歪んだ思考を浴びた時


他人にとっては緩い攻撃にみえても、こちらにとっては無数の銃弾を浴びたような気持ちになる時がある。今日は正にそんな日。身体に穴が空いた。ふとした瞬間の一発だったが、数時間後には無数に穴は増えていて、空いたまま塞がらず埋まらなくなってしまった。

最近かなり考えていたことがある。自分の認知が歪みまくっているという事について。ひねくれ小僧の様に振る舞う事が得意で、相手の意図しないところを反対側から持ってきて妄想し、八つ当たる。改めて最低だなと書いていて落ち込む。そう、最低と分かっているのでどうにか落ち着いていきたいと試行錯誤していたのだ。

そんな折り、このタイミングで、そいつはブーメランの様にすごい勢いでやってきて風を切って我が身にぶち当たった。そして心底最低な気分になってしまったのだ。

自分の意図しない発言の置き換えを浴びて、尽く打ちのめされた。

一体どちらの思考が歪んでいるのか。上手く受け取れなかった私がもしかしたら悪いのか?と一瞬悩んだが、いやいや、待てよと。ようやく認知の歪みを浴びた側の辛さにこのタイミングで気が付いたが、やはりこちらにはどうしようもないのだと。相手が歪んだ思考を落ち着かせて、真意についての話が出来るようになるまで、関係が良好になることはないのだ。歪んでいる…と思うのみで引くばかりである。勿論、この歪みによってうけたダメージを無視してはいけないとも思うが、相手をしても意味があるのか。

この歪んだ思考による攻撃によって付けられた傷は、どうしようもないのだ。甘いお菓子や美味しいご飯で埋められるものもあれば、ただただ塞がらない時もあるのだ。

当たり前だけど人は物理的に傷が付くと、その傷が癒えるまで時間がかかる。当たり前にも程があるぐらい単純な事なんだけど、そういう事かと思う。
きっと明日の朝か、明後日の朝には少しずつまた私の心も癒えていくはず。そして私が傷付けてしまった相手の傷もそうやって少しずつ癒えていって貰わねばならない。あまりにも身勝手な話で更に自分が嫌いになりそうになるが、それでも過去には戻れない。

SNSでは縁を切った方がいい相手の見分け方を教授されたが、こちらもかなり難しいくて落ち込んだ。友人関係の整理には役に立つかもしれないが、生活の為に暮らす場での関係を整理できる人はどのくらいいるのか。
一つ出来る事があるとすれば、適度な距離を保つことぐらいだなと思っているが、適度な距離とはどのくらいなのか、こういう日には分からなくなる。

それでもまた明日は来てしまうし、同じ場所で生活しなければならない。

自分で気が付いて正す努力をするのみが、救われる一歩であると信じて、私はまた反面教師に学ぶしかない。



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