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雑文 #280 親友Y

思い出す過去の話。

約9年前、いちばんの親友が急死した。

その兆候には私は気づかなかった。私はその頃私の人生を揺るがす大きな問題に立ち向かい、迷い悩み、この答えは誰の意見でもない自分の判断で決めるべきなのだと心のどこかで察していた。

昔からいろんなことを打ち上げあっていた親友Yに、そのことはなぜか相談しなかった。

連絡も比較的頻繁なYに、数ヶ月連絡をしない期間があった。私はその頃秋田に住んでいて、彼女は関東住まいだったから、気軽に会うことはできなかった。

私は自分の問題でいっぱいいっぱいで、その頃彼女が体調に異変を感じていたことには気づいていなかった。

最後に会ったのは秋田で、焼肉ランチを食べ、まったりとできるカフェでおしゃべりをした。

少し元気がない様子だったとはいえ、さほど不調とも見えなかった。11月か12月の頃だったと思う。カフェから眺めた外の風景もよく覚えてる。そのときの会話も。


その約半年後、私は父と駐車場にいて、知らせを受けた。

Yのお母さんは、私の実家にYの訃報を連絡し、それが私の母経由で父の携帯に電話がかかってきた。

「Yが⁉︎あのYが⁉︎⁉︎」父は叫ぶ。父が私の親友を呼び捨てするぐらい旧知の仲だった。

私はその報せを聞いて、足腰がふにゃりとなり、しばらく立っていられなかった。

病気の噂も聞いていなかったのに。


聞くと、逝去したのは4月のことだった。

私に訃報があったのは、8月。だから私にとって彼女の命日は夏なのだが、実際は4ヶ月も前。そういうことがあるのだ。

つまり、ご両親は、娘の死を受け入れられなかった。ごく親戚内で小さな葬儀をやったらしいが、ご両親は「口にするとYがいないことが現実になってしまう気がして」と私に連絡できなかったのだ。

確かに、口にした途端、本当のことになってしまうような気がすることは、わかる。

結局私は8月に、Yの実家にお線香をあげに行った。


大事な友達がいなくなっていく。

私はたまに、心底Yと会ってグダグダくだらない悩み話を交換したくなる。

私だって負けずに彼女の愚痴を聞いてあげよう。

いま、この時代に、ほとんどまったく躊躇なく気軽に会える友達ってYしかいないかもなあ。

そう思うと無性に会いたくなる。



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