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街は劇場

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日々すれ違う名も知らぬ皆にツッコんだりグッときたり
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#劇場

俺の中の 岡部たかしと某旅芝居関係者の歌からおじさんたちの気持ちと人生を思う

最近大ブレイクのイケおじ役者岡部たかしが ラジオ番組で尾崎豊を「これが俺だ! みたいな」と語っていた。 『I LOVE YOU』を劇団オーディションで全身白スーツで真剣に歌った。 「真面目にやったんですけど、変な奴が来たと思われとったみたい」 「これも好き」という『卒業』。 「歌い出したら長いのでカラオケボックスで皆トイレ行くんですよ、熱くなってるときに」 あのとぼけた感じで真面目に言っていたから吹き出してしまった。 数日後に思い出したのは旅芝居界でヒール(悪)とされてい

からだ 年明けのプロレスビッグマッチに人間を想う

身体。肉体。からだ。 1.2と1.4が終わった。 プロレスリングNOAHと新日本プロレスの年明けビッグマッチだ。 現地では観ていない。配信を観た。 前者は身内というか親戚の寄り合いというかごちゃごちゃ的なものから逃げれないのに逃げ切って観て、後者は仕事をしながら観た。 どちらにも特にめっちゃ好きな選手がいるかと言われたらそうではない。 どちらにも団体や会社へ思うところがありまくるというか、でも、観る。ツッコんだり怒ったりしながら観る。 例によって詳しいことは書かない、

昼過ぎに歩いていたらどっかの店から CHAGE and ASKAの『YAH YAH YAH』が聴こえてきた。 爆音で。 なんでやねん。 脱力してツッコんで、でも聴いてしまった。 改めて聴くとすごくないですか。 こんな勢いだけの曲ってある? しょうもないことを考えているうちに曲は盛り上がり盛り上がり 遂にあのサビに来る。 「ヤーヤヤーヤ!」 なんやねん。 すごい。すごすぎる。 陽キャとか応援ソングとかの域をもう越えている。 敢えて言うなら戦隊もののヒーローショー

秋味 あの歌い手とおやじたちはわたしたち

陽が落ち薄暗くなった境内、 祭り提灯がぼんやりと照る中、 特設ステージで歌う彼女は見たことも聞いたこともないひとだった。 電柱に無造作に吊られている音響は拡声器の延長みたいな簡素を通り越したもので歌声は分散され、声が割れてしまう。 そんなステージに現れた彼女は、よく言えば清純派なワンピース、わるく言えばお金のかかっていなさすぎる衣装に身を包んで次次に昭和歌謡を披露する。 近所のローソンで買ってきたビールを呑み呑みの大人たちや 祭り屋台のこてこてソース味やべったべたシロップかき

舞台とリングと、人間と 『教養としてのプロレス』のこととか

突然ですが、 わたしはなにかを「絶対にそう」「絶対にこう」とかすること言うことがあまり好きではありません。 たいへんにこわいことであり危険なことではないかなと常々思っています。思うようにしています。 そういった風潮や群れることはなんだかどこか「こわいなぁ」となります。 例えば「なにかが絶対に悪」とか。 みんなが言っているから悪とか、 みんなで言ってみんなで悪にしちゃうってこともとても多くない? だから、どちらか一方に肩入れをし過ぎてしまうことはとても危険じゃないかなぁ

まっすぐ それぞれの『青春の影』

チューリップの『虹とスニーカーの頃』を聴いた時はぶったまげた。 初めて聴いたのは若い頃、ワルい年上の友人たちとの徹夜カラオケだった。 だいぶ年上の「職業・芸者」の姐御が明け方頃に踊りながら歌った。 「この歌……すごい歌詞やね」 「え、そんなん思ったことないわ、でもそう言われてみたらヤバいな(笑)」 「ヤバすぎる、歌い出しから、しかも何度もそのフレーズ出てくるし」 「そういう時代だったのよね、おい和夫(笑)」 先日NHK「のど自慢」のトリとして登場した方の歌を聴いて数日して思い

繁華街の駅のUFOキャッチャーで劇場みたいなシーンに出会った

GW、夜遅く、 繁華街の駅のコンコース内にあるUFOキャッチャーでいい風景に出会った。 ちいかわだったのです、 ちいかわがGetできるかも?! な台だった。 欲しいなあ、いいなあ、と思っていたのはわたしだけじゃなかったみたいで、わらわらと人が群がっていた。 そんなギャラリー多数の中、クレーンを操作していたのは、中年の、 いや、中年というのもちょっと失礼かな、でも若くはない女性。 その駅は正直治安がいいとは言えない繁華街の駅。 わらわらと群がっていたのもギャルとか

