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アルナーチャラへの道①

2017年に、1人でインドのアルナーチャラまで行きました。

アルナーチャラは、南インドのティルバンナマライという町にある山です。

その山の麓にあるバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシのアシュラムに滞在するために行きました。

その当時、私は44歳で高校生の息子と小学2年生の娘と夫と暮らす主婦で、海外旅行はおろか飛行機にも乗ったことがありませんでした。

まさか初めての海外旅行が1人でインドとは思ってもなかったのですが、そこに行くまでの流れは自分の思惑をはるかに超えた大いなる流れでした。

バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ


30代でスピリチュアルにハマり、パワーストーンだとか見えない世界にとても惹かれました。

いつも自分を良くしようと足掻いていました。

そんな時に阿部敏郎さんのブログに出会い、非二元というものを知り、それまでとは違う何かを感じました。

そして阿部さんのブログにコメントされていた方のリンクに飛んでラマナ・マハルシの存在を知ったのです。

優しそうなお顔で微笑むその人の本を読んでみようと図書館に行くと、発売されて間もない「ラマナ・マハルシとの対話」がありました。

1巻から3巻まであるその本の、1と2は貸し出し中だったので3巻を借りて帰りました。

何日かかけて読もうとしていたのですが、そこに書いてあることの意味がわからず、自分には理解できそうにもないと途中で諦めて図書館に返すことにしました。

しかしそのタイミングで、その頃毎日のように更新されていた阿部敏郎さんのブログのコメント欄に、ラマナ・マハルシに惹かれてインドまで行かれた舞原さなえさんのブログが紹介されていたのです。

そこに書かれていたことにとても心を惹かれて、諦めかけたその本を最後まで読むことにしました。

意味もわからず文字を追っていると、頭では理解できないのに、瞑想しているような静けさに満たされていくのでした。

少し読んでは瞑想状態になるので、中々読み進められませんでしたが、それでも読んでいるうちに、なんと身体の感覚が消えてしまいました。


身体と周囲の境目が消えたのです。

それまで自分を自分たらしめていると思っていた身体が消えても、自分の存在はそのままそこにありました。

「言葉」での導きではなく、直接の導きが起こったのでした。

その直接の導きは、言葉や脳を通さず、ハートからハートへと、実存が実存を貫いたのです。

そしてさらに本を読んでいると、3巻の後半にはバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの生涯が載っていました。
そちらはストーリーなので頭でも理解できました。 
そこに書かれている癌の手術のくだりでは、読んでいるだけで平和と静寂が伝わってくるのがわかりました。  


この「ラマナ・マハルシとの対話」は1巻から3巻まですべて表紙がバガヴァーンのお顔なのですが、それがどうしてなのかがお顔を見ていたらわかるような気がしました。

バガヴァーンの目を見つめているだけで、ハートに至福が溢れてくるのです。

それは「私は身体ではない」というバガヴァーンのお言葉そのものです。


この出会いが確か2013年頃のことでした。

それ以来、すこし重たいその本をいつも持ち歩いていました。笑

この頃ポール・ブラントンの「秘められたインド」も図書館で借りて読み、こちらも読んでいるだけで伝わってくる静寂に浸されていきました。



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