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10.08 私たちは消えゆく"女子"を生きている

今日のお昼ご飯:ティムホーワンの飲茶
ほとんど晩ごはんとも言える

今日は女友達2人と映画の応援上映を見に。
学生時代に夢中になった作品の新作が出るたびに、3人で集まって見に行く。
私だけ熱意があまりないので、2人はもっと見に行っているのだが、そこは気にしない。

昔の関係とは不思議なもので、どれだけ月日が流れようと、集まれば部室にいた時と同じ空気が流れるものだ。
先人の手垢がベタベタについた表現かもしれないが、この通りでしかないのだ。
ただ、片手に持つものがパックのミルクティーから缶チューハイに変わったぐらいだ。私だけ。

仕事で疲れただの、新作を追う体力がないだの言いながら、映画を見終えたあと、夜の街を揺蕩うように歩く。
思えば、数年前に同じ作品の新作が出た時に遊んでいた友人の何人かは、結婚をして子供がいたりする。
そうなると、どれだけ幸せでも、こういった「いつでも遊べる自由」は、どうしても無くなるわけだ。
男も変わらないが、今の社会だと、とりわけ女はそう。
さらに言えば、妊娠はどれだけ制度が進んでも女がやるしかない。
これは構造上仕方がないもの。

そうすると私たちは、少女から女性になる間、女性から母になるまでの短い時間を今生きている。
それだからあともう少し、いま少しだけ、無茶をすることを許して欲しいと思うわけだ。

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