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Liar kiss*永遠の片想い*(第五話)

第四話はこちら

5.囚われた心

「あれー、もしかして二人できたのか?」

蓮佑さんの店のドアを開けると、カウンターから蓮佑さんの声が飛んでくる。
それにつられるように、カウンターに座っていた女性と、その隣の男性が振り返った。

「……あれ、古賀さんも来てたんですか? 珍しいっすね」

二人に気づいたたっちゃんが、笑顔になる。

え?
この人が、古賀さん?

皆実から聞かされていたその名前を思い出して、思わずまじまじと見てしまった。

「……何言ってんだよ。古賀が来るのも珍しいけど、達矢だって久しぶりにきたくせに。うちの常連客は美紀ちゃんだけだよなー」

シェーカーを振っていた蓮佑さんは、同意を求めるように私に笑顔を向けてきた。

蓮佑さんの店には、私も決して足しげく通っていたわけではないけど、たっちゃんに会ったこともなければ、古賀さんに会ったこともないような気がする。

「……そっか、君が噂の美紀ちゃんか」

古賀さんは何かを含ませるように言うと、蓮佑さんを一瞥した。

え? 噂って何?

意味がよくわからなくて、蓮佑さんのことを見つめる。

「おい、古賀! 余計なこと美紀ちゃんに喋るなって」

蓮佑さんが慌てて古賀さんを制止した。

「もう、だから蓮佑はダメなのよー? 男なんだから、こういうことは、はっきり言わなきゃ伝わらないのよー」

古賀さんの隣にいた女性も、からかうように口を開いた。

「……はじめまして、美紀ちゃん。俺は蓮佑とは高校の同級生で、古賀雄司(ゆうじ)です」

「妻の恭子(きょうこ)です」

「……はじめまして、桜井美紀です」

私は、恭子さんの隣の椅子を引くと、そこに腰を下ろした。

そのすぐ隣には、たっちゃんが腰を下ろす。
少しでも動けば、触れてしまいそうなほどの近距離に、気分が落ち着かなかった。

「……美紀ちゃんって、達矢くんと付き合ってるの?」

蓮佑さんが冷蔵庫をガサゴソといじっている間に、小声で恭子さんに話し掛けられる。

「……あ、いえ……、」

「同級生なんですよ、俺たち」

恭子さんの声を聞いたたっちゃんが、蓮佑さんにも聞こえるようにはっきりと口にした。

事実を言われただけなのに、ズキッと痛む心。

同級生……。
それじゃ、さっきのキスは何だったの?

聞きたい気持ちを堪えて、たっちゃんに同意するように頷き、笑顔を浮かべる。

「……なーんだ、ただの同級生なのか。てっきり蓮佑の強力なライバルなのかと思ってたのに」

恭子さんは残念そうに手元にあるカクテルを口にした。

「ばーか、そんなわけないだろ? 達矢には、唯ちゃんがいるもんな」

ニヤリと意味深に話し掛ける蓮佑さん。
さらに深く、傷をえぐられる。

「……そっか、達矢くんと同級生ってことは、美紀ちゃんも唯ちゃんのこと知ってるんだ?」

興味深そうに、恭子さんは話し掛けてきた。

「……ええ、まぁ、」

あえて曖昧にごまかす。

“親友”だなんて、今さら言葉にできるような関係じゃなかった。
もちろん、そうしてしまったのには、私に原因があるけれど。
たっちゃんも、恭子さんの質問攻撃になんて答えればいいのか困ってるみたいだった。

「……おい、いい加減にしろよな、恭子。美紀ちゃんも達矢も困ってるだろ?」

そんな私たちの雰囲気に気づいたのか、さっきから黙っていた古賀さんが、口を挟んできた。

「……あら、いいじゃない?」

ぷーっと頬を膨らませた恭子さん。
その向こうで、古賀さんは両手を合わせて、“ごめんね”のポーズをしている。

私首を横に振ると、蓮佑さんが作ってくれた桜色のカクテルを口にした。

口内に広がる甘酸っぱい味。
たっちゃんの前には、ジントニックが置かれる。

恭子さんって、何となく苦手なタイプかもしれない。
鋭いというか、自分の気持ちを見透かされてそうでイヤだ。
悪気はないんだろうけど、あまりズカズカと聞いてほしくないこともある。
特に、たっちゃんのことはうまくごまかせる自信がない。

