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"恋人"という人間関係を欲すること

最近、よく考えることなんですが

なぜ恋人が必要なんでしょうか。

ひとそれぞれ解釈はあるとおもいますが、

今日は[自分の思考の記録]として残します。


さて、本題。

人はなぜ恋人が必要なんでしょうか。

Google先生に相談してみても

・人は一人では生きていけないから

・恋人を作らなければ、人類はここまで繁栄していない

・好きな人と楽しい時間を共に過ごしたいから

・恋人がいればイベント事も(クリスマスやバレンタイン)寂しくない

・好きな人の価値観を感じ、自分の視野を広げることもできる

・好きな人を自分だけで独占できる

・セックスができる

・生涯のパートナー、もう一人の自分という感覚を味わえる

等の解答。

うん、しっくりこない。


今、パートナーや恋人がいる方はどんな心持でその方と契りを交わしているのでしょうか。

とても気になります。

批判したいとか、反論したいなんて気持ちは全くありません!!


ただ、最近「なんで彼氏作らないの?」とか

「もう再婚しないの?」とか聞かれる機会が多発して、

なぜ恋人が必要なのか、

また、

なぜ【結婚】という制約が必要なのか、

考えるキッカケになったのです。


私はいま、恋人はいませんが、中二の娘と小6の娘がいます。

主人とは、離婚をし、現在はいい友人です。


ですので、人を好きになったことがない、という訳ではないと思います。

あの気持ちを可視化できないから、あの感覚が本当に『すき』という気持ちなのかわかりませんが

たぶん、ちゃんと『すき』な人はいました。


でも、ここ数カ月で、心理学や脳科学の勉強をして気付いたのですが、

私の中の「すき」や「恋人」は、私のエゴの対象、私のエゴを当てがる対象でしかなかったのではないか、と。

・彼氏たるもの浮気するべからず

・彼氏にはいつも私を一番に考えて欲しい

等を強く要求していました。


また、私自身も、自らに対してこう思っていたのです。

・彼女たるもの浮気するべからず

・彼女は彼氏の一番の癒しの存在であるべき(なんでも受け入れるべき)

・「すきか?」と聞かれたら、食い気味で「好きぃぃ!!」と言えるくらいでないとお付き合いしてはならない

と。

これが、彼氏にできなくなった時「もうそろそろ潮時なのかな」と別れたことが何度もあります。

特に3番目の食い気味で好き!っていう話は、

当時の彼にお伝えしたところ

「ずっ~と同じ気持ちで好きなんて無理でしょ。」

と言われました。


たしかにそうなんでしょうけども・・・

そこで疑問がまた生まれるんですよね。

じゃあ何で付き合ってるの?

って。


『好き』って何?

どれが『好き』って感情なの?

『好きじゃない』のに特別扱いするの?(しなきゃいけないの?)

『好き』じゃないと恋人になっちゃいけないんじゃないの?

好きだから ➡ 恋人にしたい(なりたい)

ではなくて

恋人がほしいから ➡ 好きになる

ってこと???????


当時は、頭が固すぎるっていうか、、、なんていうか、

今はね、『好き』を型にはめ込まなくてもいいんじゃないかな?と思う。

当時は、結局それで話がこじれてお別れすること何十回。


でも?だから?

今は、なんだか、

「恋人」という括りに束縛を感じる。

それは、恋人がいたときの自分がとても窮屈で

「もうあの時の生活に戻りたくない」という感情がある。

だからこそ、知りたいのだ!


人はなぜ恋人が必要なのか。


わたしは、今、時間やお金を娘たちや大事な友達、そして私自身に使いたい。

極論になってしまうかもしれないですが、

恋人をつくること、再婚をして旦那さんを持つことに、

なんの魅力も感じないんです。

言ってしまえば、私は大抵のことなら一人で出来るし。

結婚も一度していますし。


しかしできれば、【共に生きるパートナー】は欲しいと思うことはある。

こういう括りなら一つ屋根の下で暮らせる気がする。

お互いがお互いをケアする。

お互いを支える関係。


恋愛感情抜きにしてなんでも話せる、

友達にも、娘たちにも話せないことを唯一話せる相手。

家族でもない、恋人でもない、唯一無二の相手。

もう一人のわたし。


そこに恋愛感情が絡まってくると実に不合理で、面倒だけど、

恋愛感情を入れなくて済む相手とならずっと一緒にいられる。

これは言うなれば【恋】ではなく【愛】みたいなことなのかな。


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ここに私の恋愛に対するブロックが垣間見える。

恋愛=自由を奪う足枷

恋愛=当然、いつかは終わるもの

このブロックが植え付けられたのはいつだろう。


恋がなく、急に愛になることは可能なのか?

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とまあ、実はこのnoteは何週間に掛けて書いていて

書いては消して

書いては消して

を繰り返していた。



そして、出た結論。

結論は出ない!

という結論に至った。


重箱の隅を突く様な、

白か黒かハッキリさせないと気が済まないモードが突然発動した今、

きっと私の自己肯定感は下がっているんだろう。


だから答えのない哲学的な質問を自分に問いかけている。


今、冷静になって思う事。



どっちでもよくね?

なんだってよくね?


ですw


人の思考や感情、肯定感は観察すればするほど面白いw

私という人間が未知の生物すぎてw


これからも、楽しみながら、生きていこう(^^)

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