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Free the Bellyー表現としての衣服

「あのとき、へそ出してた人だよね。」
5年前に参加したキャンプのときのことで、こう言われる。キャンプの直後もいじられていたが、数年経ってもまだ「へそ出してた人」と記憶されていることがわかった。少しばかり丈の短い服を着ただけなのに、と戸惑う。しかも、ちょっと、かっこ付きの(笑)のニュアンスを感じて気になっていた。

KPOPとへそ出し


2020年に配信されたアイドルオーディション番組 Nizi Project をきっかけにKPOPにハマった。気づけば、KPOPアーティストのパフォーマンス動画を見るのが趣味になり、歌、ダンス、ビジュアルを兼ね備えたステージに見入った。自分の美しさを惜しげもなく披露する姿は、高校時代に幕張メッセのスタジアムで1万人の観客を前にパフォーマンスしたときの高揚感を思い出させてくれた。当時、チアダンス部の仲間と全国優勝を目指していて、毎日が楽しく、自分に厳しく、人生をダンスに捧げていた。からだを動かさずに家にこもる生活に終止符を打とうと、2022年の5月からダンスを再開した。

この夏、丈の短い服を着るようになったのはその影響だ。ダンスレッスン用に買った服を普段着にするようになったある日、パートナーに苦言を呈された。「それ着て外に出るの?」という。あ、まただ。キャンプのことを思い出した。また言われたな、というデジャブ感と、あのときとは違うニュアンスを受け取った。

インターセクショナリティに関心のある友人のむかいちゃんに打ち明けたところ、世界各国のトレンドや、女性の身体の表現に関する意思表明のキャンペーン Free the Nipple というものがあることなどを教えてくれた。

男性の視点になにがあるのだろう。パートナーは、性犯罪者や痴漢の冤罪を恐れながら電車に乗る男性たちがいるなか、女性が肌を露出するのはリスクを高めることだと言った。電車に乗るたびに女性の存在に過敏になっている人たちの存在を知った。もっともな理由だが、だからと言って、へそ出しというヘルシーな自己表現を封じられるのは納得できなかった。

もう少し、周囲の評価を知りたい。そう思い、へそ出しルックでまちを歩いてみようと言い出した。さらに、共通の友人であるゆいちゃんに声をかけたところ、なんと、同じ日にへそ出しルックの予定だという。「へそを出す予定の日」が三人揃うという偶然にときめき、ゆいちゃんのご友人のカメラマンさんに、自分たちの撮影も依頼することにした。


photo by Takumi Kuroda


写真を見て、驚くことがあると思う。そう、全然へそが出ていない。これまで「へそ出しの人」と呼ばれ、その格好はやめたほうがいいよと言われてきたが、拍子抜けした。面積の広さは重要ではないのだろう。おなかが少しでも見えている、隙間がある、それだけで「変わった人」になるという面白い発見だ。

自分のからだとの付き合い


撮影の前後を通じて、色々なことを三人で話した。私たちは三人とも、身長、体重、肌、顔、脚など、自分の身体に対して多くの感情を抱いてきていた。ここでは、私がどのように自分の身体と付き合ってきたかを紹介する。

からだに対するポジティブさ。大きく上下し、ここ数年は安定してポジティブ


このグラフは、横軸を年齢、縦軸を身体に対する思いとして変遷を記録したものである。過去のエピソードを思い出すのは楽しく、いまの自分がなにを大事にしているかに気づく豊かな時間だった。思い出すためのヒントとして以下の問いを用意したので、読者におかれても是非やってみてほしい。

1. 自分の体型や顔、肌、毛と、他者の体型や顔、肌、毛の違いに気づいた、比べるようになったのはいつで、どのようなきっかけでしたか?
小学3-4年生のとき。運動会の写真を眺めていて、母親に「あんたは骨が細くて、華奢で、すらっとしているから見つけやすいのよ」と嬉しそうに言われ、写真の中の自分と友だちの姿を比べた。母親に褒められて、細いのはいいことなんだと思った。それ以降、細くて華奢で、足が速いことを気に入っていた。

2. 自分の体型や顔、肌、毛について「こうだったらいいのに」と感じたことはありますか? いつ、どのように、そう感じましたか?
中学1-2年のとき。家族全員が二重のなか、自分だけが一重だったことを、おそらく雑誌を見て気にするようになった。アイプチを試したが自分の目に合わず、「大人になったら二重になる」という母の言葉を信じていた。

3. 自分の体型や顔、肌、毛について「ここがいいな」と感じたことはありますか? いつ、どのように、そう感じましたか?
高校1年のとき。自分の脚を美しいと思っていた。ほどよく筋肉がついて、ほどよく細くて、しなやかで、足が速く、ダンススキルも高いことを気に入っていた。筋トレとダンストレーニングを毎日継続して作り上げられた、一朝一夕では到達できない美だと愛でていた。

4. 自分にはこのメイク(あるいは服装)がしっくりくると感じたことはありますか? いつ、どのようなものについて、そう感じましたか?
社会人2年目のとき。自然とのつながりを感じる瞬間を増やすために、生活に取り入れられるものを探した結果、CASA FLINEというサステナブルブランドに出会った。この領域のブランドで、着たいと思えるデザインを見つけたのは初めてだった。その後、アップサイクルや素材にこだわりつつ、デザインに優れているものを選ぶことが増えた。

5. 自分にはこのメイク(あるいは服装)がしっくりこないと感じたことはありますか? いつ、どのようなものについて、そう感じましたか?
社会人2年目のとき。高1から10年続けていた茶髪をやめた。髪を染めるのが惰性になっていたことと、本来のありかたに誇りを持ちたいと思ったのがきっかけだった。

あとがき


表現としての衣服を論考できるのは恵まれた環境にいるからだと言う人がいた。一体、どういうことか。衣服とは本来、自然環境から身を守るためのものである。汚れや細菌から皮膚を守り、皮膚から出る汗などを吸収して体を安全かつ清潔に保つのが衣服の役割だ。へそ出しという行為はむしろ内臓の冷えを助長するため、安全の面において逆行する。私の熱意はむしろどのような外見でありたいか、それに対する他者からの視線、社会側の受容に向けられていたので、その理由を考えてみた。

社会人になり、自己表現の機会が異様に減ったからかもしれない。ビジネスの慣習では、稼ぐことを目的とした議論が歓迎され、自己表現は別段歓迎されない。小さな自己表現、考えを伝えることもしないのは日本人の特性とも言われてしまうが、うつや自殺の原因になるほど深刻ではないかと思う。価値あるプロジェクトが、こうした人的資源の枯渇で継続できないのは残念だ。クリエイティビティを発揮するには自己表現が欠かせないし、デザイン思考や社会構成主義の考えのもとでも大事にされるが、いまだマイノリティなのが現状だ。

弱さを見せたら利用され、強さを誇示しあう世界で仕事をするのは苦しかった。プロジェクトの存続のためにも、健康のためにも、自然体でいられることは重要で、そうあろうとする私を、衣服は大いに助けてくれる。




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