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甘味93%offキッス

数学準備室の甘い放課後

「玲也(れいや)くん、この前のテスト、百点取れてたらデートしてよ?」
「ばーか、俺様が作るテストだぞ? 佐梨(さり)に満点取れるわけねーだろ? だいたいな、ここは学校だぞ。気安く名前で呼ぶな。“先生”って呼べ」
「……いやよ、玲也くんは玲也くんだもの。それとも、玲也くん、もしかして“先生”なんて呼ばせて、私にエッチなことしようとか考えちゃってるんじゃないのー?」

煽るように言うと、玲也くんは呆れたように大きなため息をついた。

「お前なぁ、そんなわけねーだろ? 俺は佐梨みたいに変態じゃない!」
「ちょっ、純情な女子高生捕まえて、変態ってどういう意味よ」

ぷーっと膨れても、玲也くんは顔色ひとつ変えず、相変わらずの呆れ顔だ。

「勝手に準備室にきて、エッチな妄想ばっかりしてる女子高生が変態じゃなきゃ、他に誰が変態なんだよ」
「もういい! 玲也くんなんて知らないんだから!」

放課後の数学準備室を飛び出すと、冷え切った廊下の空気に思わず身震いする。
コート、準備室のソファーの上に置きっぱなしだ。
すぐに気づいて振り返ったけれど、玲也くんが追いかけてきてくれないことがムカついて、そのまま鞄を握りしめ、外へ出た。

私と玲也くんは、いわゆる幼なじみってやつで、たった六つの歳の差しかない。
それなのに私を、それこそ小学生並に子供扱いする玲也くんに、私はずっと片想いしている。

あーあ、私もお姉ちゃんになりたかったな。
玲也くんと同い年の私のお姉ちゃん、有華(ゆうか)。玲也くんと同じ時間を共有できることが、すごく羨ましかったな。

六つの歳の差は、どんなに頑張ったって埋められない。私が高校を卒業する前に、先生になっちゃうなんてひどすぎるよ。
いくら恋愛が自由だからって、歳の差という大きな大きな壁は、簡単には破れそうにもない。

「佐梨、また玲也くんのところに行ってたのー?」

後ろからやってきた実杏(みあん)に小突かれる。

「ちょっ、“玲也くん”って呼んだらダメ! そう呼んでいいのは、私だけなんだから」
「佐梨がいつもそう呼んでるから、つい呼んじゃうのよ。それに、今さら“榊原(さかきばら)先生”なんて呼べるわけないでしょ?」
「それでも、ダメなものはダメなの!」

ただでさえ、玲也くんを狙ってる生徒は多いんだから。

「はいはい、わかりました。もう呼びませんよ、“玲也くん”だなんて」

わざとからかうように言った実杏を、私はキッと睨みつけた。

「おぉ、こわっ、」
「怖いって何よ。実杏が悪いんでしょ?」
「はいはい、もう余計なこと言いませんってば。それより、寄ってくでしょ?」

実杏がニッコリ笑う。

「……もちろん!」


◇◇◇◇◇

実杏とのガールズトークに花を咲かせて、帰宅したのは夜の8時を少し過ぎたころだった。
鞄から鍵を取り出して、玄関を開ける。
お父さんの転勤に、娘二人を置いてついていったお母さん。
お姉ちゃんも、アパレル関係で仕事をしていて、夜はたいてい遅くなるから、いつもひとり。
家中の電気をつけると、ふーっとため息を吐いてソファーに座った。

さすがにこの時期、コートなしでの帰宅は身体に堪える。
部屋を暖めたいのに、寒くて思うように身体に力が入らない。
かろうじて手の届いたエアコンのリモコン。
その電源を入れたとき、ポケットの中のスマホがブルッと震えた。

まーた、彼のところにお泊りか。
お姉ちゃんからのラインのメッセージを見て、返信もせずにその辺に放り投げる。
こんな風にお姉ちゃんが夜帰ってこないこともしばしばだ。
実杏とカフェでつまんでたポテトのおかげで、お腹は空いてなかったけれど、部屋が急激に暖まり出したというのに、私の寒気は一向に治まってくれる気配がなかった。
それどころか、さっきよりも背中がゾクゾクとする。さっきその辺に放り投げたスマホを必死で手繰り寄せると、私は玲也くんのメモリーを呼び出した。
ワンコールで、すぐに繋がった玲也くんの電話。
まだ外にいるのか、少し騒がしい。

「質問でーす! 私は今、ひとりで何をしてたでしょう? 1番……、」
『……用事がないなら切るぞ? 今、先生方と飲んでるんだ』
「ふーん、そうなんだ」

冷たくあしらわれたような気がして、私までつっけんどんな答え方をすると、玲也くんがあからさまに不機嫌そうにため息を吐いた。

『……あのな、俺とお前は幼なじみである前に、教師と生徒なんだぞ? あまり周囲に誤解受けるようなことはしないでくれ』
「玲也くんが勝手に教師になったからでしょ?」

私の許可なく、私の学校の先生になっちゃうなんて、酷すぎる。

『……お前な、俺がずっと教師になりたかったの、知ってただろ?』
「知ってたわよ。どうせ、変態玲也くんのことだから、女子高生とよからぬことができるかも……なんて、そんな理由なんでしょ?」

そんなこと、これっぽっちも思ったことはないのに、素直じゃない唇から零れた言葉の数々は止まってくれなくて。
ハッと我に返ったときには、耳元にあてた携帯から、通話が終了したことを知らせる“ツーツー”という音が聞こえてきた。

もう、玲也くんなんて知らない!
スマホを放り投げると、起き上がって着替える気力も起きなくて、そのまま目を閉じてしまった。


姉の彼氏VSただの担任

遠い意識の中で、何度もスマホが震えているのは気づいていたけれど、力の入らない身体は、思うように動いてはくれなかった。まだせいぜい一時間くらいしか経ってないだろうと、擦った目。
ぼんやりと時計を見つめると、もうとっくに朝のホームルームの時間を過ぎていた。

えっ!? 嘘!

