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よわい

わたしはよわい




何かを始める時、環境が変わる時とてつもない不安と恐怖で寝込む


誰かの些細な一言や、素振りでその日の気分が決まる


少し嫌なことを言われると何日も何ヶ月も頭の中に残ってぐるぐる回っている




これら全部わたしの日常





諦めてきたことはたくさんある



たとえば、




高校まで場所が変わると眠れなかったから、小中の林間学校や修学旅行には行けていない



小中高は、行った日にちの方が少ない


跳び箱のテストで飛ぶのを失敗してから体育が怖くなって5年間体育の授業に出られなくなった


テストの時には周りの物音が気になってずっと別室で受験している




すごく、ださいな〜と思う

迷惑だなあと、思う




この弱さが何に由来しているのか考えてみる


生まれ持った性質かもしれない
昔から人に頼ることが苦手で、家族や親友と呼ぶ人にも弱いところを見せるのが本当に怖かったし、弱いところを見せたら、身近な人が離れていってしまうのではないかなと思ってできなかった




今でも怖い





母親は昔、器用貧乏なわたしを誉めてくれた、
一通り苦手なことはなくなんでもできた


でもわたしは何にも得意じゃないから次第に何にもできない娘だと言われるようになった



結果として母の求めるわたし、からはかけ離れたような人間になってしまってそのことを思うと我ながら親不孝だと思うのだが、今となっては仕方がない、とも思える





まだ思えていないけれど





もし母の求めるわたしとして生きていたらどうなっていたのだろうと思う日もたまにある






愛されていたかな







高校生大学生になってからわたしの悩みをなんとなく喋ってみても



訳分からんことで悩んでるね〜〜と言われる



ほんとうにね





そう




そうなんだ






わたしにとっては気にしなければ生きていけないことだし、勝手に気になるところだし


逆になんでスルーして生きていけるのかが分からない、なんでなんで?とまた悩む




きっとみんなわたしと違う人生を送ってきたからだよねウンウンと思うようにしている




わたしは根暗で社不なんだと思う


けれど知らない人とも少しは会話できるし、笑顔で接客もできる、できることにはできる、、。


だからいわゆる社不ではないのかもしれない






じゃあなにがわたしを1日中思い悩んで寝込ませるまでするのか?



漠然としているけれど、その理由こそが心の弱さなのかもしれない




調べて出てくるような心を強くする方法は大体試した



結果はどれもダメ




何回かやって諦めてを繰り返すうちに心が折れた

何やっても根本的なわたしの弱さは変わらないんだなと思った


ちいさいことでやたらめったら悩むことは変わらないし、しんどい



ストレス耐性もずっとないまま。














わたしの行き着いた最終的な結論は





心の弱さは変わらないし、人によって違う





ということ


身体の強い人弱い人がいるように心にも強い人弱い人がいる、ただそれだけ








心が弱いってダメなところばっかじゃないと思う、たぶん



わたしは優しい、気が利くと評価してもらえることが多い
この優しさは心の弱さ由来だと思う

自分が勝手に傷つく分人が傷つくかもというラインがえらく低いらしい


この繊細さがあるから人の痛みに敏感になれている



場の空気を察知するのも多分そんなに苦手じゃない

人の表情や仕草でどんな感じか大体わかる





主人公にはなれないけれど、自分から進んで緩衝材になれるし、空気清浄機になれる、、、気がする、、、。


たぶん。











心が強い方が生きやすい世の中で、心が弱い人間に厳しい世の中であることは変わらないだろうけれど

別にずっと変わらないから。




でも心が弱いこと自体に悩むには人生短すぎるし、それ自体に悩むのは勿体ない







こんなわたしにもきっと良いところはあるし、見つけてくれる人がいる





心が弱いことも、繊細なことも、それぞれ認め合いながら生きていけると良いな、と思う








一方で、心が弱いことを盾にして自分を守りたいあまり周りを傷つけてしまわないようにしないといけないな、とも思う



少しずつ、繊細な人にも優しい社会になっているのからこそ



優しさを優しさとして享受しつつ、できることは精一杯やっていきたいです









ありがとう



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