文字の創作は難しいから楽しいという話

小説は軽く見られる風潮が同人界隈ではある。という話を耳にすることがある。

ありがたいことに二次小説書きとして本格的なオフ活動を初めて早八年。その間で特別、小説を差別されたと感じることは私にはなかった。同人誌の麗しい表紙を絵師様に描いていただいたことも何度かあるが「なんだよ、漫画じゃないのかよ」と怒られたことは特にはない。

いや、一度か二度か三度か四度か五度か六……まあ、何度か「漫画じゃないのでいいです」と同人誌即売会で卓上へ本を戻されたことはあった気もする。

ただ、これは「漫画のほうが好き」で「漫画を探していた」方なのだろう。漫画が好きか、小説が好きかは人それぞれであるので、このこと自体は小説を軽んじられたとは思っていない。単純にその人の好きなものの趣向の話だ。蔑まれるわけではないので、小説を軽く見た発言だったとは微塵も思っていない。

若い女の子の多くが「おまんじゅうよりケーキが好き」みたいな洋菓子趣向のほうが多いというだけの話で、別にまんじゅうをケーキより格下だという話ではなく、多くの方は「小説より漫画が好き」というだけの話だ。

それでも若い女の子の中にはケーキよりまんじゅうが好きな子もそれなりにいるであろうし、漫画より小説が好きという人もいる。本当に趣向の問題でどちらが優れてるかの話でもない。漫画じゃないことで小説を格下に見るような発言でなければ、差別意識の発言ではないだろう。

私は趣向の違いなだけと認識しているが、「大多数は漫画が好きだから」「なので小説ってだけで戻された」「これは小説差別だ!」て思う方もいるだろう。本音を言えば『それは考えを飛躍しすぎでは?』と思わないこともないが、そう思う方を別に責めるつもりではない。

感じ方は人それぞれであり、私が別段そう思わなくても、そう思った人がいるのはおかしい話でもないし、感じ方こそ十人十色だ。何よりも、そう思ってしまうだけのニュアンスを感じた、もしくは思わせる体験をそれだけしたのだろうとも察するものはある。なので、責めることはできない。そういう考え方の人がいると認知しておくくらいだ。

小説が軽く見られる風潮の一説として【漫画は描くのが難しい。小説は、一応字が書けない人はいないから】というものである。たしかに日本国内で字を書けないというのはほんの一握りであろう。

だがそれが間違いである。これはどちらが難しいと比較するものではないと思うのだ。漫画には絵を描くという技法がいる。たとえるなら「漢字検定一級よりTOEICの900点以上採るほうが難しい」と話するようなもの。そもそも比較対象がおかしくないかと私は思う。

日本人でこうして日本語で記事を書いてるので漢字のほうが馴染みもあり、英語は異国語ではあるから特殊技能ではあるが、漢字検定一級だって難しい。TOEICで900点以上採れても漢字検定一級は無理という方もいれば、漢字検定一級だけどTOEICは600点台もいるだろう。どちらもできる人もいるし、どちらも無理な人はいる。

漫画が難しいか、小説が難しいかの議論というのはそういうことだ。同じ言語資格だったとしても土俵がそもそも違うので比較なんてできないと類似する議論だと私は思うのです。土俵が違えばどちらが優劣かだなんてつけるものでもないし、英語は国際標準語だから英語が上と思う人はそう思っていればいいよくらいの感覚だ。あなたの考え方は否定しないが私にとっては同意できないしどうでもいいということ。漢字のほうが上と思う人に対しても考えは同じく。

しかしながら【漫画は描くのが難しい。小説は、一応字が書けない人はいないから】と一件それっぽく見える理論の呪いは恐ろしいものであり、小説書きの中でも漫画のほうが難しいと思っている方は多くいる。バーナム効果とはちょっと違う「それはそれっぽく見えるし正しいけど、冷静に考えたらなんか違うんじゃないか?」という効果はなんという名前なのだろう。

そして面倒なことに小説も漫画もできる人が「いや、実際にやったうえで漫画のほうが難しい!」と声高に叫ぶのだ。だが漫画がすごくうまい人が「言語化して物語を作るのが難しい」と静かに言うこともある。

小説書きの中には「絵や漫画も試したうえで挫折したから小説を下に見る人もいる」という一説を言う人もいるが、英語より漢字のほうが取っつきやすいというだけでそうじゃない人もいるし、大多数がそうだからきっとそうの理論はなにかが違うだろうと思いながら、だったとしてもそれが小説が格下だという理由と結論づけるのはいささか横暴だろうとも思う。