一時間めは玲也くんの数学のテストが返ってくるのに。やばいと思って、起き上がろうとしても、身体はいうことを聞いてくれない。よろよろと床を這って、スマホを手に取ると、玲也くんからの着信が数件。ラインのメッセージが一件入っていた。

朝の弱い私を起こしてくれるのは、いつも玲也くんのモーニングコール。
いつもの時間から数件立て続けに残る着信履歴。
メッセージは、最後の着信の直後に届いたものだった。

*****

ふて腐れて電話に出ないのか?

*****


あぁ、昨日、玲也くんのこと怒らせちゃったんだっけ。私たちがくだらないことでケンカするのは日常茶飯事。たいていが私を必要以上に子供扱いする玲也くんに、私が勝手に怒ってるだけ。
それでも、いつも朝になれば毎日変わらずモーニングコールをくれる玲也くん。
電話にちょっと出なかっただけで、こんな風に言うなんてひど過ぎる。

もういいや。
スマホの電源を落として、その辺りに放り投げた。
エアコンのせいで、喉はカラカラだったけれど、冷蔵庫まで歩けそうにない。なんとかソファーにはい上がって、目を閉じる。

やばい、昨日の夜より寒気がひどいかも。
それでも動けなくて、お姉ちゃん愛用の薄手のブランケットに手を伸ばして、なんとかソレに潜り込んだ。


◇◇◇◇◇

「……きゃっ!」
「あれ? 有華かと思って、ごめん」

私の目の前には、見知らぬ男の人のドアップ。

「あの、あなたは?」
「瑛司(えいじ)です。お姉ちゃんから聞いてない? 一応お姉ちゃんの、恋人だと思うけど」

なぜか“一応”を強く言った瑛司さん。
整った顔立ち。
昔からイケメン好きだったお姉ちゃんが、いかにも好みってタイプの人だった。

「……ごめんね。何度インターフォン押しても出てこないし、鍵開いてたから……」

瑛司さんはニコリと爽やかな笑顔を浮かべると、キョロキョロと辺りを見回した。

「あの、お姉ちゃんは?」

すでに暗くなってる外の景色。お姉ちゃんが普段帰る時間には、まだ随分早かったけれど。

「……いや、実は昨日ケンカしちゃってね。今日仕事帰りに有華のショップに行ったら、今日は具合悪くて休んでるって言うから」

コンビニの小さな袋に入ったプリンを二つテーブルに並べた瑛司さんは、私の額に手を当てた。

「ちょっ、何するんですか!」

お姉ちゃんの彼氏とはいえ、私たちは初対面だというのに、やけに馴れ馴れしいというか、人懐っこいというか。

「……いや、顔がやけに赤かったから……。もしかして君、ちょっと熱があるんじゃない?」

今度は瑛司さんの手ではなく、その額が私の額にぶつかった。
触れ合いそうなほど近い、瑛司さんの唇。
今まで、一度も玲也くん以外に反応したことのない心臓の鼓動が、トクントクンと、大きく脈打った。

「……お前、何やって、」

直後、リビングの入り口から聞こえてきた、この上なく不機嫌な玲也くんの声。
瑛司さんは私から離れると、玲也くんの顔をまじまじと見据えた。

「もしかして、佐梨ちゃんの彼氏?」

にこやかなのは、まるで空気を読めていない瑛司さんだけ。

「彼氏なんかじゃありません。ただの担任ですから」

これでもかとばかり、“ただの担任”を強調してみせる。ムスッとした玲也くんは、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

「どうして今日学校休んだ?」
「榊原先生には、関係ないでしょう?」

すっぽりとブランケットの中に潜り込む。

「……嫌われちゃってますね、センセ。今日は帰った方がいいんじゃないですか?」

わざと挑発するような言い方をする瑛司さん。
玲也くんがどんな顔をしているのか気になったけれど、ブランケットの隙間から覗いたときには、すでに玲也くんが部屋を出ていくところだった。
パタン、とドアが閉まる音が聞こえてくると、瑛司さんが私の身体を抱き上げる。

「……ちょっと! 何するんですか!」
「いや、かなり熱っぽいから、こんなソファーの上じゃなくて、ちゃんとベッドで眠った方がいい」

私の留守中に、何度か来てるのかな?
迷うことなく私の部屋の扉を開けた瑛司さんは、私をベッドまで運んでくれた。

「……すみません、」
「いえいえ。本当はそれも脱がせてやりたいところだけど、そんなことしたら、“センセ”に怒られちゃうよね」

“センセ”を強調して、意味ありげに笑う。

「彼は、ただの先生ですから」

玲也くんに言われるより、自分自身で言う方がこんなにも苦しいだなんて。
ギュッと痛む心を隠して、笑顔を作った。

「それより、佐梨ちゃんのスマホ、借りてもいいかな?」
「……え? スマホですか?」
「うん。ほら有華、俺からの電話だと出てくれないんだよね。怒り出すと、頑固でしょ?」

