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映画『夜明けのすべて』:感想

ネタばれを含みます。

映画を観てきた。
別の映画の予告編で『夜明けのすべて』が流れたとき、「あっ同じだ」と思ったのと、映画の中の人たちが「どうやって」立ち直ったのか(その時点で立ち直るかは分からなかったけれど)を知りたくて、公開までうずうずしていた。

以前noteにも書いたとおり、私にも似たようなところがあって、そしてPMSも思いあたるし、最近は仕事の影響で、落ち込み⇔イライラの繰り返しで、どちらの主人公のことも、「思い当たる~」と思いながら観た。

自己開示|momonoki (note.com)

劇中で「恋人、友達、上司、同僚、みんなが遠くなってしまった。でも、本当にそうだろうか」と言うセリフがあった。(一言一句同じではないです)

一番共感したのはそこだった。正直に打ち明けると、私はまだ、前半の「遠くなってしまった」と思っていて、「本当にそうだろうか」は思えていない。

楽しいはずの旅行、何でもないはずの通勤、景色が変わることが楽しいはずの乗り物、きれいになるためのまつパ、健康になるための歯医者、どれもこれも、以前はできていたのにな、という気持ちになる。

映画の主人公たちより症状は軽いし、電車も乗れるし、日常生活はおくれているけれど、昔に比べると、ちょっとだけハードルがある。
そして、それを言葉にして人に伝えるのが、とても苦手なのだ。
いえ、正確には、言葉にすることはできるけど、相手にわかってもらうことは無理だろうな、と諦めている。

諦めているのに、わかってもらいたい、という気持ちが強くなってしまうことにも困っている。
特に、症状がしんどいときほど、そんな気持ちになる。

そして、やっぱり元気なときの自分が、何の理解も示さない元の自分が心の中にいて、ちくちくとできない自分をつっついてくる。

劇中には、他にも理不尽なこと、割り切れないこと、抱えきれない思い、それぞれの人のしんどさと、あたたかさが出てくる。

これまた一言一句正確ではないうろ覚えだけど、「あなたのイライラを3回に1回くらいはとめられるかもしれない」というセリフも出てくるのだが、全部をわかってもらうのも、自分がわかるのも、無理だけど、ほんの少し理解しあうことはできるのかもしれない、と思う。

日常は案外、劇的な特効薬などはなくて、ほんのわずかな気遣い(そしてそれは有難いこと)に支えられていて、映画を観てから自分の日常生活を振り返ると、「あっ、あの人のあの言葉はサポートだったんだ」(今更、そしてそうやって「してもらった」ときほど鈍感な自分。)と気づいたりした。

そしてそれは結構しあわせことだ。

なるべく傷つかないように、なるべく負けないように、そうやって生きてきた人、そうやって生きていってほしいと願われている人と話していたときに、ついぞ口にできなかったのだけど、「仮に傷ついたとしても、少しだけ他人へ優しくなれるのではないか。それは一度も傷ついたことがなくて誰かの傷にずっと気が付かないより、もしかしたらいいのかもしれない。」と本当は伝えたかった。

「もし何か自分で決められない属性で理不尽な想いをしたとしても、それはつらいことだけど、あなたの人生にとって無駄ではないと思う。このまま勝ち続けるようにあなたの家族はあなたを守るだろうし、あなたもその期待に堪えるだろう。でも、ずっと勝ち続けられる人なんていないし、痛みに鈍感な人よりも、想像力をもてる人の方が、大事かもしれない。それはあなたが傷ついたから誰かの傷にも敏感になれとか誰かを支えろとか犠牲になれと言う意味ではなくて、あくまで他の人を慮るということができることもあるかもしれない、という意味で、無駄じゃないのでは。」的なまどろっこしいことを言いたかったけど、言えなかったし、言うべきではないな、と思って心にしまったのに、映画を観たらどうしても書きたくなった。

これは、自分がつらいからわかってほしい、ということではなくて(その自覚はあるので、カウンセリングに行った。)、今って本当に寛容性とか気持ちの余裕がない付き合いが多くて、でも、自分の大事な人を守るときには、もしかしていつもより少し想像力を働かせられたいいんじゃないかな、と思った。

旦那はそういう意味で、ちゃんと想像力がある(もちろん、まーったくない部分もある。お互い様だ。)。私はそれに助けられていて、私もそうやって旦那を守りたい、と思っている。ま、彼がそういう助けを求めているかはわからないけど。

対仕事に関して言えば、そういう部分は閉じていて、表に出すことは厳禁でキャリアや評価として最低を意味するから、そういう落差がこれまたしんどくて、でも生きていくのにこんなに長い時間向き合う仕事なのに、仕事にだけ「100%フルコミットの企業戦士」はもう古いよねと思ったりした。

古いが、上の人が独身男性or専業主婦の妻がいて育児もほぼ不参加の男性が多いため(私の体験に基づく偏見のため、主語が大きくなってしまっている。同じ属性でそうじゃない方たちもまた沢山いるだろう。)いまだにこんな感じだ。「突然休まれたら困る(実際には困らない。みんなちゃんと繁忙期・案件のあるときを避けている)」し、「休職はあなたが困る」と言われるし、「そういうのってもっと上から見るとつかいづらいんだよね」とはっきり言われた。わかるけど。使う、って表現するあたり、やはり頭数に過ぎないし、サラリーマンに替えの利かない人なんてほぼいない(いても数か月・数年たてばその穴は埋まる。)と思っているので、実際以上に仕事を崇高で誇り高い何か、という意味を持たせなくてもいいのではないか、といつも助言を聞きながら思う。





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