障害とは
昨日は満月。
そうとは知らずに、先月行く予定にしてたけどコロナに罹って延期になっていたオリエント美術館の「ヒンドゥーの神々の物語」特別展に行ってきました。
娘は興味無いかな?と思ってましたが、意外とノリノリでついてきてくれました。音声ガイドが娘の好きな声優さんだったので、娘は音声ガイド付き。
私は音声なし。
音声ガイドがあるため、ゆっくりと廻る娘。
私は有名な神様は知ってるけど、ラーマーヤナを最近YouTubeで見たので、ラーマやハヌマーンに萌えてました。
途中疲れてしまい、音声ガイドでゆっくり見てる娘を待とうと、そこにあった椅子に座りました。
たまたまそれがガネーシャヤントラの真ん前だったので、瞑想させてもらうことに。
ガネーシャと言えば、障害を取り除いてくれる神様。
瞑想していたら、障害はそこにあるためにある・・・と受け入れた時に全体性に溶けていくという感覚が起こりました。
例えばヨガだと、身体にそれ以上無理をさせないためにそこから進めないというのを障害と感じたり。
または痛みとしてそこに意識を向けるためだったり。
恩寵でしかないのでした。
帰りのお土産コーナーで、ガラスのペーパーウエイトのガネーシャが可愛いかったけど、我が家には既にガネーシャがいらっしゃるので、アパリグラハ・・・と唱えました。
(貪らないというヨガの教え)
いくら持っていても満たされないのが貧しさ。
必要なものはすでにここにあります。
お菓子は可愛くてお供え用に買いました。
娘は初めて知るインドの神様たちのヤバさに驚いてました。
ヨガは、ポーズの気持ちよさから入ったとしても、日常に教えを実践することに喜びを感じられ、そして自己を見出していく、シヴァの恩寵。
ヤマニヤマの実践は喜びと穏やかさをもたらしてくれます。
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