そっか……。
瑛司さん、お姉ちゃんとケンカしちゃったって言ってたっけ。

「……リビングに転がってると思いますから、適当に使って下さい」
「悪いね、ありがとう!」

瑛司さんが部屋から出ていくと、いつもの静けさを取り戻した部屋。
きっと、玲也くん、誤解したよね……。
私が学校サボって、瑛司さんと遊んでるって思うのが普通だよね。
涙が頬を伝って、枕を濡らした。


先生≦幼なじみ

「佐梨、もう大丈夫なのー?」

教室の中に入ると、一番最初にすっ飛んできてくれた実杏に、ギュッと抱きしめられる。

「うん、心配かけてごめんね! もう大丈夫だから」

結局、丸三日も休んでしまった学校。
まだ完全に本調子というわけではなかったけれど、三年生の登校も今日までとなれば、無理してでも行かないわけにはいかなかった。
あれから、玲也くんが私の家に来てくれることも、モーニングコールをくれることもなくて、なんだか顔を合わせづらい。
窓際、一番後ろの自分の席に座ると、実杏も私の前の席に腰を下ろした。

「……玲也くん、佐梨がお休みの間、すごく機嫌悪かったんだよー?」
「ふーん」
「……ふーんって、何? もしかしてケンカでもしたの?」

実杏が大きな目をパチクリとさせたとき、ガラガラと教室のドアが開いて、玲也くんが入ってくる。
いつもの習慣で見つめると、すぐにパッと逸らされてしまった。
そのまま、ちらりとも私を見ようとはしない玲也くん。
教え子が三日も休んでたんだから、何か一言くらい声をかけてくれてもいいのに。

“振り向け”と、強い念を送って玲也くんを見つめても、結局朝のホームルームが終わるまで、玲也くんが私を見てくれることはなかった。



◇◇◇◇◇

「……失礼しました」

国語準備室を出て、返してもらった答案をクリアケースに挟む。
あとは、数学だけか。
昼休みも、もう残りわずか。
休み時間中、ずっと答案をもらいに職員室や準備室を回っていたせいか、少し身体もだるかった。
できれば、行きたくはない数学準備室。
重たい足を引きずるように向かって、そのドアの前でノックを躊躇った。
途中通りかかった職員室には、姿の見えなかった玲也くんのこと。
準備室には確実にいるだろう。
気持ちを落ち着かせるために、小さく深呼吸をすると、私がドアを開けるより先に、そのドアは中から開いた。
目の前に私が立っているなんて思いもしなかったのか、戸惑った表情をする玲也くん。

「……あの、数学のとう……あん、」

言い終わるかどうかで、突然真っ白になってしまった視界。
次の瞬間には、遠のいていく玲也くんの声と、玲也くんに抱きかかえられるのを感じながら、意識を手放してしまった。


――あれ、私?

そっか、数学準備室の前で倒れちゃったんだっけ。
ベッドの脇のちょっとしたスペースに、突っ伏すように寝ていた玲也くん。
もしかして、ずっと傍にいてくれたの?
スースーと、規則正しい寝息を立てていて、起きる気配は全くなかった。

ちょっと寝たおかげか、さっきよりもだいぶ楽になった身体。玲也くんを起こさないように、静かにベッドを抜け出す。
二人きりの空間。ここが学校の保健室だってことも頭から飛んでしまって、何かに誘われるように、玲也くんの頬に、軽く口づけた。

「……佐梨?」
「あ……ごめんなさい、私……」

私がキスをしたばかりの頬に触れる玲也くん。なんて言い訳すればいいか言葉が出てこなくて、私は慌てて保健室を飛び出した。

何やってんだろう、私。
後悔は涙に代わって、頬を濡らした。

「……待てって、佐梨!」

どんなに一生懸命逃げたって、元陸上部エースだった玲也くんに捕まるのはわかりきっていたこと。
保健室を出て、すぐの階段を上りきった踊り場で、玲也くんに抱きしめられた。

「……もう逃げたりしないから、離して」

私に、幼なじみ以上、生徒以上の感情なんて持ち合わせてない玲也くんは、あっさりと私を解放した。

「ごめん、俺、」
「なんで玲也くんが謝るの? 謝らなくちゃいけないのは、私の方だよ」

玲也くんの夢を知っていたのに、その夢を侮辱するようなことを言ってしまったんだから。
フルフルと首を横に振った玲也くんは、私の頭をポンと撫でた。

「佐梨、昔から具合悪くなると、やけにテンション高く電話してきただろ? 本当は、あの夜……」
「……元気だったよ。元気に決まってるじゃない」

そんなことで、玲也くんに罪悪感なんて感じてほしくなくて、小さな嘘を吐く。

「でも、」
「やだな、玲也くんってば、そんな気にして保護者みたいだよ。薄着で遊び歩いてたから、ちょっと風邪ひいちゃっただけ。自業自得ってやつ? もうすっかり元気だから!ね?」

