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わきまえるということ

森会長の発言が話題になる中、以前書いた記事のことを思い出した。

わたしは新卒で大手の会社に就職した。そこでは下っ端であったこともあって、会議などで「わきまえた」発言を求められることはなく、むしろ積極的、前のめりな発言が求められた。

つまり業務の中ではわきまえた女性であることはほとんど求められなかった。私以外もそうだったのでありがたい環境だったのかもしれない。

一方、業務外(飲み会)では、女性を女性としていじることが当然視されていて、もし否定的な態度でも示そうものなら、わきまえていないなという顔をされた。私は当時それが本当にきつくて、以下の記事を書いたのだ。またこの話は私だけの体験を基にしたものではなく、友人の意見も参考にしている。

わきまえるーは社会のあらゆる場所で当然視されており、構成員が作り出す空気を通して私たちの心の中に「学校・職場で生きていくためにはせねばならないこと」として埋め込まれている。私たちはそのことを自覚しなくてはいけない。

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わたしは今日も死ぬほど嫌いな会社に向かう。

電車でSNSのタイムラインを一通りチェックして、〇〇駅で下車。会社までの道のりはできるだけ知っている人に会わないように肩で風を切りながら、次々と人を追い抜かしていく。エレベーターを降り、ドアのセキュリティに社員証をかざすとドアが開く。

「おはようございます」
「うーっす」「・・・おはようございます」

わたしのあいさつに何人かが返事をする。しかし彼らはわたしに一瞥もせず、目をパソコンのスクリーンに落としたままである。
子どものころわたしは、挨拶は元気よく目を見て大きな声でしましょう!と口酸っぱく教師や親に教えられた。小学校では校訓の中にたしか、「元気よく挨拶できる子」が入っていたように思う。しかし社会人になると身内に対して大声で元気よく挨拶する人は、新入社員の一部かよほど変わった人((正直浮いている人)だけである。

そういえば残りの校訓はなんだったっけ、どうでもいいことを考えている間に、男性社員山田がわたしに近づいてきた。

「あれぇ?今日メガネなのー?おいおい、女子力低いねぇ。」

わたしは営業の仕事をしているのだが、本日外交の予定はない。したがって社内でさまざまな提案資料を作成しなければならない。長時間パソコンのモニターをみれば目が乾いてくる。集中力も低下する。だからコンタクトレンズではなく、眼鏡を装着してきたのだ。いったい何の文句があるのか。
しかしそんなことを言う気力もなく、「そうなんですよー。ちょっと目が痛くて。」とてきとうにかわす。

「というかクマやばくない?どうしたの?」もう会話を終わらせようと山田に向かって背を向けたにもかかわらず、彼は畳みかける。
すると後ろで黙々と作業をしていた男性社員佐藤が手を止めて、会話に参加してきた。

「たしかに鈴木さん最近クマやばいですよねー。てかそういうのって化粧で隠れないんですか?最近メイクてきとうっすよね。」彼はそう言って笑いながら、わたしの全身をなめまわすように見た。

この後輩は一体何のために毎日、私の顔、身体を凝視し、クマの状態まで確認してくれているのか。そのような暇があるのなら仕事をすすめてほしい。そもそもなぜ自分たちは一切化粧を施さないにもかかわらず、わたしの化粧に一言いう権利をもっていると勘違いしているのだろうか。

「そういえば今日飲み会ですよね。鈴木さん行きます?」佐藤が話題を変える。

あぁそうであった。本日は課の飲み会であった。死ぬほど行きたくない。家に帰って一人でのんびりしたい。しかし今日はお世話になった派遣社員の方の送別会も兼ねている。行かなければならない。なんという苦痛だろうか。

わたしは社内の飲み会、とりわけ課の飲み会が、控えめに言って死ぬほど苦痛である。なぜなら社内の飲み会において、わたしはいじってもいい女性社員の役割を一手に引き受けなければならないからである。

独身の若手女性社員。上司にいじられてもてきとうにその場でかわすことができ、場の空気が悪くならない社員。そういった女性社員はわたしだけに限らず飲み会において、格好のターゲットとなる。

わたしもかつてはそのような役回りを引き受けることがそれほど苦痛でない時期があった。いじってくれることが愛だと思っていた時期もあったし、いじられることで注目を浴び、社内の人間関係がうまくまわることもあった。

