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30年後のふしぎな出来事

かみさまごとの先生に産土神社をみていただいて、わたしの産土神社はどうやら山形県にある大物忌神社(鳥海山)ということがわかりました。
生まれた県ではなかった。
そんなことあるんですね。

でも先生曰く、出羽の国一之宮神社だから、おおきいとこだよよかったねえ、と。

産土神社がわかったら、できるだけ早いうちに訪れることと言われたので、母とともに山形県へ。
このときのわたしはまだ、何が待ち受けているのか知るよしもなかったのでした…

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【一貫性のある夢】
産土神社の話をする前にこの話を。
わたしはおじいちゃん子で、5歳のときに祖父は癌のため他界していました。
それから18年後、23歳のときにある夢を見ます。

祖父から「いま地元の駅にいる、車で迎えに来て欲しい」と電話が入ります。
車かあ…と渋っていると、「あれから18年経ってるもの、免許持ってるだろう」と言われ、あとあと考えると年数がぴったり一致しているのです。

祖父を車に乗せ、着いたのは自宅ではなく杉の木がたくさん生えている少しひらけた場所。
杉の木のせいか、辺りはそんなに明るくはなく、じめっとしている感じ。
杉の木に挟まれるようにして階段が上に伸びており、祖父と二人でその階段を上ります。

確かに野外にいたはずなのに、階段はいつのまにかヒノキのような明るいベージュ色にかわっており、階段も建物の中のようでした。
さっきまでとは一変して、辺りが明るく、上質な木でできた厳かな空間のなかにいました。

階段の踊り場のような場所にでたとき、祖父が歩みを止めました。
その先には御簾がかかっており、これまでの空間とは異なる境界線のようでした。
わたしはなんとなく、「ここでお別れなんだな」と思いました。
祖父とふたたび別れるのがいやで、泣きながら一緒にいたいとお願いしました。

しかし祖父は、「おまえは、かさを持ってないだろう」と言って、ひとり御簾の先の階段を上っていきました。

目覚めたときハッキリ覚えていた上に、号泣していたので、印象深い夢でした。(即母に電話したw)
どうしても「かさ」という言葉が気になり、辞書で調べたところ、仏教用語で「暈」は仏さまの後ろから差す後光のことであると書かれていました。
以来この夢をずっと忘れることなくそこからまた10年以上の長い月日が流れたのでした…
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産土神社に到着するまではすっかりこの夢のことは忘れていて、暑いな~とか、晴れてよかったな~とかしか考えてませんでした。

ところが

大物忌神社の吹浦口宮の本殿にたどり着いたとき、言葉を失いました。

なんと拝殿の中には御簾がかかっていて、その先に階段があり、その階段は拝殿よりも一段高い場所にある本殿へと続いていたのです。

ここだった…

涙が出ました。
祖父とここに来ていた。
ここで別れた。
祖父は本殿のほうへ上って行ったのだ。

わたしのただならぬ様子に、母が「ここ?夢で見た場所?」と声をかけました。
言葉を一切発していなかったのに察した母もすごいw

こんなことってあるんですね。
正直自分がこんな体験すると思ってなかったので衝撃がでかかった(◎_◎;)

コロナの影響と季節的なものもあって、鳥海山そのものに登ることはできなかったですが、いつか落ち着いたら登ってみたいなあと思います。

画像1

▲大物忌神社吹浦宮

画像2

▲大物忌神社蕨岡宮

画像3

▲丸池さま


ちなみに…
泊まりで行ったのですが、宿泊施設にてちょっとホラーな体験をしたので、それについては次回(*'ω'*)

わたしの好きを詰め込んだマンガですが、届いてくれることを願って。応援いただけると本当に嬉しいです。