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【エッセイ】虫

家で仕事をしている、午後の事だった。

ふと、左の方からブーンという音がした。
音の方向には冷蔵庫があったので、私は冷蔵庫の音なのだと思い、気にも留めなかった。
しかし目の端に、黒いものが映る。
虫だったのだ。

私は飛びのき、叫び声をあげる。
何もする事が出来ず、ただ虫の動きを見守ることしか出来なかった。
するとその蛾のような虫は冷蔵庫の裏に行き、見えなくなってしまった。
しばらく経っても羽音は聞こえず、私は束の間の安寧を得る事が出来た。

私は、虫は好きだ。
愛しさすら感じる。
しかしそれは、外で虫が虫の生活を送っている時だけであり、一生懸命に生きようとする虫の姿を見るのが好きなのであり、自分の生活圏内に入り、私が生きることを邪魔するのは嫌なのだ。

それから数日経ったある日、寝ようとしていると「ジジ…ジジ……」という切れかかった電灯のような音がした。その音は不規則であり、電気の類でないことはすぐにわかった。
あの子だ。
見上げると、カーテンのひだの隙間で黒い影が歩いている。
私は静かに布団から出ると、殺虫剤を手に取り、勢いよく吹きかけた。
するとその黒い影は、逃げるどころか羽ばたきこちらへ向かってきた。
やはりあの子だった。
なんて勇敢なんだろう。私は圧倒された。
負けずに、さらに毒を噴射した。

虫は本能のみで動いていると、高校生のある日までは思っていた。
模試だったと思う。
生物の問題でカナブンの一種が登場し、『太陽や大きな木などを目印に動く』という趣旨の内容が書いてあった。
その小さな頭で、何かを目印にし、餌を探したり移動したりするというのか。知性のある行動じゃないか、と私は感心した。
また、YouTubeでよく虫や鳥の動画を見ているのだが、
蜂の巣作り一つにしても、新しい女王蜂は、
場所をいろいろと選んだり、巣に利用する材料を変えてみたり、より良い巣にするために試行錯誤する。一生懸命生き残ろうと工夫する。
そういう姿を見ていると、どうしても本能だけで動いているようには見えないのだ。心で何かを思い、考え、生きているように思うのだ。

私の毒噴射攻撃に、
ついに蛾は、妹が私の家に置いていった健康器具(脚を開いたり閉じたりするやつ?)の横に着地した。
しかしそこでも、力強く羽ばたき続ける。
しばらくして、健康器具の下の奥の方に歩いて行き、見えなくなってしまった。
羽音は聞こえなくなり、ついに事切れてしまったようにみえる。
ふと冷静に戻った私は、涙が溢れてしまった。
あの子も怖かっただっただろうな、苦しかっただろうな。戦わずに済む方法はなかったのだろうか。
他人の家で食べ物を喰らい、子孫を増やそうとする虫とは違い、この子は本当に迷い込んでしまっただけなのだ。
餌もなく、外にも出られない場所で、不安な日々を過ごしたことだろう。

あの子の姿を見たのは数日経ってからだった。
どうしてもその体を片付ける事ができず、妹に来てもらったのだ。
健康器具の下にいったのでそこにいるだろうと妹は器具をどかすが、見当たらない。
よく見ると、カーペットと壁の隙間に体を入れ、目立たないような状態でうずくまっていた。
苦しい中でも安心したくて、この隙間に体を入れ、包まれるようにしたのだろう。何かに包まれ安心するということは、人も虫も同じらしい。
死の間際何を思っただろう。おいしかった蜜か。あの日の月か。

私はまた涙が出てしまった。

もうこのような思いをしたくないので、虫コナーズを大量に買った。

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