共感疲労から自分を守らなきゃという気づき

8月に始めたnoteだが、ここ1か月はすっかり投稿から離れてしまった。


ただ、有難いことに、投稿から離れている間にフォローしてくださった方もいて、とっても励ましになった。SNSは基本的に苦手なのだが、noteなら続けられるかもしれないとも思った。本当に感謝している。


さて、投稿が1か月滞った理由はいろいろある。ただ、自分の中で分析してみたところ、先月上旬の台風と北海道の地震がきっかけで心がとってもつらくなってしまったことが一番にある。久々にとっても心が落ちた。そして、それをきっかけに仕事や家事が滞り、さらに心が落ちた。


私は常に人の感情にさらされる仕事をしている。だが、一緒に疲れていては話にならないとされている仕事なので、自分の中では心のケアの術はいろいろと研究してきたつもりだ。だが、もともとかなり敏感な気質。だからぎりぎりで心がもっていたところに、今回の災害を見て、バランスが崩れてしまったのだろうと思う。


自分は直接被災したわけではないのだが、親族が被災した。また、テレビ等で流れる災害情報を見ているととても他人事と思えず、どうにもこうにもやるせない気持ちになり、あっという間に心が消化不良を起こしてしまったのだ。


直接被災した人たちさえたくさんの人たちが頑張っている。私は甘いのではないか、とか、災害を言い訳にしているのではないかとか、最初はすごく自分を責めた。


だが、その後、ふと気づいた。今まで、ここまで怖いという気持ちをゆっくりと静観して感じきったことは実はなかったのではないかということに。私の感情は長い間封鎖されてきた。東日本大震災のころは、まだ自分が自分ではないような感覚である「離人感」を常に持っていた私は、怖いという感覚さえも押し殺していた。当時は、まだ必死に機能不全家族を生き抜いていたころ。


だから、もう感じるままに怖いという気持ちを感じつくすことにした。

そんな中、自分はあながちおかしくないと気づかせてくれた記事があった。私はこの記事に救われた。


「共感疲労」という言葉、確かに聞いたことはあったが、改めて人間にはこういう状態が起こりうるのだということを知り、納得し、そのおかげで、自分を建て直すことができた。


そして、その時、思った。確かに被災していない自分まで精神的に落ちて、日常に支障が生じることは予防した方がよい。だけど、そういう共感をする自分の心のありようまで責める必要はないということを。


今まで、自分の感情を大切にできるようになってから、強風や雷に対する恐怖心や、飛行機が実は苦手であること、絶叫マシンも一定レベルを超えると怖すぎること等、色々な自分の性質がわかってきた。今回の共感疲労もまた一つ学びであった。


こうやってひとつずつ、自分の心を見つめながら生きていくことで、生涯で一番長い付き合いをしていくことになる自分をより深く知ることができるんだと思った。


自分を深く知ると自分を前より好きになれる。そして、自分を好きになれると、結局は周りの人たちにたくさん愛を送れるようになる。私は仕事場と自宅の災害対策を入念にすることを心に決め、共感疲労から立ち上がった。そして、自分が今生きていることに感謝をして、仕事と家庭を守ろうと再度決意した。


結びとして

この度の災害で被害にあわれた方々に対しては、本当に心よりお見舞い申し上げます。私は親族がいる都合もあり、被災地とされる場所にこれから行く予定があります。私にできることとして、現地で命の大切さをかみしめながら、できうる限り嬉しい気持ちでお金を使いたいと思います。


久しぶりなので少し文章にまとまりが出ないが、ご容赦いただきたい。

共感疲労、敏感すぎる人にはぜひ知ってもらいたい概念だと感じた。












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