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モモコのゴールデン街日誌 「夏近し」5月20日

「どうやってここを知ったの?」

最近、ソワレに来た外国人観光客にどうやってゴールデン街を知ったのか、聞くことにした。当たり前だが、全員が「インターネット」という。

「でも、インターネットっていろいろじゃん? その中の「どこ」で知ったの?」

「えーっとGoogle」

「Googleって言っても広い世界でしょ? 例えば検索ワードはなに?『新宿 バー』とか入れるの?」

「いや『東京 観光』みたいな感じかな。どのサイトか覚えてないけど、どれ見ても上位に出てくるよ」

つまり、ゴールデン街は、富士山や、浅草の仲見世や、築地の魚市場や、東京タワーや、渋谷のスクランブル交差点と同じくらいに有名だ。観光地なのだ。

もはや、お土産屋さんで売られている観光みやげのスノードームに入ってもおかしくないくらいのアイテムなのだ。

手のひらサイズの、プラスティックのドームの中に閉じ込められた、縮小版のゴールデン街。手で振ると、フェイクの雪のグリッターが、ちらほらと落ちる。

その陳腐さは、ちょっとレトロで可愛いし、嫌いじゃない。

けれど、きっとそうなったら街は終わりだ。

とにかく たとえ連休中でも、道を歩くひとは相変わらず、日本人より外国人が圧倒的に多い。(ちなみに連休だからといってゴールデン街には日本人はさして増えない。おそらく東京の人は連休中は忙しいのだ。海外や地方に行ったりするのだろう)

しかし、ここまで外国人が多くなっても、ゴールデン街の店のほとんどが、観光客向けのサービスをしていない。入店を断る店も多いし、ほとんどの店はメニューも看板も日本語のまま。ソワレもそうだがクレジットカードを受けつけない店も多い。

ほとんどの外国人観光客はお会計の際、まずクレジットカードを出す。

「Sorry、現金のみです」
「しまった!ATMはどこ?」
「左に行って、また左を曲がったところにファミリーマートがありますよ」
「よし!行ってくる!ちょっと待ってて!」

こんな会話を毎週、何度も繰り返してしているが、ちっとも飽きない。

カップルの場合「しまった!」と言いながらファミマに走るのは旦那さんの方で、それを待っている奥さんが「じゃあそのあいだにもう一杯飲もうかしら」とか言って、私に話しかけてきたりする。「これはさっき原宿で買ったのよ」とか言って、ペラペラの薄い、よくわからないキャラクターのついた財布のような小さなポーチを見せてくれたり、「わたしね、時々、家でジャパニーズをつくるのよ、サーモンにMISOを塗ってオーブンで焼くの。すごく美味しくて、娘の大好物なのよ」とか教えてくれたりする。

仕事に出た男を家で待っている大昔のおんなたち、みたいなコントでもやっているようで、なんか、それが可笑しくて、にやけてしまう。

茶番劇みたいなのだ。茶番劇というと悪口みたいに聞こえるので、語弊があるが、水戸黄門みたいなお茶の間の人気テレビドラマシリーズとか、吉本新喜劇とか、お馴染みのシーンみたいなのが出てくる。そういうものはちっとも飽きない。むしろ、これが見たかったと思ってしまう。そういう意味で全く飽きない。

欧米ではもう、もはや現金を使う機会の方が少ないらしく、彼らの支払いの所作もどことなくぎこちない。

さらに日本の通貨の数え方も慣れていないし、まるでボードゲーム用のおもちゃのお札で遊んでいるように見える。しかし、顔を見れば、楽しんでいる。

中には現金しか使えないという情報をGoogleで調べてきていて「お会計はいくら?」といいながら、ゆったりと財布を開き、ピン札を出す人もいる。あらかじめ準備をしてきている。なぜか知らないが、よく2000円札を持っている。

「何コレ?2000円札なんて、珍しい!日本人でもはじめて見たかも!」

「そうなんだ?銀行で貰ったんだよ」

久しぶりに手に持ってみると、わたしも、2000円札はいやだな、要らないな、と思った。1000円と間違えそうだからだ。いちいち樋口一葉の顔を確かめるのが面倒くさい。2という数字も、キリが良さそうであまり良くないと思った。

だから銀行でも人気がないのだろう。日本の銀行には2000円札が余っているのかもしれない。日本人には需要がないので、積極的に外国人に使わせているのかもしれない。

とにかく、現金商売には、こういう不便さがある。

こういう不便さがある限り、まだスノードームには閉じ込めらないでいられる気もしている。

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夏近しバスの中だよ上着ぬぐ 夜桃

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