二次創作は描写が足りていない

今回のnoteはただの愚痴。
二次創作で推しの美少年、あるいは美青年のすけべな小説を読みたい三十路のただの愚痴。

最近の二次創作小説、描写が足りていないんですよ!

声を大にして叫びたい。

もちろん、二次創作小説なんて9割がアマチュア、ざっくばらんに言ってしまえばトーシローが書いているのは百も承知。
言いたいのはそういうことじゃないのです。

君たちの推しへの愛はそんなものなのか?

「何を偉そうに言ってるんだ…」と、画面の前で不快感を覚えたあなた。
ごめんなさい、私も自分で書いて偉そうだなと思います。
これが身内の発言なら正座させて説教するところですよ。

ただ、本当に愚痴です。何度も言いますけど私の愚痴。
言ってもしょーがない嘆き。そこも理解してはいます。
そのことを踏まえて読み勧めていただきたいです。

さて、9月に入ってすぐの頃に下記のツイートがTLに表示された。

びょ、描写がクドいだと……?
いやいやいやいや、全然クドくないですよ!
少なくても、二次創作小説においては描写が足りていない!

そのことをクドいほど言いたい、タイトルにするほどに訴えたい。
愚痴ですと卑怯な予防線を貼ってでも、声を大にして叫びたいんですよ。

上記のツイートについて他の方々の意見や詳細が気になる方は下記をお読みください。
私は今から二次創作は描写が足りていないことを思うがまま赤裸々に語るつもりです。

長ったらしい前書きを書き連ねてようやく本題ですが、私は二次創作小説に「上手い」だの「下手」だのそういう技術や技法に関しては特に求めていません。
美少年、あるいは美青年のすけべな小説を読みたいと言いましたが、それ以上に【作者】から見た【推しキャラ】がどのように見えているのかを知りたいのです。

私も人様に指摘できるほど文才があるなんて思ってもいないですし、うぬぼれてるつもりはありません。
ですけどね、一昔前と比べて描写が足りていない。
そこは嘆きの嗚咽と呪詛を吐き出しながら訴えたい。

銀色の髪と青い瞳の男だった。

なんてこざっぱりとした、事実のみを記載した味気ない文章!
そんなこと二次創作で書く必要はないでしょう!
みんなそのキャラのイメージなんて頭の中でできているんですよ!
わかりきっている容姿なんて中途半端に書くなら正直書かなくていい、いらない描写なんです。

私が読みたいのはその人にはそのキャラがどう見えているのか、そういう詳細な描写を知りたいのです。
『銀髪で青目で男』だって、書き方で印象は大きく変わる。

・宝石のように輝く純銀の髪、薄い青色の目をした青年。
・灰色かかった白髪に近い銀髪、不自然なほど濃い青の目の翁。

二次創作がいくら脳内でイメージが浮かぶと言えど、これくらい描写を書かないとないほうがいい。
読者が必要としている情報じゃないのですもの。
わかりきっている情報ですから。

青い目でもそれを空と例えるか、海と例えるか、果ては別のものに例えるか。
そういうのは作者の見え方、感性が出るのでジャブジャブ読みたいのですけどね。
そのキャラの美しさを、作者はどのようなものにたとえるのか、そしてそれを美しいと思う作者の感性を私は知りたい。

ああ、なんとも嘆かわしい。
上記のツイートの「描写がクドい」の発言を、私は嘆くよ。

上記の「銀髪、青目、男」以外であれば、攻めキャラにしろ受けキャラにしろ「美しい瞳」で全部押し通しすぎなのも最近よく見かける気がします。
でもその美しさを作者はどう捕らえているのかが読み取れない。

・子を見守る母親のような、慈愛に満ちた優しく美しい瞳。
・切れ長で鋭く冷酷さを含ませた、美しい瞳。
・妖艶で心に突き刺さる、潤んだ美しい瞳。

美しい瞳だけでもこういう詳細を描くだけでイメージが変わるんですよ!
同じキャラだったとしても友人に向けた瞳と、愛おしいものを遠くから見つめる瞳が同じなわけないのに全部「美しい瞳」だけで終わっている気がするんです。