「……悪いな、達矢。先に帰るから。ほら、恭子、行くぞ?」

「えーっ? もう? まだ飲み足りない」

ちょうど空になったグラスをカウンターに置いた恭子さんは、残念そうに肩を落とした。

「……たまには二人で食事でもしてこいって言われたからって、いつまでもお義母さんに真実子(まみこ)を預けとくわけにはいかないだろ?」

「はいはい、わかりました。じゃ、またね、達矢くん、美紀ちゃん」

渋々、といった感じで立ち上がった恭子さんは、鞄の中から財布を取り出して古賀さんに渡すと、先に店を出ていく。

「……悪いな、達矢も美紀ちゃんも! あ、来週は練習行けると思うから」

蓮佑さんに支払いを済ませた古賀さんは、それだけ言うと恭子さんの後を追うように店を出て行った。

バタバタと二人がいなくなると、急に静かになった店内。
二人の座っていた場所を手早く片付けた蓮佑さんは、小さくため息を吐きながら私をちらりと見た。

「……美紀ちゃん、昨日はいきなり帰っちゃうんだもんなー」

「あ、ごめんなさい」

「本当だよ。美紀ちゃんが見てるから、俺張り切ってたのに。な、達矢?」

「……そうっすね」

気のない返事をしたたっちゃんは、手元にあったジントニックをぐいっと飲み干すと、小さくため息を吐く。
私も、その隣で曖昧な笑顔を浮かべて、残ったカクテルを口にした。

やっぱり、たっちゃんとはここに来るべきじゃなかったのかもしれない。
“ひだまり”にいたときは、感じなかった二人の距離を感じる。
さっきのキスのせいにはしたくないけど、どうしたらいいのかわからなくなる。

「……なんか変だよ? 美紀ちゃん、何かあったのか?」

蓮佑さんは私とたっちゃんの顔を交互に見つめた。

「……な、何でもないです!」

たっちゃんは、蓮佑さんの視線に気づかないふりをして、出てきた二杯めのジントニックを口にしている。
まるで、私の存在なんて眼中にないみたいだ。
だったら、なんで一緒に来たいだなんて言ったんだろう。

「……そう? なんかいつもと雰囲気が違うような気がしたから」

「そ、そんなことないです。ほら、お客さんですよ、蓮佑さん、」

数名のグループが入ってきて、奥の席に案内するために少しカウンターを離れた蓮佑さん。

勘の鋭い蓮佑さんのことだから、たっちゃんへの気持ちもキスのことも、気づかれてしまうかもしれない。
ちょっとホッと胸を撫で下ろした。

グラスの中で溶けかけた氷を、クルクルと回す。
たっちゃんも、もうほとんど残っていないジントニックをチビチビと飲んでいた。

「……美紀、あのさ、」

「ん?」

まっすぐに見つめられたかと思うと、すぐに逸らされた。

「……俺、来月異動なんだ」

「え? 異動?」

同じ会社だってことすら、まだ全然実感はわかない。
異動が珍しいわけではないけれど、それは同じ支店に何年もいたりする場合だ。
私たちみたいに、二年めで異動になるケースは過去にもほとんど前例がなかった。

「で、どこの支店に異動するの?」

せっかく再会できたんだから、せめて地方だけは避けてほしい。
許されなくても、また会える、もう少し近くにいられるっていう、そんな未来を残しておきたいから。

「……本社、なんだ」

「え? 本……社? 本当に?」

「うん、業務部だって。前からマーケティングに興味持ってて、改善提案で資料作ったら、支店長が見てくれて、異動の話、まとめてくれたんだ。うちの支店長も、元は業務部出身だからさ」

「……そっか、よかったね」

異動、か。
たっちゃん、ちゃんと仕事のこととかこれからのこと、考えてるんだ。
でもまさか、同じ本社勤務になるだなんて。
私のいる経理部とは、フロアーが違うとはいえ、今後は社食などでは顔を合わせる機会だってあるはず。

「……亜弥さん、喜ぶだろうな」

「え? 伊東さん?」

「うん……たっちゃんのこと、気に入ってるみたいだから」

「ふーん」

気のない返事をしたたっちゃん。
横顔を盗み見るけれど、ポーカーフェースで何を考えてるのか気持ちが読み取れなかった。

昔だったら、たっちゃんの顔を見ただけで、何かあったのかぐらいはわかったのに。

亜弥さん、本気なのかな。
結構積極的だし、たっちゃんが唯とやり直す気がなければ、二人が付き合うこともあるのかもしれない。
そしたら、私は……二人のことを応援できるんだろうか?