精一杯の笑顔を向けて、力こぶを作ってみせる。

「……とにかく、今日は送っていくから、数学準備室で待ってろ」
「私なら、本当に大丈夫だから!」
「ダメだ。とにかく、急いで仕事片付けてくるから、待ってるんだぞ?」

ポンと放りなげられた玲也くんの車のキー。

「……いいか? 絶対に待ってろよ?」

もう一度強く念押しするように言った玲也くんは、軽やかに階段を下りていってしまった。

「失礼します」

誰もいないのがわかってるのに、ゆっくりと数学準備室のドアを開ける。玲也くん以外の数学の先生が、数学準備室を使うことはほとんどなかった。

保健室で、三時間以上も寝ていたのか、鞄を取りに戻った教室には、もう誰の姿もなかった。
グラウンドから聞こえてくるのは、野球部の練習する音。
準備室の固いソファーに腰を下ろして、その練習風景を眺める。

次に学校に来るのは、卒業式か。
二月から、三年生は自主登校。
私のように、すでに推薦で進学先が決まっている人は、もう学校に来る理由なんてないから。
ここで玲也くんと過ごした貴重な時間がもうないんだと思うと、それだけで胸がキュッと締め付けられた。

六つも歳が違えば、同じ学校に通うのは初めてのこと。そう考えれば、たとえ教師と生徒だったとしても、同じ学校に通えた二年間は、奇跡だったのかもしれない。
立場は違っても、ずっと同じ時間(とき)を刻みたいと思ってた玲也くんと、同じ時間を共有できたのだから。

「よかった!」

勢いよく開いた数学準備室のドア。
息を切らした玲也くんが、ホッとしたような笑顔で中に入ってくる。

「……もしかして、走ってきたとか?」
「まぁな、佐梨が先に帰っちゃったんじゃないか、ずっと気になってて」

持っていた荷物を机の上に置いた玲也くんは、優しい笑みを浮かべた。

「先生が廊下走ってもいいのかな?」

からかうように言うと、苦笑いする玲也くん。
額に、玲也くんの手が当てられて、心臓の鼓動がトクンと脈打った。

すぐに離れた手。
代わりに玲也くんの顔が近づいてくる。
思わず目を閉じると、玲也くんの額が、私の額に重なった。

「……熱はもうないみたいだな」

すぐに離れて、照れ臭そうに笑う。
もう至近距離にはいないのに、さらに鼓動はバクバクといっていた。

「有華に連絡したら、今夜も遅くなるみたいなんだ。だから、今夜は……」

躊躇いがちに揺らめいた玲也くんの目。
まっすぐに見つめると、
「……うちに泊まっていけ」
さっと逸らされた。

え?
玲也くんの部屋に?

さっきよりも強く、鼓動が脈打つのが自分でもよくわかった。


唇までの距離

お姉ちゃんと一緒に、数回遊びに行ったことのある玲也くんの部屋だったけれど、いざ泊まっていくとなれば、緊張しない方がおかしくない。
制服を脱いで、急いで着替えると、お泊りに必要なものを鞄につめる。

化粧水と、乳液と、それから……。
実杏と一緒に、ふざけて買った勝負下着を、最後につめた。

「忘れ物ないか?」

リビングに行くと、玲也くんが吸いかけのタバコを灰皿に押し付ける。
時間にしたら、ほんの10分程度だったはずなのに、灰皿の中には、数本のタバコがほとんど長いまま残されていた。

「……玲也くん、タバコ、」
「え?」
「こんなに吸ったの?」

玲也くんがタバコを吸うのは知ってはいたけれど、普段私の前で吸うことはほとんどない。

「……あ、気づかなかった」

無意識に吸っていたのか、苦笑いした玲也くんは、タバコをしまうと、私の鞄を持ってくれた。

「佐梨、お前、何泊するつもり?」
「え? 一泊、じゃないの?」
「そのわりには、ずいぶんな量じゃない?」

ニヤリと笑う玲也くんを、キッと睨む。

「そ、そんなことないもん。女の子には女の子の事情ってものがあるんだから!」
「……勝負パンツとか入ってたりして」

からかうように笑った玲也くんに、顔を覗き込まれる。一瞬、見透かされたのかとドキッと言葉を失ってしまった。

「……もう、玲也くんの変態! やっぱり女子高生を部屋に連れ込んで、エッチなこと考えてるんでしょっ!?」
「ばーか、誰が佐梨相手に。どうせ連れ込むなら、もっと大人のナイスバディのだな、」
「どうせ私は、大人でもないし、ナイスバディでもありませんよーだっ!」

プイッと顔を背けると、優しく頭を撫でられた。

「……拗ねるなって。それが佐梨だろ?」

そのまま、手を引かれる。



◇◇◇◇◇

「今、お風呂の準備するから、その辺で適当に待ってろ」

バスルームに消えた玲也くんの背中を見送って、二人がけの小さめなソファーの上に腰を下ろす。
バクバクとうるさい心臓。

落ち着け、私!
大きく深呼吸するものの、ちらっと視界に入ってきたシングルベッドの存在に、落ち着くどころか、手のひらに変な汗までかいてしまう始末だった。

玲也くん、一体どういうつもりで“泊まってけ”なんて言ったんだろう。
幼なじみ以上の感情がないから、何の躊躇いもなく泊めてくれるの?
それとも、少しは可能性あるんだろうか。