足りていない、描写が足りていない。
あなたから見た推しの美しさの詳細を、どうして書いてくれない。
作者の目のフィルターを通して、推しの魅力はどのようなものなのかはクドいくらい書いてほしい。

十年くらい前までは、目を宝石に例える描写が多かった。
「血に濡れたルビーのような」とか。
実際に血に濡れたルビーを私は見たことないのでどんな色かはぼんやりとしか思い浮かばないけど「なんとなく深い赤で輝いてるんだろうなー、危険な雰囲気もあるんだろうなー」というのはわかる。

なんでそんな現実的ではない比喩表現にしたと思わないこともないのだが、どういう雰囲気でどれだけキレイか伝えようとしている創作者のキャラ愛もとい情熱は垣間見える。好ましい。
「水に濡れた黒曜石のような瞳」くらいなら、なんとなく雨の日のデパートの床を想像できるのでイメージしやすい。

最初に「推しへの愛はそんなものか?」と言ったけど、昨今の二次創作小説ってツイートなど見える周囲の声に振り回されすぎな気がするのですよ。
その結果、当たり障りのない毒にも薬にもならないような表現に収まっている。
でも逆に、それだとわかっている不要な情報だと思うので、どうせ書くなら描写をもっと書いてほしいなと私は思うのです。

昔の受けはピンクハウスのワンピースを着せられたものよ。

ピンクと白のチェックの生地に、ふんわりと丸く膨らんだ袖。
袖口には繊細な白のレースがふんだんに使われており、同じレースがボリュームのあるスカートの裾にもついていた。
胸元には多くな赤いリボンがついており、茶色い木製のボタンがセンターラインに沿うよう、複数ついている。
同じようにリボンがついた白い革製のポシェットが(省略)

これはわかりづらいし目が滑るとは思うのだけど、女装させた受けがどのような服装か、そしてどれだけ可愛いかをそれこそ真の意味で「クドい!」と言いたくなるくらい詳細な小説はよく見かけた。
そして受けが「男がこんなの着ても気持ち悪いだろ」と恥ずかしがって攻めが「可愛すぎる……」と顔を赤らめる小説は100回は読んだ。

それがスラ○ダンクのようなスポーツ物で主要登場人物は全員ムッキムキでもフリフリロリータ女装の創作はあった。
「いや、無理があるだろう!」と、スラ○ダンクを男同士の掛け算の目で見ていなかった私が突っ込んでも、作者にとって受けちゃんはそう見えて、可愛くて仕方がない描写をしっかりと書いていた。

二次創作の作者には、キャラをそういう風に見えていたのだろう。
たとえ私が「無理がある」と突っ込んでも、それが作者のキャラへの愛情表現だったのではないかと、描写が少ない昨今の小説を見て思う。

別にピンクハウスでなくても構わない。
令和の今、ピンクハウスは流行最先端のファッションではないのだから。
スラ○ダンクが流行ってた頃、ピンクハウスのブームが下火になっていたとは聞く。
それでも、その時代から見てピンクハウスが大流行したのは数年前と比較的モダン文化だったのだろう。

可愛さの代名詞がピンクハウスで、最高に可愛い推しをさらに可愛くしたい、そこをしっかり描写する作品があったというだけだ。
冷静に見れば狂気に見えても、創作者は魅力を伝えようとする熱い勢いがあったのはたしかだ。

最近風なら白いカットソーにタイトな紺のジーンズでデートに現れても良い。
いつもと違う私服姿も魅力的だと攻めがうっとりしてくれたらなお嬉しい。
私は作者が書くキャラの魅力、その描写を読みたい。
容姿でも、ファッションでも、仕草でも、癖でも……

シンプルで読みやすい作品は圧倒的に増えたと思う。
反面、熱意や勢いのある描写が最近は減少している。

描写を、クドいと言う人がいる一方で浴びるように読みたい女がいることを、創作する人間は頭の片隅にでも置いてくれたら嬉しいのです。

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