私は脳が忙しくて、不注意な言語聴覚士。②
では、幼少期の私を振り返ってみたいと思います。
会社員の少し?いやかなり多動な父、専業主婦の母、不注意な私、私と正反対の弟、そして、父の祖父母と一緒に住んでいました。
幼少期の私は一言で言うとおしゃべりでした。
誰にでも話しかけにいっていました(笑)
母には「お前は誰にでもついていくから心配」「口が止まらないね、お前は口から生まれてきたのかもね」とこの2つはよく言われていました。あだ名はぺちゃぺちゃ喋るのでペチャ子でした。
大人であれば。誰にでもついていってしまうのです。
すれ違う大人が持っているものが自分の興味があるものだと、「それはなに?」と質問せずにはいられないのです。
今考えると母が心配していたことはとてもよく分かります。
ただ私が、保育園児の時には、全ての大人が信用できる人だと思っていました。
私は人見知りせずにニコニコしていて、誰とでも話すので、周りの大人にはとっても可愛がってもらえたのだと思います。
それは父、母との愛着形成がうまく完了した証で、離れても不安がない状態だったからだと思います。保育園の先生たちが私にあっている保育をしてくれたからだと思います。不安が強い子はお母さんからなかなか離れることが出来ません。
感謝しています。
話すことは今も大好きです。
ですが、なんで好きなのかは考えたことがありませんでした。
考えてみると、好き、と言うより脳にとどめておくことができない。すぐに言ってしまいたい。と言う気持ちが強いのです。衝動的なのです。
脳で考えたことがすぐに口から出てしまうので、脳で考えたことを話しているうちに私そんなこと考えてたのか!と口に出した後に自覚することもありましたし、今もあります。自分は周りの人に色々な話をすることで自分の脳内を整理してるのだと思いました。
法事に行った際、
お坊さんが坊主なのが気になりました。私はなんの躊躇もなく
「なんでハゲてるの?なんで髪の毛ないの?」
と聞いたことがあります。
私の周りの大人は、みんな髪の毛が生えていたので不思議だったのです。
お坊さんに聞き、お坊さんは答えようとしてくれていたのに、周りの大人に「なんてこと言うの!!すみません。」と止められた思い出があります。
保育園は楽しんで通うことが出来ていたし、先生たちも大好きでした。おしゃべりな分、賢いね!と言われることもありました。私の全盛期です(笑)
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