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たまごとわたし

昨日、卵六個を使ってオムレツを作ろうと思いたち、冷蔵庫から必要量を取り出して、ひとつひとつ割っていた。
ひびをいれて、ボウルに中身を落とし入れ、殻を生ゴミに放り投げる。無意識下で行っていた作業の四回目でエラーが起きた。ひびをいれ、中身を生ゴミに落とし入れ、殻をボウルに放り投げる。
ショックを受けた。でも卵の方がきっともっとショックをショックを受けているはずだ。無精卵とはいえ、鶏が涙を流しながら産み落とした大事な卵である。
そして今は一パック約三百円。この無惨に捨てられた一個が三十円。三十円か。より、悲しい。
この値段でも、我が家の食卓には欠かせない貴重なタンパク質である。そして昔はもっともっと、コスパのいいタンパク源だった。

以前、卵料理に拘っていた時期があった。一人暮らしを始めた頃のことだ。
当時の私はスクランブルエッグしか作れなかった。いや、スクランブルエッグすら本来のそれとはかけ離れたものだったと思う。
ただ卵を溶いてフライパンに流して炒ったものをスクランブルエッグと呼んで食べていた。そのレベルの料理スキルしかなかったから。
自炊するうえで、卵ほどありがたい食材はない。安くて栄養豊富で日持ちして、何にでも入れられる。だから、卵料理を極めることにした。

初めに取りかかったのは、ゆで卵だ。
当時読んでいた三月のライオンという漫画のなかで、ゆで卵の茹で時間についての解説があったから、そこから始めてみようと思った。冷蔵庫から取り出したばかりの冷たい卵をつかったレシピだったのがまた良かった。ネットでゆで卵のレシピを検索すると、冷蔵庫から取り出して常温にしておくという手順が書いてあったりして、どうにもそれは取っつきづらかったからだ。

だってあらかじめ取り出しておくのはとても面倒だし、そのうち取り出しておいたことすら忘れてしまうかもしれない。それにここは東北で、当時は冬だった。

ミニマリスト信仰を拗らせていたせいでキッチンに暖房はなく、冷蔵庫と同じくらいの気温だった。だからそもそも常温に戻すのは不可能だった。
三月のライオンのお陰で、私はいつでも美味しいゆで卵を食べることができるようになった。大量に茹でてめんつゆ漬けにして、これまた大量に作ったキュウリのからし漬けとともに食べる日が二ヶ月ほど続いた。わたしには、飽きるまで毎日同じものを食べ続ける悪癖がある。

安定してゆで卵を作れるようになったと自信を持てるようになり、また流石にゆで卵に飽きてきたこともあり、次のステップへと進んだ。

目玉焼きである。この目玉焼きがまた難関だった。
目玉焼きのレシピはいくつかの流派に分かれていた。蒸し焼きにするかしないか、水を入れるか入れないか、蓋を閉めるか閉めないか。多めの油に落として揚げ焼きにしてカリカリにするタイプもある。両面焼き片面焼き、半熟完熟。すべての種類の目玉焼きを安定して作れるようになるまで、他の卵料理は食べられない。

そんな強迫観念に責め立てられながら毎日目玉焼きをつくり、何かに乗せて食べた。ロコモコとか、ジャンバラヤとか、ガパオライスとか、目玉焼きを乗せるための献立になってしまった。
この目玉焼き強化月間で得た学びが二つある。ひとつはどの焼き方でも美味しいし見た目以外は大差ないということ。そしてもうひとつは、目玉焼きはどんな料理に乗せても美味しいということだ。

目玉焼きの次に取り組んだのはだし巻き玉子だ。この習得にはとても苦労した記憶がある。なぜなら自宅には卵焼き器がなかったし、買う気もなかったからだ。当時の私はミニマリストに感化されていた時期である。手持ちの二十二センチの丸いフライパンひとつで卵焼きをつくるしかなかった。

卵焼き器の問題はさておき、だし巻き玉子のレシピを学ぶのも難しいことだった。何しろ人それぞれ全く作り方が違うし、それぞれの技術や配合を自信ありげに声高に叫んでいるし、だし巻き玉子界隈は大変に過激な世界であったからだ。

様々なレシピを眺め倒して、私はだし巻き玉子の習得を諦めた。
その代わり、だし巻き玉子っぽい感じの卵焼きを作ることのみに注力したのである。見てくれだけはだし巻き玉子。当時は若く愚かだった。見た目さえ取り繕えばそれでいいと思っていたし、見た目がそれっぽかったら味にもそこそこ満足していた。

だって適当に焼いても卵は美味しい。

一人暮らし生活での卵料理修行は、この辺りで終焉を迎える。この先はストイックで厳しい道のりでなおかつ専用の道具も必要で、怠惰かつミニマリスト精神を拗らせていた私には到底歩めるものではなかったためだ。

いずれオムレツならびにオムライスを習得したいと思ってはいる。思ってはいるものの。まずは卵が以前の価格に戻ることを願っている。



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