大事なことなので再度言う。土俵が違うので比較できるものではない。漫画は描くのは難しいが、小説だって書くのは難しい。それだけでいい話である。漫画と比較して小説はかんたんだと言いのける人は、真摯に小説を書いたことがないのだろう。

私は女性向けの二次創作小説を書いている。これに関しては完全に趣味で書いている。仕事じゃないからこそ真面目に書いている。

女性向けというと範囲が広いので、もっと詳細に言えばBLだ、男同士の同性愛をテーマに書いている。テーマはともかくノベル、すなわち小説、文章のみの表現技法で創作を楽しんでいる。

一昔前と比べて、同性愛が寛容になった世の中とはいえ、残念ながら令和のいまもその種の特殊ノベルとして認識されているのがBLである。二次創作といっても、現在書いてるジャンルは同人容認のジャンルなので伸び伸びと書かせてもらっているが、やはり大声で「こういうの書いています!」というには世間の目がやや冷たいという現実がある。

私はそういうものを書いている。世間の目がやや冷たいのを知りながら、なぜそのようなものを書くのか。答えは好きだから。本当にそれだけ。単純明快でわかりやすい。

好きこそものの上手になれと言うが、好きでやってると更に良くしたいと思えてくるのだ。

書くだけで満足する者もいるだろうが、私は自身が書いたものを誰かに見てもらいたくなった。いやしくも他人に読んでもらいたいと思うからには、読めるようなものを書く必要がある。

読めるようなものというのは作品のクオリティの話ではない。原稿の書き方の話だ。小説の正しい原稿の作法は本来ないらしいが、一般的に「最初は一字下げる」「三点リーダは二回続ける」などの書き方の初歩中の初歩の部分だ。(※三点リーダとは「…」のことです)

ネットで横書き文化の中「いや、一字さげると読みにくくないか?」「えっちシーンの喘ぎ声はあえて無視して三点リーダは一回でいいのでは?」と、読みやすさを考えるとあえて書き方を無視するほうが読みやすいのでは、など色々これでも考えている。

ストーリーだけではなく、表現方法としても案外色々考えるのだ。ストーリーを他人に読んでもらいたいと思うがために、ストーリー以外の読ませ方も考える。

少し前なら個人サイトで「背景が白だと目が痛いから薄いクリーム色にしよう」など、そういうことも考えた。今だったらこのnoteを読んでもらうにあたり「三行~五行程度でできる限り段落をつける」など、結構考えて書いている。行数が続くと横文字は案外読みづらい。

だが読みやすければいいというものでもないのだ。表現技法の話だがむやみに一文を読みやすくすればいいわけでもない。あまりにあたりまえの形容詞を多様すれば小説というのは一気につまらないものと考える。

「死を選んだ息子、最期の別れ、残す課題」なんて書いた日には「新聞の見出しかな?」となってしまう。「息子は生きることを手放した。彼と会う最期が葬式だということに受け入れられず、亡骸を眺めながら死して訴えたかった問題をいかにして解決できるか頭を動かした」など、どう表現するかも結構考える。だがこれは長すぎた気もする。一節とはどのくらいの長さが適切か。

見た目を整えようと長くすれば今度は論文になりかねないし、短ければ新聞の見出しのようになる。説明をくどくすれば新鮮味もなくなるし、どのような表現が輝いて見えるかと、構成など案外小説というのは文字が書けるだけでは魅力的に作れない。

そして文章という言語のみで構成するゆえに、メイキング講座も実は難しくあり、漫画ほど多岐にわたって存在しない。レシピ本がほぼない状態で料理を作れと言われるようなものなのだが、案外やればどうにかなるし、できあがったそれを絶賛されたら嬉しくなるものである。

ストーリーだけではなく書き方で読ませる、魅せつける方法もあるし、どれが他人の目に美しく見えるかなどなど、小説というのは文字が書ければできるというものではなく難しいのである。

それでも一番大事なものは「何が書きたいか」を考え、それを書いて楽しむこと。それをうまく表現できたときのよろこびは大きなものである。

偉そうに記事を書いてるが、私も文章が上手なほうではないだろう。そういう自覚はあり、切磋琢磨せねばいけないとは常々思っているのだが小説を書くのは難しくもあり楽しくもあるというのは確かである。それを伝えたい。

軽く見られる小説も、かんたんじゃないし自信もって楽しく書いていただきたいと字書きには伝えたいし、小説を軽く見てる人にはそうじゃないと少しでも伝わってほしいという独り言である。

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