本を読む前とは、少し違う自分になっている ーメリーゴーランド増田喜昭さんにきく物語の力(後編)
三重県四日市市で42年続く「子どもの本専門店メリーゴーランド」は、子どもからも大人からも愛され続けている本屋。その店主として、たくさんの人たちに子どもの本を届けてきた、増田喜昭さんへのインタヴュー後編です。
(インタビュー前編はこちらから)
― 本は一人でしか読めないですよね。
増田:人は一人で生まれて、一人で死んでいきます。初めて生まれて、初めて死ぬ。全部新鮮な体験なのに、驚く気持ちですら退化しているように思える。だから、子どもを驚かせるのが自分の仕事だと思っていた時期がありました。
あと、僕はできるだけ他の大人と同じことを言わないようにしています。「どこに行っても大人は同じだな」と思われたくない。「何歳?」ともきかないし、「受験がんばれ」とも言わない。大人に「友達は?」と聞かれて、「友達なんかいない」「友達はオケラ」とか、なかなか言えないですよね。子どもはこうあるべきという雛形が強すぎると思っています。
本を読んだ後にはちょっとだけ違う自分になっている。
― 物語では異質な存在が、主人公になることが多いんじゃないかなって思いました。『モモ』もそうかもしれません。
増田:あと、児童文学の主人公は、10-12歳くらいのことが多く、モモも、ちょうどそのくらい。子どもは、10歳前後で物心がつくといいますが、ファンタジーと現実の世界の境目を生きている人なんだと思います。
例えば、一人の少女が大人になるためには、橋を渡ったり、穴に落ちたり、異界に行って帰ってこないといけない。それが大人になるということで、児童文学はそこの間を書いたものなんです。
― 子どもの頃、たくさん物語を読んで、その中の冒険をくぐりぬけてきたから、強くなったような気がします。「遠くに行こう」「知らない人に会いに行こう」というとき、その一歩がなぜ踏み出せるのかというと、本を読んできたからなんじゃないかと最近思うんです。
増田:ぜったいそう。読書好きには起こることをちゃんと見ようとする目や、そこから逃げない勇気があると思います。
『コンチキ号漂流記』という本があるんですけど、ノルウェーの探検家がペルーからタヒチまで冒険する話なんですね。絵本作家で友人のあべ弘士さんと話していたら、子どものときに同じ本を読んでいたことがわかったんです。子どもの頃に同じ冒険の旅にすでに出ていたわけです。
彼は北海道に住んでいるんですが、今では近所の友達より仲良しなんです。二人が飲みながらコンチキ号の話をすると、まったく違う話があって「そんなの書いていない」と大げんか。
家に帰ってきて本を開いたら、二人とも言っていたところは書いていないなんてこともありました。同じ物語の血が流れているという二人の友情はすごいですよ。
あの角を曲がれば、何かが待っている。
― 子どもの頃に読んだ本が自分の一部をつくっているということがある気がします。
増田:本を読んだ前と後では、ものの見方や人生観が変わってしまうんです。『モモ』のような本を1冊読み終えるのに、子どもなら3、4時間はかかります。その時間をモモたちとともに過ごしたり、その世界に入り込んで冒険したりするわけです。灰色の男からしたら、読書している時間は最も無駄な時間かもしれません。僕らが本を売るということは、たくさんのそうした時間を売っているんです。
僕は、子どもの本は自分を肯定してくれるものだと思っています。角を曲がった先に何があるかわからないのが人生。偶然、角を曲がって出会った人と友達になったり、結婚したりする。そういうことをおもしろいと思える生き方ができる環境を、子どもたちに用意してあげたいと思うんです。
(後編おわり)
2018年11月3日-4日には、増田喜昭さんらのゲストを招いたプログラム「物語とわたしをめぐる旅ー秋の黒姫で、モモを語る2日間」を長野県信濃町で開催します。詳細はこちらから。