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本当にあった怖くて不思議な話

子供の頃から不思議な体験が多かったのですが、10代のときに体験した死後の世界のお話です。超短編です。


高校一年生の夏休み。あの頃の8月も今日みたいに蝉が鳴いていて
静かでにぎやかな朝でした。
朝8時半。
今日は病院へ予約をしていて、あと買い物も行こうと思っていました。
予約時間は10時。街までは原付で15分くらい。
この春に免許を取ったばかりで、今の所無事故無為違反。「バイクの免許をとったら絶対1年以内に事故る」と猛反対していた母を説得して取得した免許。山の上の実家暮らしだったので良き相棒となっていました。

軽めの朝食を食べ、ハムをもう1枚食べるかな?どうしようかなと悩み、
食べました。この1枚のハムがもしかすると運命の分かれ道だったかもしれません。

通り慣れた道を進み、大通りをまっすぐ走っていました。
病院にいくために近道をしようと、大通りから左折して路地にはいったとたん、前方にある「パルコ」の看板が逆さまに見えたのが最後の景色。
それからは、ゆっくりと、スローモーションで全てが流れていくような
そんな記憶です。走馬灯ってよく聞きますが、あれは本人にとってはとてもゆっくりとした時間が流れているのだと思います。
「なんでパルコの看板がさかさまなんだろう?」
そう思っいながら、全体的に「落ちて」いく感覚。
そのあとは目に見えるものは何もなく、耳だけの記憶。

救急車の音が近づいてくる。
「だいじょうぶですかー?」
「きこえますかー」

ドラマでもみているかのような
よく耳にするセリフが聞こえる。
本当に「たんたんと」話すんだなぁと思った。
そこからなにやら聞こえて

「いちにさん!せーの」がしゃんと機械音があって途絶える記憶。

次の記憶は、まわりがすごく明るい。
まぶしくって、女の人の声が聞こえる。
「だいじょうぶですかー?」
「ちょっと先生よんできて」

・・・・
その時、私は病院にいました。
はじめての場所だけど、そこがなんとなく病院だということは全体的な作りで理解した。白い。単調な作り。
まっすぐ歩いて角を曲がった先にお手洗いがある。
そこはドアで仕切られておらず、カーテンで仕切られていました。
そのカーテンをあけたら、お爺さんが座っていたので
「ごめんなさい!」ってカーテンをすぐにしめました。
すると隣の手洗い場におばあさんがいて、「何をしているの!早く戻りなさい!」と怒られました。
あわててお手洗いをでて部屋に戻ると、私が寝ていました。

その瞬間、目をあけるとまぶしい光。
手術室の上にあるライトでした。
「大丈夫?事故にあったのよ?わかる?」
看護師さんらしい人の声。
ぼーっとなりながら私は今の自分の状態をまだ理解できていなかったです。

その夜、麻酔が切れ始めた頃猛烈な頭の痛みなどが発生し
事の重大さを理解しました。あの時、信号のない路地裏の交差点で
スピードを出した車に突っ込まれて私は文字通り「飛んだ」そうです。
ヘルメットは飛んだ勢いで頭から離れ(当時は半ヘルでした)、
あたまから真っ逆さま。車を綺麗に飛び越えて真っ逆さま。

この事故の状況は退院して現場検証に警察と訪れた際に聞きました。
生きていることが不思議なほどの事故だったそうで、ほんの数センチずれたら、首の骨や脊髄を車に打っていたそうです。きれいに車を飛び越えて落ちたそうで体重が軽くてよかったねと冗談半分で言われましたが、
あの朝あの1枚のハムを食べずに出たら、事故に遭わなかったのかなとか
退院してから考えたりもしました。人生はほんの些細なことで変わります。

怪我は、頭蓋骨骨折とくも膜下出血などひどく、絶対安静でしたが
1ヶ月ほどして自力で少し歩けるようになった頃
病室をでて、左に曲がった先に見覚えのあるお手洗いがありました。
初めてくる病院なのに不思議な感覚で、そのお手洗いにいくと
カーテンのトイレがありその右側に手を洗う場所がありました。

母にそれを言うと、「三途の川がトイレ」と10歳下の妹に笑われましたが
あのおじいさんとおばあさんがいなかったら、私はトイレという三途の川に流されていたのかもしれません。町の中心部だったので、きっと川に繋がっていたのでしょう。

お花畑でも、きらきらした川でもなかったですが、臨死体験というものかなと今でも不思議に思う、そして20年以上たったのに記憶が全く色褪せない、そんな体験です。

他にもなんどか臨死体験はあるので、それはまた今度。


#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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