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【京都】古都に隠された十字架~古代のイスラエルと日本の繋がり(後編)

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■はじめに(後編)

このノートは、ノンフィクションライター、超常現象研究家などとして活動する百瀬直也が、20年弱前に京都を訪れた際の聖地巡礼記に、「古代イスラエルと日本の繋がり」をテーマとした論考を加えたつづれ織りのようなノンフィクション作品です。

まず、「前編」の方から先に読まれないと、意味が通じない部分も多いと思います。
この後編では、京都の東寺、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)、大酒神社、広隆寺、松尾大社などの聖地を廻り、前編に続き、謎の古代・秦氏と古代イスラエルの関連性について探求を続ける。

そして、そこに以下のような論考を織り込んでいく。

◎空海と景教(ネストリウス派キリスト教)の関係
◎京都のレイライン
◎おしら神とオシラー女神
◎稲荷=キリスト説
◎三柱鳥居の謎
◎ダビデの神社?
◎牛祭りとヨム・キプール
◎司馬遼太郎も書いた秦氏=キリスト教徒説
◎聖徳太子とナザレのイエス
◎秦氏と西域から来た雅楽
◎平安京は日本のエルサレム?
◎広隆寺・景教教会説
◎秦氏はユダヤ教徒?景教徒?
◎天皇家とイスラエル十支族
◎秦氏と酒造

■弘法大師空海と景教(キリスト教)

2002年5月4日、土曜日
二泊三日の京都・天橋立旅行の3日目の最終日は、京都の秦氏にまつわる神社仏閣巡りだ。
2日目の天橋立の旅については、別の作品である天橋立編で書くことにする。
ホテルをチェックアウトして、京都駅に荷物をあずけて、出発。
今日の最初の目的地は、東寺だ。
この寺は、高校生の修学旅行以来、何度も訪れているが、久しぶりの参拝だ。
詳しくは書けないが、弘法大師空海には、ただならぬご縁がある。

一説によると、空海も景教(ネストリウス派キリスト教)の影響を強く受けているといわれる。
空海は9世紀に遣唐使として唐に渡り、仏教を学んだ。
その頃の唐の首都長安には、仏教、道教、ゾロアスター教の寺院の他に、景教の寺院があった。
空海はインド人の僧である般若三蔵に師事し、サンスクリット語などを学んだ。

じつはこの般若三蔵は混合宗教的な信仰の持ち主で、景教の信奉者でもあったともいわれている。
それによると、空海はイエスの教えに強く影響され、新約聖書を日本に持ち帰ったという。
その説を裏付けるかのように、高野山では、勤行のはじめに十字を切る習わしがあるという。

真言密教には、灌頂(かんじょう)という儀式がある。
これは、菩薩が仏になる時、頭に諸仏が水を注ぎ、仏の位に達したことを証明すること。
密教では頭頂に水を灌いで、諸仏や曼荼羅との縁を結び、種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のこと。

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【写真】真言密教の灌頂

実は、この灌頂の儀式は、じつはキリスト教(景教)の洗礼式を取り入れたものであるという説がある。
そのことは、高野山の僧侶も暗に認めているという。

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【写真】キリスト教の洗礼式

密教の灌頂に使う祭壇の装身具には、模様に十字架が含まれている。
だが、景教とのかかわりは高野山で秘密にされているのか、なかなか一般人の耳には届かない。

■高野山も認める景教との関係

ケン・ジョセフ・シニア&ジュニア著の『[隠された]十字架の国・日本』によると、景教研究家のエリザベス・A・ゴードン女史が、かつて高野山を訪れて、僧侶を捕まえて景教のことを聞いてみた。
その時、真言宗のお坊さんは「ええ、うち(真言宗)は景教から来ていますから」と、いとも簡単に答えたという。
そして「うちは単なるグレた景教にすぎないんです」とも。

外国人だから気軽に口にしてしまったのだろうが、日本の歴史を大きく変える大事だから、本来は真言宗内部の極秘事項なのではないか。

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