落ち着かなくて悶々としていると、少ししてシャツを腕まくりしていた玲也くんが出てくる。
意識しないようにしても、いつもとは違う空間と二人の距離は、なんだかぎこちない。
真っすぐに玲也くんを見るのが、なんだか気恥ずかしかった。

「……すぐにたまるから、入ってこいよ」
「あ……うん、玲也くん、は?」

驚いたように見開かれた目。

「ガキの頃みたいに、一緒に入るか?」

鼻をつままれて、クスッと笑われた。

「や、玲也くんってば、変態! 何考えてんのよ」
「ばーか、佐梨の身体見て欲情するかっていうの」「……そ、そんなふうにいつまでも子供扱いしないでよ。私だって、もうちゃんとした女なんだから!」

荷物を持って、バスルームへと駆け込んだ。
着ていた服を脱いで、その裸を鏡に映す。

私だって……。
もう玲也くんが想うような、ガキじゃないんだから。

ちょうどいい量に溜まった浴槽。タポンと、足を踏み入れたときだった。

バチン!
大きな音がしたかと思うと、突然真っ暗になったバスルームと脱衣所。

え!?
嘘?
停電?
昔から、真っ暗な場所が大の苦手だった私。

「……れ、玲也くん、」

思わず呼んでしまった玲也くんの名前。

「佐梨! 大丈夫か?」

勢いよく玲也くんが中に入ってきて、抱きしめられた直後、電気が元に戻った。

「……ごめん、俺、」

慌てて私から離れ、背中を向けた玲也くん。
とっさに、その背中に抱き着いた。

「私、もうガキじゃないよ?」
「おい、佐梨、離せって……」
「いや……。ちゃんと私を見てよ? もう、子供じゃないんだから、欲情してよ……」

玲也くんの前に回って、玲也くんの手を取ると、私は自分の胸の膨らみに、その手を置いた。

「おい、やめろって!」

慌てる玲也くんに、背伸びして口づけようとすると、パッと顔を逸らされた。

「……佐梨、勘違いするなよ? 俺が今日、佐梨をここに連れてきたのは、有華に頼まれたからだ。お前が幼なじみだからだ」

私の胸から手を離した玲也くんは、一度も私の顔を見ようとはせず、ただ冷たく言うと、そのまま浴室を出て行ってしまった。
まだ玲也くんが触れていた胸が熱くて、へなへなと冷たい床の上に座り込む。
幼なじみなんかに、なりたくなかった。
ちゃんと、一人の女として見てよ。
苦しくて、涙が溢れだした。

どんな顔をしてお風呂から出ればいいのかわからなくて、涙が引っ込んだ後も浴槽の中から立ち上がることができなかった。
外気温がかなり低かったせいか、お湯の温度も急激に低くなって、寒くて顎までお湯に浸かる。

幼なじみ以上には思えない。
玲也くんの気持ちなんて、もうずっと前からわかっていたこと。
またじんわり涙が溢れだす。

鏡なんて見なくても、ずいぶん泣いてしまったせいで、目が腫れているのはわかってた。
こんな顔、玲也くんには見せられないし、見られたくない。

浴槽から上がると、お風呂に入る前よりも寒気が増す。なんとか踏ん張って脱いだ洋服に着替えたけれど、ガタガタと襲ってくる寒気に堪えられなかった。

脱衣所を出て玲也くんの顔を見た瞬間、「帰りたい」と言いかけた声は言葉になることなく、ガクッとひざから力が抜けて、すっ飛んできた玲也くんに抱きかかえられた。

「佐梨、お前、身体震えてるぞ?」

玲也くんの手が私の額に触れる。
涙のせいか、熱のせいか、玲也くんの顔が霞んで見えた。

「……ごめ、ん、ね……」

玲也くんのベッドに下ろされると、ひんやりとしたシーツにさらに身体が震える。
寒いよ……。酷くなるばかりの震え。
ベッドに入ってきた玲也くんに抱きしめられた。


先生の愛しい彼女

目が覚めると、キッチンからいい香りが漂ってくる。

あれ……?
見慣れない天井とカーテンが目に留まると、昨日の夕方、玲也くんの家に連れてこられたことを思い出した。

「佐梨、起きた? もう大丈夫?」

ベッドサイドにちょこんと腰を下ろしたお姉ちゃんは、私の額に冷たい手が当てた。

「本当だ、下がってる」
「……え?」

なんでもない、と首を横に振りながら、笑顔になるお姉ちゃん。

「ね、玲也くんは?」

声も聞こえてこなければ、ここから見渡せる限りの位置に、玲也くんの姿は見えなかった。

「玲也? あぁ、今ごろは“愛しい彼女”のベッドで眠ってるんじゃないかしらね」

愛しい彼女……?

