思考が定着するまで

「頭ではわかっちゃいるけど、実際に行動にできない」ということがたくさんある。
だから私は常々「頭で理解できてるのと、体が理解できてるのは別だ」と言っている。
無意識のうちに、多くの人が自分のことを棚上げしてるのも、それが所以だと思う。
みんなの考える「普通」は「理想」なのに、自分自身の思う「普通」にがんじがらめになってる場合も多々ある。
普通なんてこの世の中にはきっとなくて、すべてが平均値の人なんて それこそ完璧人間になってしまうだろう。
つまり、頭で考えてることと、体が感じてることには、大きく溝があるということだ。

溝が埋まるのに、1年以上は必要だと、私は思ってる。
あるいは、その人にとっては一生埋まらない溝もあるだろう。
根本的に、考え方が合うか合わないかの話だ。
自分に合わない「普通」を、体に実感させようとするのは 至難の業だ。
どんなに頭が「こうしろよ!」と体に命令したところで、体はなかなか言うことを聞いてくれない。
自分に合う思考すらも、慣れていないと 体にはなかなか馴染まない。
合わない思考は、一生かけてようやく馴染む程度だと思う。

頭で理解できてることを、体に落とし込むには、行動するしかない。
たとえば「焦ったときは、あえて止まればいいんだよ」という教えがあったとする。
この教えを、ただ知ってるだけなら「頭が理解してる」状態。
実際に 焦ったときに行動を止めてみて、焦りが和らいだことが実感できたなら「体が理解してる」状態。
さらに一歩踏み込んで、何度も「焦ったときに、あえて止まる」という行動を繰り返すと、習慣になる。
そして、その価値観や考えが、ようやく「普通(当たり前)」になる。
頭で理解してるだけの「普通」は、偽物だ。

習慣は、一朝一夕には身に付かない。
普段運動しない人が「運動を習慣づけよう!」と意気込んだところで、三日坊主になりがちなのと同じだ。
なぜ三日坊主になるのかと言えば、つらいからだ。
面倒だと言う人もいるだろう。
「焦ったときは、あえて止まる」という教えは、比較的簡単に身に付くものだと思う。
なぜなら、止まればいいだけだから。
しかし、世の中そんな簡単なものばかりじゃない。
運動は、その点 わかりやすい。
走ったり 筋トレしたりするのは、わかりやすく つらい。
それを快感と思えたとき、運動するのが習慣化されるのだろう。
しかし、運動を快感だと思えるまでには 時間がかかるし、つらい気持ちを乗り越えなければならないから 難しい。

そこで、運動を習慣化させるために、専属のトレーナーをつけたり 大金を払ってジムに行ったり 仲間を見つけたりと、工夫することになる。
難しいものを、難しいからと諦めていては、人生ゆるゆる過ぎて きっとつまらなく感じる。
だから諦めるのではなく、どうしたら習慣化しやすいのか?を考えるべきだろう。

私はつい最近、頭で理解していたことを、体に落とし込むことができた。
体に落とし込めた時の爽快感は、体感したことのある人にしかわからないだろう。
世の中には、勉強好きな人が 意外とたくさんいる。
勉強は、わかりやすく その爽快感を得られるからだと、今ならわかる。
昔、私は勉強が大嫌いだったけど、それは快感を味わったことがなかったからだ。
「わからなかったことが わかるようになる」、「できなかったことが できるようになる」そんな 見失いがちな 大きな幸せに、気づくことができなかったんだ。

今回の落とし込みは、2年くらいかかった。
紆余曲折ありながら、なんとか体に落とし込もうと 工夫した。
その結果が、ようやく実った。
これは舞を踊ってしまうほどに嬉しい出来事だ。
しかし、ここで油断すると 習慣化には繋がらない。
習慣化が一番重要だ。
習慣化されなければ、ただのビギナーズラックのようなものだ。
ここからが正念場。

こうやって文章化することもまた、習慣化するための工夫だ。
決意表明というのは、存外 効果的だ。
自分で書き出した思考を読み返す……これだけでも、かなり習慣化しやすくなる。

サポートに興味をもっていただき、ありがとうございます。いつか 私の文書が、あなたの手元に残る形になって あなたをそっと支えられればと思います。