しかし放っておけばおくほど、また自身の年齢が進めば進むほど、いじりはどんどんエスカレートしていった。

とりわけ飲み会の場でのいじりは悲惨なものだった。ブスやデブなんて言われることは日常茶飯事。業務時間内ではわたしを一人の社員として対等に扱ってくれる社員まで、酔いが回るといじり側に加担する。わたしはその度に失望した。あまりに多くの人に失望して、会社には「わたしが失望していない人」が一人もいなくなった。たまに現れたとしても、その人たちは職場の雰囲気になじめず、転職したり、休職したりして物理的にいなくなるのだった。

一日の仕事を終え、飲み会の会場まで向かう。今日の飲み会は、会社の近くの居酒屋での開催であった。幹事は新入社員の男の子で、彼はいかにも体育会で頑張ってきましたという体つきをしていた。彼は若手女性社員とともに、居酒屋の玄関で上司の到着を待っていた。

わたしが店に入ると水曜日ということもあり、店内はすでに多くの客でにぎわっていた。わたしたちが案内された部屋は小座敷になっており、4人が座れるテーブルが等間隔で3つ並んでいた。

すでに座席表が決まっているようで、それぞれの席に名前の書いたふせんが貼りつけられていた。わたしは自分の名前の書かれた席に座る。わたしが一番左端のテーブルで、課長は一番右端のテーブル。わたしは体育会系社員安田に向かって心の中でお礼を言った。

飲み会が始まると、今日は自分の気配が消えるように、むしろ本当にここから消えることができたらいいのにと思いながら、ビールを呷った。

「なぁなぁ安田くんはさ、女性社員の中でどの子がいいと思ってるのよ。」
わたしの視界に酔った課長が新入社員安田に絡んでいる姿が映った。この話題はまずい傾向だ。わたしは自分に火の粉が降りかかる予感がした。距離は離れているため、聞こうと思わなければ聞こえない。にもかかわらず課長の発する言葉だけがくっきりと輪郭をもって、わたしに突き刺さってくる。

「え?何ですか、突然。いやみなさんきれいだと思います」
「イヤイヤいや、俺そういうの期待してないから。本当に、本当のこと言いなさい。」
「んー。えー、島田さんですかね。」

新入社員はどんな時でも服装、髪型、メイクに気を付けている美人女性社員島田の名前を挙げた。島田は「ありがとーございまーす!」と慣れた感じで反応した。

「あぁ、お前素直だねー。でもベタすぎて面白くないなぁ。じゃぁ逆に一番ないのは誰なのよ?」
「いやーそれはさすがに。僕の今後の社内の立場もありますし。」
「はは、間違いないな、それは。でもぶっちゃけきれいな人がいいってことだよね?」
「はぁ、まぁ...」
「じゃぁ、Dみたいな女はないってこと?」  

課長は飲み会に参加していない女性社員Dの名前を突如挙げた。

「そんなこと言ってないじゃないですか。それにDさん全然普通くらいですよね。顔。」

新入社員の男の子が必死に否定し、Dを気遣った発言をみせた。しかし酒も回っているのかうまくフォローになっていない。

「普通って、全然フォローできてないしー」女性社員島田がうれしそうに笑う。課長は続ける。
「いやいや。あいつが普通と思ってんの?お前目悪いの?」

「ビールお待たせしました。」わたしたちのあまりにも低次元の会話を聞きながら、大学生と思われる無表情の女性店員がビールの空き瓶を一つ一つ丁寧にお盆にのせていった。わたしは彼女に心の中で話しかけた。

これが社会人の飲み会です。お姉さん。わたしも最初驚きました。このような低次元の話を延々と話しているのです。しかも妻子があったり、社会的な地位が高い人までもがです。思いやりのかけらなんて何一つありません。こんな人たちでも、家に帰れば子どもに「〇〇。人には優しくしないといけないよ」なんていっているのでしょうか。

「飲んでますかー」と山田が課長のいるテーブルに参加する様子が見えた。「え?何の話してたの?」と彼は、僕はDの話がしたくて入ってきたんじゃないんですよということを周囲にアピールするために、すっとぼけた。彼は綺麗どころの島田の横に座った。

「いやーDさんの話かぁ。Dさんはたしかにね、指毛生えてますからね。たまに足にまでそり残しあるし」

その発言にやだーと女性社員島田が悲鳴をあげる。しかしその声からは悲壮感は感じられない。

一方、わたしはぞっとした。この人たちは女性社員の指や足に生えている毛までチェックしているのか。
課長が続けて言った。「いやてかあいつひげ生えてるだろ。太陽光の下でみてみ?やばいぞあれ。」

