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ディズニーは輝く場所ではなくなってしまったけれど

例えば、毎週のアニメを見続けられなくなったこと。
ゲームをしていても、昔ほどのめり込まなくなってしまったこと。
映画を観て感動するのに、頭の中で、どこが良かったかを冷静に分析してしまうこと。
そういう色んなことを感じた時、「あ、大人になってしまったんだな」と思ってしまいます。

ディズニーが最たる例です。
子どもが4人いた我が家の経済事情的に、また、親があまり興味がなかったということもあり、高校を卒業するまで、片手で足りる程度しか、ディズニーに行ったことがありませんでした。

だからこそ、それまでの私にとってのディズニーはまさに夢の国。
とにかく色んなアトラクションに乗りたい、キャラクターにも会いたい、パレードがとても楽しい。
目に映るものが全て新鮮で、きらきらと輝いて見えました。

それが、大学に入って自分のお金でディズニーに行けてしまうようになり、回数を重ね、社会人になって関東に引っ越しまですると、ごくまれに旅行で行ける夢の国は、日帰りでふらっと立ち寄れる身近な場所になってしまいました。
飽きた訳では決してなく、何回行っても楽しいですし、新しいアトラクションやショーができる度に感動させられます。
ただ、回数を重ねるごとに、以前との細かい違いを探してみたり、現実的な部分に目を向けてみたりと、それまでとは違う楽しみ方をしてしまう。私にとってのディズニーは、漠然と夢と憧れを抱いていた輝く場所ではなくなってしまったようです。それが悲しい。

遠くにあって憧れていたものは、憧れていたからこそ近くに来たのに、いざ近くなってしまうとそれまで感じていたほど輝いては見えなくなる。
しかも、一度近づいてしまうとなかなか遠くには戻れないようです。
ディズニーが輝かなくなったわけではなくて、私の目が、その輝きを認知できなくなってしまったのです。もはや、今の私の目に映るディズニーが、以前の私が見ていたようにきらきら光ることはないんだろうなと思います。

だからこそ、私が幼い頃に輝いて見えた、幼い頃にこそ見ておくべきだったと思うものは、下の世代に繋いでいきたいなと思うのです。

一度、いとこ達をディズニーに連れて行ったことがあります。
彼らにとっては初めてのディズニーで、とにかくやりたいことはなるべく全部やらせてあげようと、色んなスケジュールを詰め込みました(コロナ以前です。ハードでした)。

で、とても面白かったです。
初めてディズニーに足を踏み入れた時の「わあっ」という声や、気に入ったアトラクションにもう一回乗りたくて駄々をこねるところ、恐る恐るキャラクターに近づいていくのも、夜のショーでドラゴンが出てきて本気で怖がるのも、全ての反応が、もう私にはないものでした。
同じものを見ているはずなのに、きっと彼らの目には全く違って見えていて、多分、当時の私もこんな目をしてたんだろうなと思いを馳せて、改めて、同じ体験を彼らにさせてあげられて、良かったなと思うのです。

ディズニーが輝いて見えるうちに、ディズニーに連れて行けて良かった。いずれ輝いて見えなくなるとしても、楽しかった記憶がなくなるわけではないはずです。そしていとこ達が大人になった時に、同じように、下の世代に繋いでいって欲しい。
私の目には、ディズニーは輝く場所ではなくなってしまったけれど、彼らの目にはまだ輝いて見えているし、そうやって、その場所の輝きを伝えていきたいなと思うのです。

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