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本当の優しさってなあに?3.11東日本大震災から12年...あの日流した涙。



今日は3.11
そう、東日本大震災があった日。

あれから12年の歳月が流れようとしている。


忘れもしない
いや、忘れてはならない。
沢山の方々が亡くなられた日でもある。

今回のブログでは
私なりにこの12年のことを振り返ろうと思う。

2011.3.11
私はこの日の約1ヶ月前頃から何故か
酷いめまいで立てなくなってしまっていた。
最初、メニエールになったかと思ったよ。
地震の当日も居間のコタツに首まで入り
携帯を弄っていたのね。
(↑コイツ、ダラダラやん(-_-;))

で、その日、私はたまたまなのか
SNSのツールで岩手の友人とやり取りをしていて
これもたまたまなのか地震についての話しをていた。

2011.3.11、14時46分
あの時、関東もかなり揺れたよね?
咄嗟に食器棚を抑えたよ(-_-;)
でね、その揺れと共に、
岩手の友人との通信も途絶えてしまったんだ。

はっ!津波がくる…
私は友人の身を案じ、
考えつく方法で津波がくることを発信した。

SNSでね、
その時私は、自分のハンドルネームを変えて
【津波に注意しろ】に書き換えたと思う。

で、テンパった私はそのハンドルネームで
SNSあっちこっちに足跡を付けて回った。
(↑やることがアホだよね(-_-;))

当然地震直後パンク状態の通信機器は繋がらない。
だけどね、あるSNSはしっかり繋がっていたのよ。
そう言った意味でもSNSって凄いなと思ったし
あれはどういう仕組みなんだろう?
サーバーの許容範囲とかなのかな…

ちなみに携帯の通話機能、家電(いえでん)も
あの時は繋がらなくなったよ…(-_-;)

でね、その友人と連絡が取れたのは
翌日だった。
比較的内陸部に住んでたから無事だった。
が、色々が壊滅的だったらしい。

実を言うと私自身も
あの時の揺れの後遺症が出て
それが暫く続いたんだ。
で、めまいも相まって本当に酷かったんだよね。

仕事も出来ないくらいに…(-_-;)←3ヶ月サボった

常に揺れている感覚、
私は遂に立てなくなってしまったんですよ。

関東に住んでいる私でさえ
そんなにダメージを受けたんだから、
東北の方々はどれだけ苦しまれたんだろう…

テレビを付ければ津波の映像か
もしくはACのCM…
「ぽぽぽぽーん」って
これが脳内でリピートしていたし(-_-;)

で、当時、私は精神を蝕んでしまったのよね…
意外と脆いのかも知れない…
震災後、涙を流さない日はなかったよ…

私如きが言い尽くせないけど、
被災された方々は当然もっと苦しい想いをされた。
だけど、大変なご苦労をされても
本当にお強いし、お優しい方々の映像も
沢山あった…

津波に立ち向かった警察官の話し
最後の最期まで
緊急避難放送をし続けた市の職員の方の話し、

色々なお立場の方々が
ギリギリまで、人々を守ろうとしたと…
その事を思い出しても、今でも涙が出る。


被災地へお手伝いに行った友人知人の話し


でね、震災後、心ある友人達は、
現地へお手伝いに行っていたよ…
私の知り合いは何人も行っていた。

その行動を出来る方々は本当に尊敬出来るし
行かれた友人や知人も
素晴らしい人ばかりなんですよ。

で、実際に行かれた方々は
献身的にお手伝いをされてこられたんです。

でねこれは
そこでお手伝いしていた方が言ってたんだけど
震災後、届いた物資というのを見て驚愕されたとの事。

ハッキリ言ってゴミばかりだったんだって。

家で要らなくなった古着とか
ボロボロの毛布…
賞味期限の切れた食料…

それを見てガッカリされたと仰っておられた。
そういうこともあってかなあ…


こんな事を言うと語弊があるかも知れないけど、
私はボランティアとかチャリティーという言葉を
何故か昔から生理的に受け付けないんだよね。
なんでかな…
その言葉があてはまらないというかしっくりこない。


その言葉は、本来の意味を失い
あまりにも手垢に塗れてしまっているように感じるのは
私だけだろうか…

でねその言葉に
安っぽい似非ヒューマニズム的なものを
感じ取ってしまっているのかもな…
(↑コイツ実は気難しいとか?(-_-;))

だからって他に言い方がないか…?

でもね、これはね、あくまでも
私がこの言葉に抱く感情であって…
(↑だから怒らないでねー(-_-;))

真剣に取り組まれておられる方々がいる中で
その言葉があまりにも安っぽくなってしまったと
感じでしまうんです。

だって現地に行かれる方々は
真剣に相手の事を考えて
動かれておられる方々ばかりですよ。


ここで考えるべきは

困っている人が本当に必要なのは何だったのかな。
沢山の古着より、一枚の新しい下着ではないの?

ボロボロになった毛布で暖まるより
せめて綺麗な毛布で身を包みたいよね?

実際にお手伝いをされた方々は
そのように口々に言われていたよ。

だから結局、現地では
終始ゴミの片付けで終わったとボヤいておられた。

本当に本末転倒だよね…

もちろん、そうでないものもあったけど
ゴミに埋もれて、なかなか気づけなかったらしい。

それらの言葉をお聞きして
【相手の立場を思う】ということについて
私もしっかりと考えないとと思いましたよ。


私の出来ることは何だろう?


と言う私はといえば…
祈ることしか出来なかった。

実を言うと私はある事をきっかけに
毎年被災地に行かせて頂いていたんです。
コ○ナ禍までは、ね。
今回のブログにもそれを書く予定でいましたが
この事は別の機会に発信をさせて頂きます。

でも、亡くなられた方々のお食事は
時々ではありますけど、
今もお供えさせて頂いているんですよ。


東日本大震災でお亡くなりになられた方々
行方不明者も合わせて2万2212名
(これは2023年に分かってる数ですね)

その方々の人生が…物語が
その地震で失われてしまったんです。

人一人の生命も重いというのに…
失った生命があまりにも多すぎる。
その事は本当に忘れてはならないと思う。


でね、今回のブログの締めくくりに
被災地のタクシーのエピソードをお話ししますね。

東北の地で
タクシーの運転手をしている友人がいるのだけど、
そいつもこんなことを言っていたんだ。

その友人は霊をあまり信じない奴なんだけど、
(↑今どき、まだいるんだね(-_-;))
友人のタクシー会社同僚が、
被災地で幽霊を乗せたという話しをしてくれた。

でね、タクシーの運転手さん
乗客が幽霊だと分かっても
ちゃんと指定された場所まで車を走らせたんだって
それが供養になるから…って。

その友人からもそういう話しを結構聞いたよ。

それにしても優しいお話しで
心温まりますよね。
そんなお一人お一人の優しさで
救われる魂があると私も想うんです。

ちなみに被災地のタクシーのお話は
沢山あるみたいですよね?


失った生命も沢山ある
悲しみに暮れた方々も沢山おられる
その方々の苦しみ悲しみを考えると
私如きが何かを語っていいのかすら分からない。

だけどそれでも沢山の優しさを感じたし
被災された方々の強さにも感動をした。


だからね、そのことをよくよく想い
これは独りよがりなことかも知れないけど
せめて自分は
この先も丁寧に生きてゆきたいと
12年経った現在でも心底そう思う…


2023.3.11追記です

今日私が出来ることは何かと考えた。
祈りを込めて、花を植えました。



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