自分たちはあらゆる箇所から毛をはやしているにもかかわらず(なんなら鼻から出ていることもある)、性別が異なるだけで、ムダ毛は絶対にはやしていけないものになる。ムダ毛処理を忘れることはマナー違反であり、不快にさせる行為。どれだけ忙しくても、わたしたちは毛をそらなければならない。

わたしは課長たちの発言に気分が悪くなり、トイレに逃げこんだ。トイレに行くと、女性社員の加藤が丁寧に化粧を直していた。

わたしは加藤に話しかけた。
「今日、課長どうしたんですかね?Dさんに対して、すごくないですか?」わたしが尋ねると加藤はこう答えた。
「あーまぁ。課長Dさん嫌いだからね。来てなくてちょうどいいなと思ったんじゃないの。」
「にしても今日いない人の悪口をあんな堂々と…」わたしがDに配慮する発言をすると彼女は少し不満そうな顔をして、こういった。

「まぁでもさ、なんかDさんって立場間違えてるよね。いじられてもわたしが何でそんなこと言われないといけないの?って顔してるし。ほんと言ったら悪いけど、あの...顔の感じでさ。課長もやりにくいと思うよ、あれじゃぁ。課長としてはさ、わざわざいじってあげてるのに、全然うまくかわせてないし。なんなら、それはセクハラですか?みたいな顔してるじゃん。」

「いじりをかわせないほうが悪いって。いい加減気づいたほうがいいよね、彼女。」

じゃぁ先に席戻ってるねー、と加藤はトイレのドアを押し、外に出ていった。男性社員の「かとーちゃん遅いぞー」という声がドアの向こうから聞こえる。

わたしは加藤の発言に絶望した。そうなのか。やはりいじりはかわせないほうが悪いのか。いじってやっているんだという傲慢な態度で、明らかな悪意をもって人を傷つけようとする人間が悪いのではないのか。
そんな時突然思い出した。あぁそうだ。小学校の校訓、もう一つは思いやりだ。わたしたちは幼いころ「思いやりを持ちましょう」、そう教えられてきた。しかしそんなことを社会人になって実践している人を、わたしはこの会社で一度も見たことがない。それどころかわたしの周りはいつも悪意に満ち溢れていて、わたしはその中で自分が傷つかないようにすることで、手いっぱいだった。

もうずっとこのトイレにこもっていれればいいのにな、そう考えていると店の店員がトイレに入り、突然掃除を始めた。気まずさからしぶしぶトイレを離れる。

「おい鈴木ー!お前今日なんであんな遠い席に座ってるんだよ。」課長はトイレから出たわたしをすかさず見つけ、手招きをして呼び寄せた。わたしが課長の隣に座ると、彼は当然のようにわたしの肩に手を回した。

「いや、座席表通り座ってたんですよー」と笑いながらかわす。課長はニヤニヤしながら目の前に座る新入社員に語りかけはじめた。

「おい新人!知ってるか?こいつみたいな女はいいぞ。本当いい女だよな。おれがいじっても一切ふてくされない。こういうのがコミュニケーション能力っていうんだよなぁ。Dにも見習わせたいよなー。」

わたしは返事をする。丁寧に、間違えないように。「ちょっとー課長どうしたんですか。いつもと違うじゃないですかー。いつもはめっちゃ落としてくるのに。」

「あ、課長。鈴木さんめっちゃ喜んでますよー」男性社員たちが合いの手を入れる。

「て、調子に乗んなブス!」そう言って課長は突然わたしのおでこに右手を近づけ、薬指をはじいた。その瞬間、体中のあらゆるところから蕁麻疹が出たのではないかという気に襲われた。しかしここで間違えるわけには行かない。何とか言葉をねん出する。

「えーひどーい。」

わたしは知っている。わたしはいい女なんかじゃない。わたしはただの都合のいい女で、褒められてり貶したりできる便利な道具として、彼らに利用されているのである。にもかかわらずわたしはこの役割を降りることができない。降りた先に何があるかわからない。

Dみたいになりたくない。わたしは課長がDの容姿をいじった際、憮然とした態度の彼女をみてこう思ったのだ。

なんでこの人もっとうまくやれないんだろ、と。

あぁ最後の校訓、思い出した。忍耐、耐え忍ぶ心だ。わたしはこの会社で7年間何を言われてもそれをかわすことが自分の役割であることを信じ、耐え忍んできた。しかし何のためにここまでしなければならないのか。わたしはとうにわからなくなっていた。


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