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くしゃみ考

先般スーパーの帰りに身を縮こませて本屋へ行ってみたところ、数メートル先から書架の通路をこちらに向かってきた若い男が、マスクもせず手で口を覆うでもなく、大きなくしゃみを2発した。

私は一つ目のくしゃみと同時にきびすを返して入口に急いだ。
「家に居ろ」という意味がよくわかった。未必の故意は避けられない。
人の考えを読んでしまう『さとりの化け物』でもくしゃみは予知できない。


むかしハワイで通りを歩きながら何の気なしにくしゃみをしたら、すれ違う白人が「はっくしょん」と、笑いながら真似をしてきたので(公衆の面前でのくしゃみはマナー違反なのか)と、初めて無自覚のくしゃみを恥じ入った。
その後に聞くところでは、通常あちらではくしゃみをした人に「bless you」或いは「God bless you」と慣用的に返すらしい。
西欧では「くしゃみをすると魂が抜けて、悪魔が入り込む」と長らく思われていて、なので(神の御加護がありますように)という一言をかけるようになったとのことだった。

実は、読んだ本では、日本でも同様だということだった。
今でいうくしゃみを、昔は「はなひ」と言い、はなひをしてそのままでは魂が抜けて死んでしまう。それを防ぐまじない言葉が「くさめ」であったらしい。長いあいだにそれが転じて「はなひ」がそのまま「くさめ」「くしゃみ」に置き換わったようだ。


してみると大昔からくしゃみは、体から何かが出ていくものだと認識されていたのだとわかる。
そして洋の東西を問わず、くしゃみをした人間の健康を思いやったり、その害を封じる一言を添えたりしてきたのだ。

くしゃみがそのような牧歌的な位置づけの自然現象に戻れる日が、このさき再び来るのだろうか。


月曜日のくしゃみは、危険なくしゃみ
火曜日のくしゃみは、知らない人にキス
水曜日のくしゃみは、手紙がくる
木曜日のくしゃみは、いいことあるよ
金曜日のくしゃみは、悲しいくしゃみ
土曜日のくしゃみは、あした好きな人に逢える

これはマザーグースのなかの唄だ。

愉快なような、不吉なような唄だと思う。
そうした両義性が、くしゃみにはあるのだ。




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