「……俺、先に帰るわ」

考えを巡らせていると、突然席を立ち上がったたっちゃん。

「……え? じゃ、私も、」

慌てて立ち上がろうとすると、後ろから戻ってきた蓮佑さんに肩を掴まれた。

「美紀ちゃんはまだダーメ。俺が送ってくから。悪いな、達矢!」

「……いえ、じゃ、お先」

たっちゃんは私の方を見ようともせずに蓮佑さんに軽く手を挙げると、そのまま店を出ていった。

急に空いた隣の席。
カウンターだけが異空間のように、テーブル席のざわつきを遠く感じる。

「……どうした? 達矢が帰ったら、急に不安そうな顔して」

たっちゃんの使っていたグラスを片付けている蓮佑さんに、不意に顔を覗きこまれた。

「……そ、そんなことないですってば!」

蓮佑さんが、たっちゃんと知り合いだったことは、単なる偶然。
ここは、通い慣れている蓮佑さんの店だもの。
不安とか、そんなんじゃない。

「……じゃ、達矢が一緒の方がよかった?」

「え?」

覗き込まれた顔は、さっきより遠くなるどころかさらに近づいて、まっすぐに見つめられると、胸がドキンと高鳴るのがわかった。

「……別に、たっちゃんはただの同級生ですから」

好きでいられればいいんだ。
誰に、この想いを知られることなく、責められることもなく、好きでいられさえすれば。
そのためならば、私は何度だって嘘を吐く。

「……そうなんだ? じゃ、俺と付き合ってよ?」

「ど……どうしてそうなっちゃうんですか?」

蓮佑さんほどモテる人なら、私じゃなくても他にたくさんいるのに。

「……達矢から、聞いてない?」

「え……? 何を?」

「俺、美紀ちゃんのこと、マジなんだ。マジで好きなんだ」

いつもの冗談っぽい雰囲気を感じられない真摯な告白。さらに鼓動が脈打つのがわかった。

「…………」

「美紀ちゃん……聞いてる?」

「……あ、はい」

私から離れた蓮佑さん。離れた距離に、ホッと胸を撫で下ろす。
そのままカウンターの上を片付けた蓮佑さんは、テーブル席にいるお客さんに呼ばれて行ってしまった。

蓮佑さんの背中から目を逸らすと、複雑な想いが胸中を占領し始める。

いつだって、たっちゃんだけを想ってた。
この恋は、永遠に片想い。
未来は訪れないとわかっていても、だからといって嫌いにはなれなかった。忘れることなんて、できなかった。

高校を卒業してから今日まで、恋をしなかったわけじゃない。
新しい恋をしてるその時間は、確かにその男性(ひと)のことも好きだった。

だけど、いつもたっちゃんへの想いには届かなかった気がする。
それほどまでに、たっちゃんへの想いは特別だったんだ。

蓮佑さんはカウンターまで戻ってくると、私の後ろを通り抜ける際に、ポンと肩を叩いていった。


結局、途中で帰るタイミングをなくして、閉店まで付き合う。
夕べもほとんど寝ていなかったせいか、あくびを何度もしていると、目の前で洗い物をしている蓮佑さんに、クスッと笑われてしまった。

