雑文 #169 青空だけどさみしいなんて
昨夜オンラインライブを観て朝起きると、くるりのライブを観た翌日、翌々日、その翌日…と沸き上がり続けるあのふんわりとした多幸感は……なかった。
それより「今年は京都音博に行けない」という悲しみが大きかった。
そう、昨日の雑文でも散々書いたように。
ここまでこだわる理由を話そう。
「そこまでくるりが好きだから」と一言で言えばそれまでなのだが、そこにはちょっとした歴史がある。
私は2009年から連続してずっと京都音楽博覧会に行っている。今年参加したら12年目。
2009年以前のあの頃、私は今よりずっとずっと目も当てられない状態だった。ひとりで旅なんてできるわけなく、両親と田舎で生活し、ほとんど何もしない毎日。
友達とも滅多に会わず、居場所はSNSの中。オンラインが今よりずっと板についていた生活。
それなりにオンラインを楽しんでいたので、そこでだけは交流が広がり、SNSをはみ出して直接連絡する友達もできた。けど何せ私は田舎にいるし、相手は全国に散らばっているので会えない。
だから却って身近な人に相談しないようなことも、その人たちには吐き出せた。毎日連絡を取る人もできた。
ある日とてもくさくさして荒れていると、その人が「じゃあ音博来れば?」と言ってくれた。くるりのファンで、もう音博のチケットを取っていたのである。
ただし私の分は自分で手配しないといけなかった。わりと直前だった。チケットは売り切れていた。宿もなかった。
そう言うと、その人は「京都の親戚の家に泊まるけど、一緒に泊まる?」と言ってくれた。「狭いけど、それでよければ」と。
まず宿がないと始まらないと思い、泊めてもらうことにして、チケットはヤフオクで探した。
私はあの時のことをよく覚えている。その決断をしたことを。
あの頃の私にとっては冒険だったのだ。
もう秋田では秋口だった。私は自転車を停め、コスモスが咲くひと気のない道端で友達に電話をした。
「私、音博に行くことにした」
まるで宣言のように。誇らしく。彼女は私にくるりの存在を教えてくれた人だった。
気持ちがどんどん盛り上がる。できる。きっと立ち往生することもなく飛行機も乗れるし、会ったことのない友達とも会える。くるりの好きな人たちと京都で時間を過ごそう。フェスなんて疲れるだろうけど、くるりのフェスなら耐えられる。パニックや不眠など、心配することもない。だって楽しいことしかないんだから。
くるりのライブに行くのは初めてではなかったが、泊まりで遠征をするのは初めてだったし、その人の言葉がなければそんなの無理だって思ってた。
でも誘われて、ああそんなアイディアがあるんだなぁと思って、乗って、参加した音博は、この上なく楽しくて幸せなものだった。
「こんな思いができるなんて、来年も来なければ」強く強く思った。
それが11回続いたのです…
私には健康不安があるので、9月の私の誕生日の周辺の日に、毎年くるりが開催してくれる夢のようなイベントがあって、その日を無事に迎えられるよう、一年をがんばろうと毎年音博の後に思うようになった。
だいたい3泊とかして京都滞在を満喫して、この頃はついでに奈良にも足を伸ばし仏像を観に行くようになったり。毎年必ず同じ人とライブを観るわけでもなく、メンバーはいろいろ変わり、前後の日もくるりファンの人と遊んだり、ひとりでぶらぶらしたり。旅行が大好きだけどあまりできる身分ではないので、一年に一度の大イベントだったのだ。
何年目からか、思うようになった。「あ、これ私にとってお正月より正月かも」。一年の計みたいな、終わったら「ああ、今年も無事だったね」って安心して再出発できるような、そんなイベント。
だから絶対行きたかった。
東京のこの部屋でポツンと観るんだね。
それもきっと趣向が違って良いかもしれない。何せくるりだから、びっくりするような趣向を凝らしてくれるだろうと、少しは思えるようになってきたけど、この脱力感は否めない。
倦怠感くんに脱力感くんが覆いかぶさって、今日は不調な日でした。
青空だけどさみしいなんてね。
あのとき誘ってくれた人とはもう音信不通だが、心のなかで感謝している。
あれから私に弾みがついたと思うから。長い長い回復生活のきっかけだった。
そしてここまで這い上がるのには、いつもくるりに支えてもらってた。
感謝しています。
人一倍想いが強い訳がわかったでしょうか。
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