094.悪魔と私 [Pu プルトニウム] [蟹座4度]
私は悪魔を殺してしまった。
血まみれになって床に倒れている悪魔を、私はしばらくの間、上から眺めていた。無我夢中で殴り続けていたから、途中から記憶がない。
「ねえ……どうしたの?このくらいで死んだりしないでしょ?」
声をかけたが、悪魔はピクリとも動かなかった。握りしめていた金属バットから手を放すと、カランカランと音を立てて転がっていった。
これは私の嫉妬心が引き起こしたことだ。
悪魔は私だけを愛していると思っていた。それなのに、他にもたくさんの女に声をかけていた。たくさんの女と関係を持っていた。「俺だけを見ろ」と言ったくせに、自分は私だけを見ているわけじゃなかった。他にもたくさん。魅力的な女たちに囲まれ、何の罪悪感も持たず、楽しそうに暮らしていた。
その事実は私の心を傷つけた。取り返しがつかないほど、心は破壊されてしまった。
だから悪魔はこのくらいのことをされて当然なのだ。
そう思う私がいた。恐ろしく冷たい心をしていた。
私はその場にしゃがみ込むと、血でじっとりと濡れた悪魔の体を抱き寄せた。まだ温かい。すこし前まで、普通に息をしていた体だ。
悪魔はいつも、いい香りを漂わせていた。その香りに誘われるようにして、私は彼に夢中になった。彼に抱かれる喜びと安らぎを、私は永遠になくしてしまったのだ。自らの手で。
さっきまで激しい憎悪にかられていたのに、突如として途方もない愛しさがこみ上げてきた。顔に手を触れる。目は見開かれたままで、もう私を見ることはない。ぐったりした体をそっと抱きしめた。
どうしても私だけを見て欲しかった。私一人のものになって欲しかった。それが叶うなら命も惜しくない。魂のすべてを捧げてもいい。
そうまで思わせることができたのは、彼が悪魔だからだろう。でも彼はどうしたって、私一人では足りないのだ。結局、こうするしかなかった。
その時、ふと誰かの視線を感じたような気がして、私は振り返った。
誰もいない。
鏡に映った自分の姿が見えるだけだった。
私は私と目が合った。
悪魔みたいな目をしてる。どうしようもなく惹きこまれた、あの冷たくて熱っぽい目だ。
思わず笑った。
血まみれの体から手を離して立ち上がった。体も服も血だらけでベタベタする。洗い流したくなって、浴室に向かった。服を脱ぎ捨て、裸になる。
熱いシャワーはとても気持ちが良かった。緊張で凝り固まっていた筋肉が、少しづつほぐれていくのを感じる。シャワーだけでは物足りなくて、湯船に浸かりたくなった。空の浴槽に栓をして、勢いよくシャワーを出す。お湯が溜まっていくのを、私は気長に待った。たっぷりと溢れるまでになったお湯に深く身を沈めると、これまた気持ちが良かった。気持ちが良すぎて、ついうたた寝をしてしまった。
浴室を出ると、用意されていた白いタオルで、体の水滴を拭き取った。裸のまま部屋に戻る。クローゼットを開ける。悪魔は意外と几帳面だから、洋服は整然と綺麗に並べられていた。その中から適当に気に入ったTシャツとジーンズ、ジャケットを選んで、身につけた。サイズは大きいけれど問題はなさそうだ。自分のバックからポーチを取り出して、メイクをしなおす。丹念にベースメイクをしてから、目元に青いアイシャドウをのせる。まつげをビューラーで上げ、マスカラをべったり塗る。赤い口紅をひくと、気分が少しキリッとしてきた。
鏡を見てニッコリ微笑む。可愛い。メイクがいい感じで仕上がったことに、私は満足した。
それから部屋を出た。
それでこのことについて、その後思い出すことはなかった。
と、そんなことが昔あったのを、私は昨晩になって思い出した。
なぜかずっと捕まらなかったから、すっかり忘れていた。
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