そっか。
玲也くんにも、そういう女性(ひと)、ちゃんといたんだ。
玲也くんが初めて彼女を紹介してくれたときのことを思い出して、胸がキリキリと痛む。

玲也くんは、私の初恋だった。
大学時代は、誰かと付き合ってる風には見えなかったけれど生徒からも結構人気あるし。
彼女がいない方が不思議なくらいだもん。

「それより、お粥できてるから、ちゃんと食べるのよ? それと、今日はここにいるようにって、玲也から伝言」
「……え? お粥食べたら、私帰るってば!」

バサッとベッドから飛び出すと、お姉ちゃんに制止された。

「それはダメ。お願い、ね?」
「なんでよー」

昨日の夜のことを思い出すだけで、どんな顔をして玲也くんに会えばいいのかわからないよ。

「どうしてもダメ。とにかく、絶対ダメだから! わかった? 玲也も、すぐ戻ってくると思うから、ね?」

念押しするように言ったお姉ちゃんは、腕時計を一瞥すると、
「……とにかく、今日はここでおとなしくしてること!」

さらに念押しをして慌ただしく出ていってしまった。

そろそろと静かにベッドから起き上がる。
冷たい空気に一瞬身震いしたけれど、昨日のような寒気は全くなかった。

彼女、か。
どんな女性なんだろう?
私には、きっと到底敵わない、大人の女性なんだろうか。

お姉ちゃんは、もしかしたら玲也くんの彼女に会ったことがあるのかもしれないな。
どんなに頑張っても、埋められない歳の差。
縮められない二人の距離。
やっぱり、これ以上ここにはいられないよ。

お姉ちゃんの作ってくれたお粥を、手付かずのまま片付けると、私は“家に帰ります”と置き手紙をして、玲也くんの部屋を出た。



◇◇◇◇◇

「……だからって、どうしてうちなわけ?」
「だって、実杏のところしか思い付かなかったんだもん」

あれだけ帰ってくるなと念押ししたお姉ちゃんのこと。もしかしたら、瑛司さんでも泊まっていったのかもしれない。

「でも、玲也くんが帰ったら、佐梨のこと探すんじゃない?」
「……大丈夫だよ。ちゃんと書き置きしてきたし、それに、今ごろきっと彼女と仲良くやってるはずだから」

自分で言って、自分で泣いちゃうなんて、ばかみたい。浮かぶ涙を拭って、フーッとため息を吐いた。

「ほらほら、泣かないの。今夜はどうせうちの親も仕事でいないし、泊まってってもいいから」

ヨシヨシ、と言わんばかりに、実杏に頭を撫でられる。

「……ありがとう、実杏、」

溢れる涙を、実杏の差し出してくれたハンカチで拭う。

「もう、佐梨ってば。……あ、そうだ! 佐梨に紹介したい人がいるの」
「え……?」
「恋を忘れるには、新しい恋って言うでしょ?」

玲也くんに振られたからって、そんな簡単に新しい恋になんて、気持ちを向けられない。

「私は、まだいいよ」
「そんなこと言わずに、善は急げよ!」

実杏は誰かに電話をかけ始めた。



◇◇◇◇◇

「……やっぱり、私帰る!」
「何言ってんのよ、せっかくここまで来たのに。それに、どこに帰るの? どっちにも帰れないんでしょ?」

実杏の家を出たころから、何度も鞄の中で振動を続けるスマホ。
電池の残量マークも、もうほとんどなかった。

「……絶対佐梨も気に入るから」

いつもは着ないような、胸元を強調するような実杏のワンピース。
それだけでも着心地がよくないというのに、さっきから店を出入りする人達がすごく大人に見えて、居心地もよくなかった。

「ちょっと変わったところはある人だけど、絶対、佐梨も気に入るから。ね?」

不安な気持ちで、鞄の中のスマホを取り出す。
玲也くんからのメッセージは、未読のまま20件を越していた。

「……きっと彼なら、玲也くんのこと、忘れさせてくれるから」

スマホの画面を見つめる私に、実杏が囁く。
玲也くんにとって、私はただの幼なじみ。
それはきっと、これからも変わることはないから。
意を決して頷くと、後ろから思いきり腕を引っ張られた。
ふわっと鼻をくすぐったのは、玲也くんと同じ香り。
顔をあげると、いつになく不機嫌そうな顔をした玲也くんが立っていた。

「悪戯がすぎるぞ、早川」

玲也くんは、実杏のことをじろっと睨みつける。

「すみません」
「お前も、まだ体調万全じゃないのに、何やってんだ?俺へのあてつけか?」

玲也くんにきつく握られた手首が、ジンジンと痛む。

「……私のことなんて、ほっといてよ。大好きな彼女のところにでも、入り浸っていればいいでしょ!」
「彼女……?」
「ごまかさなくても知ってるんだよ。お姉ちゃんから聞いたんだから。今朝、彼女の部屋に行ったって……」

一瞬の隙に緩んだ玲也くんの力。思いきり振り払うと、私はそこを飛び出した。


◇◇◇◇◇

「佐梨ちゃん? どうかしたの?」

震える手で、玄関の鍵を開けていると、後ろからポンと肩を叩かれた。振り向くと、そこに立っていたのは瑛司さんだった。

「……なんでもないですから!」

お姉ちゃんには、帰ってきたらダメだと言われてたけど、私にはここしか戻る場所はないから。
瑛司さんの脇をすり抜けて、自分の部屋の中に入ると、ベッドに突っ伏した。

……え?
鼻をくすぐった残り香に、思わず起き上がる。
わずかに乱れたベッド。

学校に行く前、私、ちゃんと直してから出かけたよね?
涙目を擦って部屋を出ると、廊下でトンと瑛司さんにぶつかる。瞬間鼻をくすぐったのは、ベッドに残されていたものと同じ香りだった。