椅子取りゲームは(きっと)持続可能

先日、新快速にて。 補助シートを使える時間帯(っていつからいつなんかいまだにわかってへんねんけど) あ、使える時間なんや、って座った。夜。 すると、後からわいわいと乗って来たオバ様たち2人組が、 補助シート(つまり2人掛け)のわたしの隣の席を見た。 「あんた座らせてもらいぃよ」「え、あんたが座り」 「あ、どうぞ」 「えー」「いやいやいや」 「ええ、ええですええです。全然。座ってください」 「いやあ、ごめんねえ」「ありがとうねえ」 オバ様2人は仲良くお座りになっておしゃべりしだ

のど自慢はピアノ・マン

日曜昼にのど自慢で聴く『ピアノ・マン』はなんだかよかった。 のど自慢がのどじまんになった。 ロゴだけじゃない。司会者も代わり鐘のおじさんも代わり、生バンドもなくなった。 新年度から司会者が変わることはニュースで知ってたし、 鐘の名物おじさんが居なくなることは3月最後の放送の発表で知らされた。 でも生バンドがなくなることは知らず昨日番組が始まる直前に知人から聞く。 え、ないの。カラオケになるの。それはどうなの。 ちょっと検索したら同じ戸惑いを持っている人は少なくないみた

空気の衣

世の中のほとんどのことは嘘だと思う。   特に金銭のやりとりが発生する場や間柄である場合はそうであることが多いことない?  嘘じゃないけれど嘘、が、言葉としては近いかなぁ?  でもね。 その瞬間瞬間、一瞬一瞬は「ほんとう」なのだと、とても、わたしは思う。 ほんとうとなるし、ほんとうに、ほんとうなのだ、って。 さらに、その嘘とほんとうの重なりと積み重なりは限りなくほんとうとなる。 ほんとうに。 だから人間はかなしく怖く、とても愛しく、とてもとてもうつくしいな、

桜のいろは

夜、出先で凄艶さすら感じる桜をみまして、 ふと思い出したのは桜守、16代目佐野藤右衛門さんのことです。 遡ったら、12年前(笑)のBlogに書いていたっ。 藤右衛門さん曰く…… 「桜の花が一番きれいに見えるのは朝日が昇るころ」 これはいわば「しっとりした素顔」、 「午前10時から午後3時あたりは疲れてちょっと肩を落とす時間帯」 夜になると、花は「さぁ化粧でもして出かけよか」と元気を取り戻すらしい。 だからそこをライトアップによって盛り上げるんだと。 桜は下向いて咲くから

じゃがりこと酒とあの空気、デスティーノと、ケンカキックからのSTF

武藤敬司の引退興行は知らないおっちゃんとの記憶と共に刻まれました。 「引退興行、観たことないでしょ。観てほしいんですよ」 「いや、いや、アベマとかで観ます。もったいないです」 ずっと渋っていたのだが、 わたしにプロレスを薦めてくれた人、 つまり若き日に武藤さんやあの世代のレスラーとも親交のあった元プロレス記者氏は強引だった。 「あなたはあの雰囲気を観ておくべきです!」 押し切るようにチケットを下さったので2月21日の東京ドームの引退試合を観に行くことになった。 開場前

駅と港と劇場、鳥と桜

きのう、用事終わりの夜、大阪駅、うめきたエリアの新ホームを見てきました。 土曜日に開業したばっかりの、ネットで「うめきた新駅」とか言われているやつ。 東海道線支線(貨物線)を地下化してホームにしたところ。 顔認証改札機が導入されたことでも話題の。 あの改札機は「車、洗うやつ?」「モルカーが洗われるやつ?」とか 新ホームは「エヴァンゲリオン?」「作・庵野秀明?」とか真剣に思った。 ホームの脇には桜の造花と共に記念撮影スポットが設けられていて、 「近未来と桜花」って、え、何、何か

聖子ちゃんのすごさと歌の持つ力に今更気付いた

昨日、出先のちょっとお洒落なお店にて、 耳から頭にすーっと入って来たのはBGMで流れていた松田聖子の声でした。 「なぁーぎさにぃーしっろいパぁーラソル~」 松田聖子ってめっちゃすごいですね、ね、すごくない? 何言うてるねん今更どころの話ちゃうで怒られるで。 でもびっくりしたのです。 あの声、あの歌い方、すーっと、ふわぁーっと。 なんか眩しさすら感じました。「目」じゃなくて「耳」なのに! 歌って、歌詞と声と「ぴったんこ」じゃないと スッと頭に心に入ってこなくないですか?