見出し画像

子宮に沈める

ストーリー

実際に大阪で起きた2児放置死事件をもとに作られた、社会派フィクション。都会で暮らす若いシングルマザーが、孤独に苛み逃避に陥ることで始まる子供たちの悲劇を〝部屋〟という閉ざされた空間に描き出す。

監督、これは駄作だよ

酷評する。これはひどい作品だ。衝撃的な酷さ。
母親になったことがない女性を母親役にしたのは大きな間違いだ。なにしろお母さんが絶対に言わないことを、絶対にしないタイミングで言わせている。あれじゃあ保育ルームにバイトに来た学生のお姉さんでしかない。こんな演技でOKするなんてマジですか。男性の監督が男性の妄想で暴走している母親像だ。

シングルマザーの苦悩って、子供を育てる金銭的な問題や預け先のことや将来への不安など、要素が絡み合ってできる。このじわじわ苦しんで悩んでいくという姿がこの作品では伝わってこない。離婚後に突然マタを緩めた母親に子供が置いてかれたようなストーリーだから。
なぜなら子供が一貫して同じ大きさで成長していないことが原因。離婚前の子供の大きさと事件の時の子供の大きさが同じ…ってことは時間がほとんど経過していないってことだ。
大失敗だよ監督!子供の成長って早いのに、この作品では子供が全く成長していないことが大きな失敗なの。だから離婚してからすぐの翌週に事件が起こってしまったかのような錯覚になってしまって、シングルマザーとして本当にたくさん悩んだのかしらって。

骨組みだけの作品

実際の事件はアイデアであって作品はこの事件と同じではない。
だけどあまりに薄っぺらい作品であるため、何も入ってこないのだ。
離婚のストレスがどういう行動に出たのか、金銭的な不安がどう影響していたのか、子供を疎ましく思っているのか、現実から逃げたいのか、ネグレクトになっていく心理が表現されずに事件を起こすことだけに突っ走っていく。
緒方監督はリアルな母親の心理状態を理解せずに、事件の話題にだけ乗っかってしまったのだろう。
母親の精神状態が見る側に全く伝わってこない。
ストーリーの骨組みができたら肉付けをする必要があるが、肉付けするのが監督の手腕。しかしこの作品は骨のみで世に放たれてしまった。そんな印象だ。

大森立嗣監督の「MOTHER」は素晴らしくリアルな表現であった。比較対象にして申し訳ないと思うが同じネグレクトを題材にした作品として比較したまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?