この匂い、あれ……?
でも、まさか……。

「……瑛司さん、もしかして私のベッドで眠りました?」
「え? あぁ、それは、」

瑛司さんに少し遅れて、息を切らした玲也くんが家の中に入ってくる。瑛司さんは、玲也くんの存在に気づくと、私を抱きあげた。
急に反転した視界。

「……ちょっ、瑛司さん? 何するんですかっ!」

足を思いきりばたつかせると、瑛司さんは挑発するように玲也くんを見据えた。

「いいよね、女子高生の匂いって。すごくそそられるし」
「何言ってるんですか!」
「……お前、佐梨に触れるな!」

厳しい表情をした玲也くんは、強引に私を瑛司さんから引きはがすと、私の手を引っ張った。

「……行くぞ、佐梨!」

半ば引きずられるような形で、玄関まで連れてこられる。

「……嫌! 触らないで!」

玲也くんと一緒には行けないよ。
私以外の人に触れるその手で、触れてほしくないと思ってしまった。


キスから始めて

泣き腫らした目には、眩しすぎる太陽の光が窓辺から差し込む。
いつまで落ち込んでたって、この恋は叶わない。
わかっていても、子供のころからずっと想い続けた玲也くんのことを忘れるには、時間がかかりそうだった。

酷い顔。まぶたも腫れて、とても見られたもんじゃない。
鏡をパタンと閉じると、大きく背伸びをして着ていたパジャマを脱いだ。
下着だけ身につけたまま、クローゼットをあける。
ギシッと少し軋む音に重なるように、ノックもなしに開かれた部屋の扉。
お姉ちゃんだろうと思って振り向くと、

「……きゃっ、」
「ごめん! 悪い! 見てないから」

玲也くんが慌てて扉を閉めるところだった。
もう部屋の扉は閉じられているというのに、急いで適当なシャツを羽織る。
扉を開けると、少し困ったような顔をした玲也くんが立っていた。

「……ごめん、ノックもしないで部屋に入るなんて、不謹慎だった」
「見た?」
「いや、見てないから!」

玲也くんは、大きく頭を横に振る。

「本当? 女子高生の意外に豊満なボディに、ちょっとクラクラと欲情しちゃったんじゃない?」
「……ちょっと、な」

クスクスと、目があって笑いあう。
やっぱり私、玲也くんのこと、好きだよ。
どんなにひどいことを言ったって、私のことを誰よりもわかって、信じてくれてるのがわかる。
恋人になれなくても、幼なじみでしかいられなくても、玲也くんの傍にいたいよ……。

すっと伸びてきた玲也くんの手。
優しく私のまぶたをなぞった。

「……ずいぶん、泣いたんだな」
「一生分の涙、使い果たしちゃったかな」
「じゃ、卒業式でも泣けないな」

まぶたに触れた玲也くんの手は、頬におりてくる。

「……それは別でしょ」
「なんだよ、それ」

苦笑いした玲也くんの腕に抱き寄せられる。鼻をくすぐった玲也くんの香り。やっぱり、瑛司さんと同じだ。こうやってそれぞれから香ると、微妙に違うような気がするけれど、香水そのものは、同じ香りだった。

「テスト。俺の作るテストで、百点だったのは佐梨だけだから」
「……だって、玲也くんのひっかけ問題のパターンって、単純なんだもん」
「そんなことないだろ?」

玲也くんが、そんなことないと言わんばかりに心配そうな表情をする。

「あるある! だから百点なんて楽勝」
「……約束だからな」
「え?」

玲也くんは、手を差し出してきた。

「今から行くぞ、遊園地」

そして、反対の手でポンポンと撫でられた頭。
嬉しくて、離れたばかりだというのに、玲也くんに思いきり抱き着く。

「ありがとう! 玲也くん、大好き!」
「ほら、そんな顔じゃ行けないだろ? さっさと準備してこいって。待ってるから」

頷くと、大急ぎで準備を始めた。



◇◇◇◇◇

「……なんでお前らまで一緒なんだよ」

玲也くんがルームミラーから、後ろに座るお姉ちゃんと瑛司さんを見てため息を吐く。

「あら、せっかくお休みが一緒だったんだもの。そんなこと言わなくていいじゃない?」
「だったら、二人で行けばいいだろ?」
「ねぇ、瑛司くん、今の聞いた? 私たちがいたら邪魔みたいよ。きっとこの変態教師、遊園地に連れていくなんて甘い言葉で女子高生を誘い出して、いかがわしいことをするつもりなんだわ」

お姉ちゃんと言い合いになって、玲也くんが勝った試しは一度もない。

「おい、有華! お前なー、」

相変わらずのお姉ちゃんの妄想力に、玲也くんは肩をすくめた。

「あら、私にそんな冷たくしていいのー? この間、玲也が“愛しい彼女”の部屋で、変態なことしてたって、佐梨にばらしちゃおうか?」
「おい、それだけは勘弁してくれ!」
「だったら、文句言わずに前見て運転! あ、それと遊園地代も玲也のおごりだからね!」

玲也くんは一瞬後ろを振り返って、お姉ちゃんたちのことを軽く睨んだ。

「おい、なんで俺が!」
「言っちゃおうかなー、玲也の変態行為、」

舌打ちをした玲也くんは、ルームミラー越しにお姉ちゃんを睨むと、それ以上何かを話すことなく静かに車を運転した。

後ろの席で、仲良さそうなお姉ちゃんと瑛司さんの会話に混じりながら、時々玲也くんの顔を盗み見る。
気にしないようにしていても、やっぱり気になる玲也くんの彼女の存在。
せっかくのお休み、私なんかのために時間を使わせてしまってもいいんだろうか?
約束なんて、私が一方的に交わしたもの。守る義務なんて、玲也くんにはないのに。