「……美紀ちゃん、そんなに眠たいなら、俺に付き合って残ってなくてもよかったのに」

「別に、そういうわけじゃないんですけど」

あんな中途半端なまま帰ったら、二度と此処には来れなくなってしまいそうだったからだ。

「じゃ、俺と付き合う気になったとか?」

キラキラと目を輝かせて、蓮佑さんは私の顔を覗き込む。

蓮佑さんとは、付き合えないよ。

俯きながら首を横に振ると、強制的に顎を掴まれた。

「そんなにはっきりと断るなよ」

「……ごめんなさい」

まっすぐに、心の中まで入り込んでくるような視線。
静かすぎる二人の空間。
自分の心臓の鼓動が蓮佑さんに聞こえてしまいそうだ。

「……そんなに、達矢のことが好きか?」

「え?」

蓮佑さんの指が、私の顎を解放したかと思うと、ピンとおでこを弾いた。

「美紀ちゃんが、ずっと心の中に何か抱えてるのはわかってたよ。新しい彼氏ができたっていっても、いつも“恋してる”って感じなかったもんな」

「……そうですか?」

「あぁ、昨日達矢と話してる美紀ちゃん見たときから、なんとなく何かあったのかと思ったけど、さっき確信できた」

キュッと蛇口をしめた蓮佑さんは、タオルで手を拭くと新しいグラス二つに氷をいれる。
そのグラスに冷蔵庫から取り出したオレンジを搾ると、手早く何かを作りはじめた。

コトン、と二つのグラスをカウンターの上に置くと、蓮佑さんは外に出てくる。

「この一杯は、俺のおごり。何でも聞くよ? 美紀ちゃんが悩んでいるなら……」

蓮佑さんは、私の隣に座るともう一つのグラスを手に取って、私の持つグラスにカチンと合わせた。
オレンジの酸味とお酒の苦味が喉を通っていく。

「……悩んでなんてないです」

たっちゃんへの片想いは、今に始まったことじゃない。
何年もかけて、やっと“ただ好きでいられればいい”って気持ちにまでなれたんだ。

突然の再会に、何かを期待したりしたら、絶対に傷つく。
もう一度出会えた奇跡に感謝はしても、それ以上をなにかを望んだらいけない。

「……でも、」

何かを言いたそうな蓮佑さんに、私は首を横に振る。

「……蓮佑さん、そんな顔しないで下さい。私、本当に悩んでなんていないんですよ?」

精一杯の笑顔を向けると、私はグラスに口をつけた。

重たい空気が私と蓮佑さんのことを包む。
心配してくれた蓮佑さんに申し訳なくて、グラスの中が空になるとすぐに席を立ち上がった。

「すみません……ごちそうさまでした」

バッグから財布を取り出そうと蓮佑さんに背を向けると、そのまま背後から抱きしめられた。

「……ちょっ、蓮佑さん?」

腕に込められた力は、さらに強くなる。
心臓の鼓動が、大きく脈を打った。

「……達矢を好きなままでいいから、俺と付き合うこと、考えてみてくれないか? 考えるって言ってくれるまで、帰さない」

首筋に当たる蓮佑さんの唇。
漏れる吐息がやけに熱っぽかった。

「……あの、私、」

もう二度と、恋をしないと決めたわけじゃない。
だけど、今はまだ誰を好きになっても、たっちゃんの存在を越えられない。
そんな気がするだけだ。

「今すぐに返事をくれなくてもいいから、ちゃんと悩んで考えて?」

くるりと向きを変えられると、すっぽりと蓮佑さんの腕の中に収まってしまった。
蓮佑さんの心臓の鼓動が、トクトクと脈打つ音まで聞こえてくる。

「……ごめんなさい。私、」

蓮佑さんの腕の中から抜け出すと、私は勢いよく店を飛び出した。


もう人通りもほとんどない真夜中の道。
心細さを我慢して家路を急ぐ。

たっちゃんは、蓮佑さんの気持ちを知っていたうえで、私を一人残して帰ったの?
それは、私のことなんて、なんとも想ってないという意味?

そしたら、あのキスにはどんな意味があるの?
ぽろりと、涙が頬を伝って落ちる。

再会なんて、しなければよかった。
そうしたら、ずっと遠い存在のままだったとしても、たっちゃんのことを好きでいられたのに。
何も知らなければずっと、悩むことなくこの想いを貫けたのに。


部屋にたどり着くと、一度はベッドに飛び込みながら、すぐに起き上がってバッグからスマホを取り出す。

そして、Twitterのアイコンをタップした。

この世界でなら、堂々と好きでいてもいいよね?

“桜井美紀”ではなく。
“桜子”として、繋がっているだけなら。


“達矢先輩。私たちの通っていた高校の近くに、ひだまりっていうカフェがあるのを知ってますか? いつかそこで、先輩とコーヒーを飲みたいです。”


第六話へ続く。


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。