ツラツラ小説。 バースデイ。



平等な朝がやってくる。
人々にとって朝は生きていれば必ず迎える時間であり。通り過ぎていく時間である。

鳥の鳴き声、烏の鳴き声。変わらない。
今日は僕の誕生日。ラインがいつもより2〜3件多かった。おめでとうの言葉とそれと同じ意味を持つスタンプが送られている。形式的にありがとうという言葉を返す。そのおめでとうに、私の時も祝ってね?という意味が含まれているのを知っているから、つい形式的なやり取りになってしまう。

しかし、誕生日というものは不思議なものだ。それだけで少しテンションが上がる。かと言ってあんまり上げすぎると浮かれてるやつと思われるだろうから普段と同じように取り繕いながら朝の用意をした。

会社に着くと、普通だった。誰にも教えてないから当然のことだ。皆は私以外の時もそうだが、相手の顔を見ずにおはようございますという。あいさつがもしコミュニケーションであるとするならばその法則はここにはない。ただの形式がそこにあるだけ。過程が無意味なものになり、結果だけが求められる今の時代には、合っているのではないか。私はそんな事も考えていた。

私の生活の大半を占める仕事という状態では、私は誕生日を祝われない。だから何度も言うが私は会社の誰にも言っていない。しかし今日。私にはこれからチャンスがある。彼氏と会うのだ。彼氏だ。もう長年一緒の彼氏。退勤した瞬間、向かう連絡をして、お店に向かう。

彼とお店で会う。席につき、彼は開口一番!

別れよう。

と。言った。

私は、

わかった。

と言った。今日は誕生日なのに。誕生日ってこんなに形式的なものだったっけ?
事実として、私は人間が決めた時間に生きて、人間が決めた日付けに生まれ、人間が決めた年齢という概念で、ただ一つ歳を取っただけ。

家に着く頃には真っ暗だった。試しに今の気分に合うように電気をつけないでみることにした。写真フォルダの思い出を消そうと決めた。去年の誕生日は彼からサプライズでケーキをもらった。この頃もあった。あんな頃もあった。

ぴろん。一つの通知が来た。
LINEからだった。
形式的な誕生日を祝うシステムだった。

とてもポップ。ウサギがクマを連れて、サプライズをしているようだった。

ハッピーバースデイを歌うウサギがいてクマは喜ぶ。

そんな画面を見ていた。

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