「どうした? 元気ないみたいだけど?」
「……ううん、元気だよ、私!」

ふっと絡んだ玲也くんとの視線。ポンと私の頭を撫でてくれると、またすぐに視線を前に戻す玲也くん。
きっとこれは、神様がくれたプレゼント。
大学合格祝いと、高校卒業祝い。
この恋が実らなかったとしても、私が玲也くんと幼なじみでいることはこれからも変わらない事実だから。

「ね、玲也くんってやっぱり変態だったんだ?」
「は?」
「だって、彼女の部屋で変態プレイでもしちゃったんでしょ?」

急に顔を真っ赤にした玲也くんは、私の頬をムギュっとつねった。

「佐梨、お前最近、有華に似てきた」
「へ?」
「……なんでも、妄想しちゃうとこ」
「そうかな? 普通だと思うけど、」

首を傾げると、玲也くんの左手が私の右手を取る。

「あんまり、変な妄想しすぎるなって」
「してないよー!」
「ならいいけど、」

そのまま、遊園地に到着するまで繋がれた二人の手。
片手だけで、運転しにくくないのかな?
それでも、一秒でも長く繋いでいたいと、願ってしまった。



◇◇◇◇◇

「観覧車にでも乗るか?」
「いや、先にジェットコースターがいい!」

お姉ちゃんたちと別れて、玲也くんと二人きりになると、いつもと違う場所のせいか、やっぱり緊張してしまう。
それなのに、観覧車なんて密室の中、二人きりで一周なんてしちゃったら、もっと一緒にいたいって望んでしまいそうだから。

「じゃ、先にジェットコースター。次は観覧車でいいな?」
「……だから、観覧車はいいんだってば!」
「もしかして佐梨、高所恐怖症?」

複雑な乙女心なんて、ちっとも気づいてない玲也くんは、私の手を取ってジェットコースターの最後尾に並んだ。

「……高所恐怖症なんかじゃないもん!」
「じゃあ、どうして乗らないんだよ? 遊園地といえば、観覧車だろ?」
「観覧車に乗せて、女子高生にいかがわしいことでもしようと考えてるんでしょ?」

わざと言うと、私の手を握っていた玲也くんの手に、わずかに力がこめられた。

「そうですけど、それが何か? 俺は変態教師だから、あの密室の中で、同じ変態女子高生に手を出そうと思ってます」

玲也くんはにこやかに笑い飛ばした。


◇◇◇◇◇

「……もう、ジェットコースター苦手ならそう言ってくれればいいのに」
「ばーか、俺のテストで百点取ったご褒美だろ? 佐梨は気にするなって」

ジェットコースターに乗る前は、全然怖がる雰囲気なんて見せなかった玲也くん。
安全バーがおりてくると、急に無口になって。そんな妙に大人ぶるところに、胸がキュンと締め付けられた。
ジェットコースターを下りたところで、数分風を送ってあげると、青ざめていた玲也くんの顔色も戻ってくる。

「……ほら、次は観覧車だからな?」

玲也くんが再び私の手を取る。
やっぱり、玲也くんのこと好きだよ……。
繋いだ手から、伝わってしまうんじゃないかと思うほど、溢れ出す想い。
何も言わない玲也くんに連れられて並んだ列の最後尾。
ジェットコースターを待っていたときはすごく長く感じられたのに、観覧車に乗る二人の順番は、すぐに訪れた。

箱の中に入る一瞬、離れた玲也くんの手。先に入った私は、真ん中に腰をおろす。
玲也くんが乗ると、扉がガチャンと閉じられた。

「……なんで真ん中に座ってんだよ?」
「え……?」

私を端っこに押しのけて、強引に私の隣に座った玲也くん。
ジェットコースターに乗ってたときよりも、格段に近づいた二人の距離。嫌でも心臓の鼓動が跳ね上がる。

「……あ、あっちも空いてるじゃん」
「ばーか、観覧車に乗って、離れて座る男女がいるか?」
「そりゃ、そうだけど……」

玲也くんの言うことは間違ってはないけれど、こんな風に期待を持たせるようなこと、しないでほしいよ……。
玲也くんの手が、私の頬に触れた。

「……言っただろ?」
「え……?」
「観覧車の中で、女子高生に変態プレイするつもりだって」

悪戯っ子のような玲也くんの笑顔に、さらにうるさくなる心臓の鼓動。頬にあった玲也くんの指が、ゆっくりと私の唇をなぞった。

「……ちょっ、変態プレイって……冗談よね?」

私の問い掛けには答えず、さらに私の首筋、頬の順で玲也くんの指が這う。いつもとは違う玲也くんの行動がこれ以上直視できなくて、観覧車の箱が頂点に達した瞬間、ギュッと目を閉じると、額に柔らかい温もりを感じた。

え?

目を開けると、玲也くんのドアップが飛び込んでくる。玲也くんの唇が私の額に触れたまま、ゆっくりと下降を始める観覧車。
もう一度目を閉じると、玲也くんの唇が離れて、きつく抱きしめられた。

「……卒業式が終わったら……俺たち、キスから始めよう」


fin

2020.6.23

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いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。