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#考える

種と翼 わかりやすさや考えることや色々をテレビドラマに思う

まとまらないままに書きたくなった。 さいきんのテレビドラマを観ていてだ。 きっかけは朝ドラからだったような気もする。 観ていますか。 SNSでは大絶賛の嵐だ。 うんうん。よくわかる。 でもわたしは初回から観始めて数話進んでいくうちに 「うん」と共に「んー?」を感じるようにもなった。 いい意味で「わかりやすい」んじゃないか、と。 「みせたい側を引き立てるために わかりやすいわかりやすすぎる役割というか設定をされている」 っていうといいかなあ。 それがきっと「良い」のだろ

2054 ドラマ『不適切にもほどがある!』にありがとうを言いたい

ドラマ『不適切にもほどがある!』については何度か書いた。 回を重ねるごとに、違和感と「これはあかん」が重なりもし、 入り込めなく集中できなく(集中して楽しめなく)なった。 最終回を「どう終わらせるのかな」っていう期待はあったのだけれど、 「んー………?」「うんうん」「なるほどな」「でもなあ」 だからもう一度観なおしたらほろりとはなりもしたけれど、 いろんな人の気持ちを考えて「どうなんやろうなあ」となったのもほんとの気持ち。 悪い意味でもいい意味でもいい意味でも悪い意味でも 「

凪良ゆうの『汝、星のごとく 』 「こうである、ことが当たり前」なんて、ない

人は誰しも「思い込み」を持っていると思う。 大きなものから小さなものまで、 言うなれば 「こう、と、されている、ことを疑いすらしないこと、かーらーの固定」だろうか。 その「かーらーのー固定と凝り固まり」が、 誰かをしんどくさせたり誰かにとっての暴力となりもしかねない。 と、考えたことはあるだろうか。 「こうであることが当たり前of当たり前すぎて疑いもしない」 その向こうには、「ではない」「そうなれない、出来ない」ことやものやひと、も、「ある」「いる」。 その絶望や苦しみを考え

じゃねえから 渡辺ペコ『恋じゃねえから』を皆で読みたい考えたい

それは表現ですか? 表現ですか。 そうですか。 その表現は誰かを傷つけていませんか? それは恋ですか? 恋だったのですか。 そうですか。 相手もそう思っていますか? 相手の身体や尊厳をおかしていませんか? それにすら気付かなかったり、 気付く気付かない以前に酔ったり思い込んだりして 気付こうともしてはいなかったりしませんか? 例えば、あなたがそうしたことやそう言ったこと、それは他者への想いからですか? 自分のためですか相手のためですか? 相手のことを思っての言

誰かと、時代と、生きること 『不適切にもほどがある!』

クドカンの新作ドラマが昨日から始まったことを知らなくて、 ばたばたが少し落ち着いた??な昨夜、 ネトフリで何か観ようとしたら配信されてた! 観た! じわっと涙がでた笑いながらも。 思うところ考えるところがたくさんと、 ドラマは勿論あの頃舞台とかから観てきたからこそ変遷というか いろいろ思うところがあること、 そのひとが、今、≪こんな≫ドラマを書いて、放送されていること、その内容に、じわっと。 物語は始まったばかりなのだけれど、 いろんなこと思い出したり重ねたりして、もう胸がい

それらはコインの裏表 何とかならない時代のシェイクスピアや近松

今朝「おすすめされていた作家さんの本を買いました」というメールをいただいて、なにかが繋がったような、不思議な気持ちになったのは、 ここ最近、このnoteを思い出していたからかもしれません。 ちょうと一年前に書いたものです。 振り返りネタが続いてしまっていますがサボっている訳ではない(笑) 赦しと復讐とコインの裏表のこと。 シェイクスピアとか近松とか己のことや、 いくつかの本と舞台の話とかと併せて、なんか憑かれたような気持ちで書きました。 ちょっと長いけど、ほんま、いろいろ

こよひ逢ふ人みなうつくしき マキノノゾミが描く与謝野晶子と若者たちの物語に

考える。 世の中には、いや、人間は、人間だからこそ、 あまりにもあまりな〝決めつけ〟が多いんじゃないか、と。 思い込みによるそれだったり、 自分にとって都合がよくないから 見たくない聞きたくない自分の中に入れたくないことだったり。 そうして自分の気持ち良かったり楽だったり、 自分と自分だけがよかったりすることだけに甘んじたり、 それだけを事実現実として〝そうじゃないもの〟を 例えば考えたり歩み寄ってみようとしてみたり、 考えもせずに「自分とは違う」「自分たちとは違う」として、

