タイの備忘録
過去の日記を読み漁っていたら出てきた、21歳の6月7日に書いた日記。
歳を重ねても、この出来事を心に留めたいから、備忘録的としてnoteに記しました。
昨朝ミーティング時にCEOがあるシェアをした。彼の友人が亡くなったとのこと。CEOと同じように3人の子持ち。まだ39歳という若さ。CEOが伝えたかったことは、「時間は限られている。だから今を全力で生きよう」ということ。涙ながらに語られた言葉。うまく言葉にはできないのだけれど、自分も含め、チームの胸に突き刺さるものだったと思う。彼の言葉、背中から感じたことは、彼が伝えたかったことそのもの。「今を全力で生きる」ということ。
私の尊敬している人たちが口にすることの中に共通していることがある。それは、
人はいつ死ぬかわからない
誰しも必ず死ぬということ
人生は一度きり
私には中学生の時に、お姉ちゃんのように慕っていた家庭教師の先生がいた。歳も4つ、5つほどしか変わらず、3人兄妹の末っ子だった私はどこかしらで「お姉ちゃんがほしい」という気持ちがあったため、まさにその家庭教師の先生(以下、まいちゃん)がお姉ちゃんのような存在だった。時間を共に過ごす中で、まいちゃんへの憧れや親しみ、愛情は、増していった。
彼女との関係は私が高校生、大学生になっても続いた。もう家庭教師という立場ではなかったけれど、たまに連絡をとってはお家に来てもらって、中学生の時のように、お母さんが頭を悩ませながらもワクワクしながら選ぶケーキと紅茶をいただき、お互いの近況を報告し合いながら時間を過ごした。
しかし、昨年の夏。母から一件の電話が入った。「まいちゃんが亡くなったんだって。」少しの沈黙が流れた後に、私は思わず聞き返した。「んん?まいちゃん?まいちゃんってまいちゃん?」私と母の中でのやり取りに出てくるまいちゃんは家庭教師のまいちゃんしかいなかったし、以前から体調が悪いことを聞いてはいたので、なんとなくそうは推測できたけれど、一瞬何が起きたのかもわからなかったし、全然ピンとこなかった。
お母さんとの電話を切った後に、慌ててまいちゃんとのLINEの履歴を見返して、最後に送った昨年12月末の年末年始の挨拶から既読がついていなかったことに気がついた。
お母さんの話によると、まいちゃんが亡くなったのは昨年の12月頭。既読がついていないことも納得。その時に、どわ〜っと後悔の念が押し寄せてきた。お互いに忙しいから既読がつかないことが当たり前と思っていた自分がいたこともだけれど、LINEのメッセージの中で私が送っていたことに、「またお会いできたら嬉しいです。」という言葉。
「またね」なんてそう簡単にやってこないんだ。そこで初めて「またね」って言葉の意味を感じたし、人間本当にいつ死ぬかわからない、またね、なんてそう簡単にはやってこないことをものすごく強く、深く、感じた。その後もメッセージは送ってみたけれど、返信はもちろんこないし、増してや既読もつかない。
おじいちゃんが亡くなる時に、亡くなる直前に、ベッドの横で人工呼吸器をつけたおじいちゃんと握手をした時に、ものすごく胸の奥から何かがこみ上げてきたことを覚えている。その時は涙が溢れてきて、漠然とだけれど、もうおじいちゃんと会えないんだな。普段からそんなに話すおじいちゃんではなかったけれど、もっと話しておけばよかったな、と思った。
いつもニコニコ笑っているおじいちゃんが印象的で、お家が離れていたし、そんな頻繁には会っていなかったけれど、いつもお家に行くと、大きな体をのそのそしながらニコっと笑って「いらっしゃい」と言ってくれる、その温かみは今でも思い出す。
まいちゃんとのことは、その時よりもさらに死を、身近に感じさせるものだった。なんでだろう。
そして、今朝、 スティーブ・ジョブズのスピーチを聞いた。もちろん1つ目の話も2つ目の話も心に残るのだけれど、最も響いたのは3つ目の話「死」についてだった。以下全文では無いけれど、胸に刺さったものを抜き出した。
「またね」なんて言っても「また」なんてそう簡単にやってこない。それは仕事にも言えることなんだ。今はインターンとして大好きな人たちと働いているし、将来もまたどこかで一緒に仕事ができたら!とは思うけれど、また、なんてそう簡単にはやってこない。時間は限られているから。
今与えられている状況に感謝し、どれだけ今日を、今を大切に、楽しく生きるのか、が大事なんだと思う。とは言っても口で言うのは簡単で、胸に止めることは難しいんだけど。それでも、あまり周りの目を気にしすぎるのではなく、つまらないなって思って目の前の仕事に向き合うのではなく、少しでも価値を生み出せるよう、今日という1日を全力で生きたい。
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