてよそよそしくしていたのですが、しばらくすると、私の帰宅が遅くなる日には愛犬の散歩に行き、ついでにタッパーに詰めたおかずが冷蔵庫に入れて置いてあるなんてこともありました。鬱陶しいけど役立つこともある…そんな感じでだんだん意地を張るのが面倒くさくなり、気がついたら合鍵をポストに入れて元彼が出入りしやすいようになっていました。

例えばこれが、勝手に部屋を掃除するとか、私の部屋で料理を作って待っている、とかだと気持ち悪いので拒絶できたのですが、ちょっとしたついでの立ち寄りや差し入れだったので、断るきっかけがなかったのですね。今考えると可と不可の境界線が謎で自分で呆れます。

こうして身辺整理がかなり微妙なまま、私は本格的に婚活をスタートしました。婚活サイトに登録したり、人に紹介してもらったり、出会いに繋がりそうなことはとにかくやっていたところ、ひとりの男性と「いい感じ」になることができました。男性を仮に安村さんとしましょう。

安村さんと2人で何度目かの食事に行った帰り道、私を「近くまで送るよ」と王道の展開になった時のこと。夜道を歩いていると、ドラマのように、急に大雨が降ってきました。2人とも傘を持っていません。

雨宿りするような場所もなく、「とりあえずうちに上がって」と、これまた昼ドラっぽいことこの上ないセリフを私が吐くことになろうとは。物事はこういったアクシデントでうまく転がっていくのかもしれません。

我が家には洗濯物が干せるベランダや物干しがない代わりにガス乾燥機が備え付けられています。うちで雨宿りをしている間に服を乾かしてあげて、その後のことは雰囲気に任せてみることにしました。

うちに着いて、私は自分の大きめのTシャツとジャージを着替えとして安村さんに提供し、風邪をひかないようにシャワーに誘導します。

「お言葉に甘えて」とバスルームに入る安村さんに、脱いだ服を外に置いておくように伝えました。シャワーの音が聞こえたのを確認して、濡れた服を回収して乾燥機に突っ込み、私自身も体を拭いたり着替えたりしてから、大急ぎで部屋の中をチェックして元彼の変な痕跡がないか探し回りました。

大丈夫そうです。

時計を見るとまだ21時過ぎでした。軽く宅飲みしなおす時間はありそうです。せっかくだからスパークリングワインでも開けるかーと、つまみのチーズとともにテーブルをセッティングしていると、私のTシャツとジャージに着替えた安村さんが出てきました。

「ごめん、うっかりパンツまで外に出しちゃって、ノーパンになっちゃった」

私が安村さんのパンツもろとも乾燥機にかけてしまったのが悪いのですが……

「こいつ、私のジャージをノーパンで履いてやがるのかい」

思わず股間に目をやってしまいました。

変な空気になりかけた瞬間、安村さんは「安心してください!履いてません!」と、キャラに似合わないギャグを繰り出しました。

結婚に執念を燃やす三十路女とノーパン男がいったい何をやっているんでしょう。

先ほどまでのドキドキ感は薄れましたが、似合わない渾身のギャグを無理して発動する安村さんの好感度はギリギリ保たれ、ギャグによってとりあえず場が和み(?)スパークリングワインで改めて乾杯などして、しばらくたった時でした。

ピピーッと乾燥機が止まった音がしました。

安村さんにパンツを履かせてあげなくては!と、急いで乾燥機から服一式とりだし、「とりあえずパンツ履きなよ!」と手渡しました。

「ありがとう。あ、ほかほかだ」

目を合わせて笑いあう2人。いろいろあったけど、いい感じに落ち着きそうになった時です。

「俺、こんなパンツ履いてたっけ?」

何を言ってるのでしょうか?

振り向くと、安村さんは両手にパンツを広げて不審そうな顔をしていました。

「乾燥機で縮んじゃったかな?」

適当に返事をしたところで、私は恐ろしいことに考えが至りました。

(まさか、アイツ!!!!!)

私は、乾燥機を再び開けて中を探りました。すると、奥の方に1枚だけパンツが残されていたのです。


最悪です。

一瞬、このまま押し切ろうかと思いました。「たぶん乾燥機で縮んで色とかも変わったんじゃないかな?」とかなんとか。しかし、この場で誤魔化せたとしても、自宅で改めてパンツを見れば、「俺のじゃない!」と、いくら鈍感な人でも気が付くはずです。騙されて他人のパンツを履かされたことがわかったら、後々訴訟に発展するかもしれません。

私は観念して言いました。


「ごめん、そのパンツ、元カレのだ」


あろうことか、元カレの奴は、私がいない隙に勝手に部屋に侵入して乾燥機で洗濯物を乾かしていたのです。さすがにこういうことを見越した上でワザとではないと思いますが、パンツを1枚回収し忘れたのでしょう。こういうところが、コソっと人の家に入ったり、物を勝手に使っちゃったり、それを言わなかったりするところが、どうにも信用できないのです。

安村さんに土下座する勢いで謝り、元カレの物だけど、今は断じてそういう関係ではないことを説明するも、まあ当然のことながら、信じてもらえませんでした。信じるもなにも、家に元カレが出入りしているのは紛れもない事実ですし。

安村さんは怒ったり不機嫌になったりせず、そっとパンツを取り換えると、「やっぱり今日は帰ろうかな」と言ってそのまま帰っていきました。

私は手に元カレのパンツを握りしめながら、漫画みたいに膝から崩れ落ちました。

このまま元カレの家に怒鳴り込んでパンツを叩きつけようかとも思いましたが、そんな気力も湧いてきません。カーペットにガンガン頭を打ちつけたい気持ちでした。

今回のことでようやくわかりました。金輪際元カレに会うのも、連絡をとるのもやめようと。便利に利用して合鍵を自由にさせていれば、こうなることは予測できたはずです。

私はいたって冷静に、新しい彼氏ができたこと、もう家には来ないで欲しいことを、メールで淡々と連絡しました。毅然とした態度を徹底したからか、その後元カレから連絡があることはありませんでした。

当たり前ですが、安村さんとはそれっきりです。最近、本物の安村(私の安村さんが偽物みたいだが)が再ブレイクしたのを見ると、忌々しいパンツ事件を嫌でも思い起こしてしまいます。

私は今でも、乾燥機から洗濯物を取り出すときには、奥の方まで手を突っ込んで出し忘れがないか執拗にチェックしてしまいます。