作品と、変わる変わらないと、一期一会と

過去に観た作品を読み返したり、 観返したりすることの素敵さ面白さ。 ここ最近の仕事中のBGMがわりは ドラマ『ナイルパーチの女子会』だった。 2巡目だ。 ネットフリックスの新着にあがっていたので「わぁ!」となった。 小説を読んでぶん殴られたような気持ちになった作品だった。 テレビドラマも放送時はリアタイし、 毎週友人と感想を語り合っていた。 まさか、また観られるなんて。 この作品に関しては一切のネタバレを書かずに めっちゃおすすめをしたい。 なので、これ以上は書かな

ご飯を食べる 『きのう何食べた?』と『生きるとか死ぬとか父親とか』

わたしは最近よく泣く。 泣き笑いだの笑い泣きだのという言葉はかなり使いやすいというか便利だ。 言葉だけが独り歩きしているような感も否めない。 でもほんま、すぐに泣くようになったし、笑うようになった。 自制心もといかっこつけで隠しているけど。 むかしは怒りの感情が大きかった。今もある。 でも今はそれより泣くし笑う。 人気ドラマ『きのう何食べた?』は、 漫画のときから読んでいたし観ていたのだが、 ドラマseason1の際には、 なんだかすごい勢いで広まっていった両手放しの大絶

20XX年に 北斗の拳、ベルセルク、旅芝居の芝居

古いアニメや漫画を語ったり、 キャラの台詞や引用をすると「さむっ」「知らんし」となる時代らしい。 『ベイビーわるきゅーれ』の主人公たちが言っていた。 このところ仕事中のBGM代わりが『北斗の拳』だったわたしには「!」である。 せやけどここからどんどん広がっていった、考えた、色々。 「さむっ」「知らんし」すみません。 すごく長くなりましたが、よろしければお付き合い下さい。 きっかけは先月放送されたNHK『アナザーストーリーズ』(再放送)だ。 原哲夫&武論尊による「制作秘話」を

そのタイトルに 『教誨』

ひとりだと、ひとり。でもそれが群れや集団となると、別だ。 集団は、時にとてもこわい。 〝個人のはっきりした言葉や意見よりも集団としての和〟 〝集団の中で波風を立たせずに生きることが美徳〟 〝空気を読め〟 そうして集団で「YES」となったことは時に絶対的に間違ったことであっても「YES」となることがある。 そうさせられてきたり、そうすることそのことを疑いもしなかったり、 いや、そうしないと排除されたりするから黙ること。 そんな暴走や暴力や沈黙が他者の尊厳や命さえ直接的にも間接的

人間の、人間な ある舞台や映画やドラマから

松尾スズキが好きだ、いや、好きではないかもしれない。 役者としての松尾じゃないよ。 ショッカーの創設者だったり 相撲のワル親方だったり競馬で負けて60円しか持っていないお巡りさんだったりじゃない。 劇作家として作家としての松尾さんがつくるものが好きだ。 よく使うモチーフは下ネタ・宗教・障がい者・格差・セックス・ギャグ。 好きとは言いたくない、好きではない、そう言いたい。でも。 芥川賞受賞作『ハンチバック』を読んだ時のわたしの感想は以前に書いた。 他の感想をひろっていると

針と種 100分deフェミニズム

『別冊NHK100分de名著 フェミニズム』 お正月に放送された番組が書籍化したもの。 本に、読むものにしてくれ、出してくれて、本当によかった、と思った。 すこし語らせて下さい。 番組を観たときはしみじみと2つの気持ちになった。 100分にまとめるにはテーマも情報量も多すぎる。 収録は8時間を超えたとのツイートも見た。 「これはまとまらへんやろ、1テーマ(1冊)でもまとまらへんやろ」 4人の出演者がそれぞれこのテーマに沿った1冊を紹介する、というかたちで進む

なゆかとサトラピ

ここ最近2冊のコミックエッセイを読んだ。 コミックエッセイというのはおかしいかな。 でも間違ってはないかなあ、とも思う。 ひとつは、峰なゆかの『AV女優ちゃん』。 それまでの人生からデビューから業界のいろいろを描いたエッセイ漫画。 もうひとつは、フランスのイラストレーターで漫画家マルジャン・サトラピの『ペルセポリス』。 イランで生まれ、イラン革命そしてイラン・イラク戦争を体験し、大人になってゆく自伝的グラフィックノベル。 生まれた国も、育った時代や環境も違う2人が描いた作品は